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神奈川絵美の「えみごのみ」

「ベルギーと日本」展@目黒 を振り返って

ずいぶん前のことですが、
目黒美術館へ行ったときのレポ&写真をまだ上げていなかったので…。
会期も終了しており申し訳ありませんが、自分の覚書として載せておきます。


この日の私は、秦荘紬のきものを着て行きました。
目黒美術館は目黒川沿いにあり、市が管轄しているプールやテニスコートなどの
施設にほど近い、緑豊かなロケーション。
目黒駅から徒歩10分ほどです。


以前にも書きましたが、一部を除き写真撮影OKでした。

ベルギーと日本の美術交流としては
やはり印象派の日本への伝来が大きなトピックスだったようです。

この展示ではキーパーソンとして2人の画家をメインに
作品紹介されていました。

一人は太田喜二郎。



1900年代初頭の日本洋画としてはかなり斬新な作風。



印象派、なんですが、後期に特徴的な点描を熱心に学んだようです。



結構強い色使いもしていて、フォビズムっぽさを感じた作品も。
この方、一応黒田清輝の門下生なのですが、それにしては
ずいぶん“攻めている”なあという感想を持ちました。

でも……。

確か1906年ごろ渡仏して1911年に帰国し、こうした作品を
発表したものの、国内でのうけは悪かったそう。
黒田清輝も「外光を取り入れる」という点では印象派を評価していたものの
点描は「珍しいが主流にはならない」だったそうで、



まあその、私などが言うのもなんですが、
ちょっと日本の光というか、空気感からは浮くような
気もしないではないかなあ…

ということで、太田は1917年以降、この手法をやめてしまったそうです。

さてもう一人は児島虎次郎。



こちらの方も太田と同時期に留学し、日本に帰ってきたものの
フランスに出品を続け大きな評価を得たそうです。



先の日本女性も、こちらのベルギー女性も
私の個人的な感想としては太田よりも“こなれて”いて、
現代の日本人にもうけが良さそう。

左の絵のアップです。


なので一見、順調にキャリアを積み上げて…と思いきや

確か明治天皇の即位記念壁画(記憶があいまいです。違っていたらすみません)の
制作を命じられ、それがたいへんで過労死してしまいました…享年47歳。
太い、濃い人生だったのかも知れませんが、なんとも切ないです。

ほかにも久米桂一郎、斎藤豊作等何人か、
日本の初期の印象派として紹介されていました。

ベルギーとはシュルレアリスムでもつながっていて


これはマグリットを日本に初めて紹介した
瀧口修造編纂の冊子や翻訳。


絵によく出てくるモチーフとその暗示を
漫画風?、単語帳風?にまとめています。


これはちょっと時代をさかのぼり1800年代終わり
官能的な素描で日本の画家をとりこにしたというロップスの作品。
解説はなかったのですが、これ、ミレーの種まく人が下地にありますよね…。

さて、この企画展は彫刻も展示されていました。



私はあまり詳しくなくてざっと見るにとどまりましたが
そうした中でも気になったのが


労働者をモデルにした作品。

齋藤素巌という人の手によるもので、
東京株式取引所本館を飾った4つの彫刻のうちの一つ、「工業」。
(ちなみにほかは、農業、商業、交通で、それぞれの産業を象徴する衣服や
道具を持った人の彫刻でした)

1800年代終わりに坑夫の彫刻で有名になった
コンスタン・ムーニエの影響を受けたこの作品、
時代は富国強兵ということもあり、働くことの尊さとか
生命力とか、そういうことで労働者にスポットが当たったのだと
思います。

写真は撮りませんでしたが、明治時代の大御所 武石弘三郎や藤島武二の
作品もありました。

記憶が薄れてしまい、駆け足なレポになってしまいましたが、
黒田清輝はともかく、世間的に誰でも知っているビッグネームな
芸術家は少なかったものの、明治という時代の転換期に
志高く海を渡っていった人たちの奮闘や失望、ベルギーの芸術が
どのように日本にインパクトを与えたのか、などをいろいろと
考えたり想像したりしながら、楽しんで鑑賞できました。

またこうした、ニッチといえばニッチな
歴史をていねいにひもとく機会になるような展示に
足を運びたいと思います。
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