先週の、十三夜の翌日
染色家 佐藤節子先生のお宅で栗菜月の茶話会が開かれました。
佐藤先生のお着物姿、久しぶり💛
確かお母さまから受け継いだ、古き良き時代の着物。
格別なオーラがありますよね。
そこにゲストでいらしたのが
講談師の神田伊織さん。
少し前に、佐藤先生の義理の息子さん、大川さんと
オペラ&講談という変わったコラボでご一緒したそう。
私にとっては、初めての講談。
江戸~昭和初期に流行した、大衆伝統芸能の一つで、
話術を売りにするという意味では落語と似てはいるのですが
落語は世話物中心なのに対し、講談はもともと「軍記」といって
戦の様子や手柄を立てた人のことを語り継ぐことから始まったそう。
元祖は諸説あるのですが、徳川家康に戦国時代の話を聞かせた
家庭教師(名前失念)が、最初の講談師と言われている、と神田さん。
明治以降、講談師の語りが速記で記録され、出版されるようになり
それで会社を興し有名になったのが、講談社、というわけ。
ただ、戦後は映像などの各種メディアにおされ、
各地にあった講談師が演目を披露する場「釈場」も今はゼロ。
何とかして釈場を復活させたいと、講談師の方々は奮闘しているそう。
そして講談師といえば、写真のような台(釈台)と
ぱんぱん!とたたく扇がトレードマークですが
量産はされないので自作したり、自分で工務店へ出向きオーダーするとか…
なにしろ、講談の予備知識ゼロなので、見るもの聞くことすべてが新鮮。
書ききれないほどいろいろ、教えていただきました。
そして、記事タイトルの「ルードヴィヒ…」とは…
この日は佐藤先生から「月に因んだお話しを」とのリクエストがあり、
ベートーヴェンのピアノソナタ「月光の曲」の誕生秘話を
語ってくださいました。
ヨーロッパでは古くから言い伝えられている話なのですが
それを講談風?に神田さんがアレンジして。
ちょっと和のテイストも入れたりして、それで
ベートーヴェンがふるさとのボンに帰ったとき、
親友のハンスの家で鮭茶漬を
ごちそうになった、というくだりが……
神田さんはもともと、フランス文学専攻で、
今、「レ・ミゼラブル」の講談を創作している途中だそう。
「長編なので、1回30分として、全20回くらいになるかと……
まだ、3回分くらいしかできていないんです」(神田さん)
と、お姉さま方が一斉に
「早くしないと私たち、逝っちゃうから!」とか
「最初の5回くらいまでは生きてるかも知れないけど」とか、わいわいと。
ここ数年、講談はふたたび盛り返してきて、講談師の人数も増えてきたようなので
(現在、全国で約100名ほどだそうです)
早く釈場ができて、気軽に聴きにいけるようになるといいですね。
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