佐藤優著 著者が15歳の時、当時の東欧、ソ連を旅行した紀行文。冷戦時代の社会主義国を旅行する珍しさと旅費を当時としては多額な額を親が負担するという決断があまりないのではないかと思う。その経験がその後の著者の人生に大きく影響したようです。資本主義と共産主義社会の違いを肌で感じることが重要な事のようです。
岩崎宏美のコンサートに行ってきました。40年前に岩崎宏美のコンサートを鑑賞しました。今還暦の宏美さんは当時、20歳位でした。会場は、たぶん室蘭か帯広の市民会館です。覚えていません。ステージから伴奏とマイクなしでのアカペラで1曲歌いました。とても通る声で素敵な声でした。今回、還暦を迎え歌声は、衰えたいないように感じましたし「聖母たちのララバイ」は、とても良かったです。当時とは違う新しい歌を聞けましたが個人的には、当時の歌をもっと多く聞きたかったですね。今回舞台の近くにファンクラブ(親衛隊?)の方々がいましたが当然60歳超えの年代のおじいさん達が鉢巻き姿で声援を送っていましたが当時、親衛隊は居なかったと思います。
私は、その頃のファンになっていたアイドルとして山口百恵さんだと思っていましたが、レコードを整理していて百恵さんのレコードはEP盤1枚しか有りませんでした。そして、見つけたのが中京子の「初恋の町」。全く記憶がないです。中を見ると中京子さんのサインがあり「斉藤さんへ」となっていました。斉藤さん?て誰。当時は、レコード店の前でカセットデッキのカラオケ(カラオケと言う言葉も無い)で歌手本人がミカン箱の上で(実際はビール瓶ケース)歌ってレコードのキャンペーンを行っていました。レコードを買うとその場でサインをしてくれ握手です。そのことを思い出しました。中京子さんもそんな下済みのままで消えていったのでしょうか。アイドルを目指してデビューしてもアイドルになれるのは一握りです。あの石川さゆりや長山洋子もミニスカート姿でアイドルを目指していました。人気は、今一つで演歌の道に進み成功を収めました。その中で異色を放ったのが小泉今日子です。デビュー当時は、花の中3トリオの陰でパッとしませんでしたが「なんてたってアイドル」でブレイクしました。
岩崎宏美は、歌が抜群に上手く演歌の道にも進まずアイドルとは少し違う歌謡曲の歌手としてヒット曲を歌い続けました。本人の人生は、色々あったようですが還暦を迎えコンサートも満員の客を呼べるとはすごいですね。