今から20~30年前、邦楽において「シティ・ポップス」というジャンルが
確かに存在していた。
井上鑑、安部恭弘、鈴木雄大、伊藤銀次、杉真理、EPO、大貫妙子 etc.
オムニバスで1,2曲だけという人もいたが、結構聴いていたものだ。
中でも、稲垣潤一と山本達彦は私の中の絶対的なツートップだった。
稲垣さんはクリスマスソングのヒットもあり覚えていたが、
山本さんは30年近くも記憶の海に沈んでいた。
一つひとつは些細なことながら、いろんな思い出があったのに。
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TWO~WAY~ SUMMER~ TWO~WAY MY LOVE~
ときは1979年、中一の春まで遡る。
FM東京「歌謡ベストテン」のスポンサーCMで繰り返し流れていた彼の曲が、
私の記憶に残るもっとも古い化粧品CMソングだ。
(ちなみにその次はツイストの「燃えろいい女」)
声に惹かれ他の歌も聴きたかったが、お小遣いが少なくレコードも買えない。
ラジオでたまに放送されるアーチスト特集のようなコーナーで、
1曲、2曲と細切れにエアチェックした。
驚異的なコード進行のジャジーなバラードやボッサが気に入って、
(当時私は、遊びでニューミュージック系の作曲をしており)
このCOOLなお兄さんとユーミンにはずいぶん影響を受けたものだ。
しかし、独特の日本人離れしたニヒル&ダンディズム、
ときに“人生まるごとフランス映画”みたいな描写を、
ロー~ミドルティーンの私が理解していたとは、到底思えない。
指先からジゴロに/キャブリオレ降りた脚/夜にまさか肩透かし/
俺は俺の標のまま/衝くつもりのないキュー
嘘?本当?
30年前の、CITYにも恋にも縁のない娘の傍に行き、訊ねてみたいくらいだ。
どうした経緯か、雑誌を通じて大の達彦ファンという香港在住の
T.Leeちゃんと知り合い、
切り抜きやコンサートパンフをエアメールで送ってあげたこともあった。
(追記:後日、実家に残っている彼女からの手紙を読み返したら、
外国人のファンクラブ会員第1号になったと書いてありました。まだ在籍しているのかな)
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1982年、高校一年の秋か冬。
学校のすぐそばのホールで、コンサートがあるという。
-行こうよ、行こうよ-
何かとルックスにうるさい女子高生のこと、知名度は結構高く、
友達同士で誘いあった。
街なかに貼られた告知ポスターは、数日でおおかた誰かに持ち去られた。
(この時代の風物詩だ)
当日は長時間、ジャズ風のピアノソロを弾いてくれて嬉しかったなあ。
そのライブのクライマックスが、この曲だった。
I LOVE YOU.と不意打ちで甘くシャウトされたい方は写真をクリック
ただ…、私の記憶に残っている像よりも、かなり歳を重ねていらっしゃる…
オーディエンスも… 1990年代半ば?
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何の記録も見ずに、これだけのことが思い出せるのに、
それでも「私の青春だった」と言えないのは、
CFソングとTV主題歌での歌声以外のメディア露出がとても少なかったことと、
私が成長していった時間軸と、彼の歌う世界の時間軸が
まったくといっていいほど重ならなかったからではないだろうか。
1983年以降、
このような、歌詞カードが要らないほど明瞭な発音で
上から丁寧に音を置いていくようなヴォーカルとは対照的な、
ビートにのせて早口で曖昧に言葉を詰め込んでいくようなスタイルが
ムーブメントを起こし、
私の興味はそっちに持っていかれた。
そして25年、30年近くが経ち、
真骨頂のバラードも、キケンな恋の歌も、硬派な人生の歌も、
背伸びしない自然な気持ちで聴けるまで
大人になったけど、
度重なる引っ越しでカセットテープは紛失してしまい、
私の手元にはもはや、当時の音源は一枚も、一曲も残っていない。
山本達彦さんは今、もうアラカンに手が届くか届かないか。
初めてブログを見ましたが、相変わらず二枚目俳優さんみたいな風貌に
端正な文章で、嬉しくなりました。
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