国立近代美術館の入り口で。
背後には、次回企画の横山大観展の告知が。
父が、横山大観を好きなので、この写真をフライヤーとともに
送ろうと思っています。
さて、今回は
熊谷守一の没後40年回顧展。
明治~昭和を生き、97歳で亡くなるまで生涯現役だったこの画家は、
しかし晩年の20余年、豊島区の家から一歩も出ずに、
庭先の草木や小さな生き物、猫を描き続ける日々だったそう。
まず私が強く印象に残ったのは、
亡くなる前年のインタビューで
「命が惜しい」と話していること。
文言は正確ではありませんが、ここまで生きたからもういい、という心境ではなく
100歳近くなってなお、もっと生きていたい、と強く願ったその背景には、
子どもを次々に病気で亡くしていること、そして
1900年代の初めに遭遇した、女性の飛びこみ自殺。
この絵は1908年の作品「轢死」で、
このときの光景は彼にずっと影響を及ぼしていたと言われています。
当時の画材は油分が劣化しやすく、どんどん退色して、
今はこのように、目をこらしてようやく、人らしき輪郭がわかるかどうか、の
状態ですが、
これはある意味、
(生身の人間が亡くなった後の“経年変化”を暗喩しているのではないか)と
ふと思ったとたん(個人の勝手な感想です)
平静さを保てなくなりそうなほどの戦慄をおぼえました。
このころ(20世紀初頭)の熊谷氏の作風は
「自画像」(1904年)
画材の劣化だけではなく、
そもそも意図的に暗く描いている、とも言われており、
光は明るい色、影は暗い色で表現されています。
しかし晩年になると
モチーフも単純化されていますが、
何と言っても色彩が初期とはまったく違います。
これについては
たくさんの色を遣っていると、自然に影ができる、というようなことを
本人が語っており、
つまりは補色を遣って陰影を表現するようになったあらわれなのですが、
理論的には
後期印象派のジョルジュ・スーラやカミーユ・ピサロ、
代表的なフォビズムの画家アンリ・マティスを想起させる一方、
感覚的には
晩年、庭先で眺めていた小さな生き物たちの命を愛おしむ気持ちが
このような明るい色彩を導いたのかな、などと思いました。
1950年代から顕著になった「りんかく線」。
熊谷氏は、一から自分で考えないと済まない性格 だったそうで
こちらも彼には実際に、光の帯が見えて、それを表現したのではと
解説にはありました。
個人的には、昨年、ナビ派展で観たフランスのヴュイヤールを想起させます。
ヴュイヤールは確か、フォビズムが誕生するかなり前に、
フォビズム的な作品を発表していたような。
実際に熊谷氏は70歳を過ぎてから、
アンドレ・ドラン、ポール・ゴーギャン、アンリ・マティスの作品に
影響を受けたそう。
いずれも眺めていると、動いたり落ちてきたりしそう。
お盆の上で、今にも卵が動きそうな、張力や拮抗を感じる絵。
花がちらちらとして、目が画面をさまようよう。
特に花や虫、動物の絵を見ていると、
あたかも永遠の命を得たかのように活き活きしているし、
空に向かって、昇華していくようなイメージもわくし、
今回の展示のサブタイトルは「生きるよろこび」なのですが、
私には、誰も語れない「生命の行方」を、ときに恐れながら
ときにいつくしみながら、表現していたのではないかなあなどと
そんな風に感じました。
熊谷守一 回顧展は3月21日まで。公式サイトはコチラです。
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