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 ♪♪♪ H.Tokuda

コーヒー

2017-02-06 22:44:55 | エッセイ


 幼い頃、まだ独身だった叔父が同居していて、よく近くの喫茶店へ連れて行ってもらった。僕はジュースやミルクなんかを飲んでいたのだと思うけど、そのことはよく覚えてなくて、店内に立ち込めるコーヒーの香りだけが強く印象に残っている。
 そうした幼児体験も影響しているのか、僕は喫茶店へ行くのが好きだ。コーヒーの通というほどではないので、味そのものよりも店の雰囲気を楽しむ。高校生の頃は授業をさぼって友人たちと「ほんやら洞」や「しあんくれーる」へよく行ったし、大学生の頃はジャズ喫茶の「エオンタ」などでひとりの時間を過ごした。松本は小さな町だが、変わった喫茶店がたくさんあった。「山猫軒」「エイハブ船長」「翁堂」「アミ」など、店の名前を思い出すだけで何だかわくわくしてくる。喫茶店は僕にとって思索の空間であり、友人との語らいの場であり、読書室であり、音楽鑑賞室であり、創作の場でもあった。

 ところが、二十代の半ば頃から、どうしたことかコーヒーが飲めなくなってしまった。胃がむかむかして気持ち悪くなり、ときには軽い立ち眩みのような感じになる。これはたぶんアレルギー症状だということで、長い間(10年間くらい)コーヒーから遠ざかっていた。ある日、叔父に話したら、自分もまったく同じ状態になったことがあるが、いつの間にか治ってしまったと言う。その言葉に勇気づけられ、試しに飲んでみたら、例の症状はまったく感じなかった。久しぶりに飲むコーヒーはたまらなく旨かった。それ以来コーヒーを飲み続けているが、今のところ体に異変を感じることはない。いったいあの症状は何だったのだろう? 叔父と同じということは、遺伝的な体質のせいなのだろうか? 父はコーヒーを飲まなかったので、そこのところはよく分からないのだが。

 今もおいしいコーヒーを飲みたいときは喫茶店へ立ち寄る。ひとりの時はたいていカウンター席だ。煎りたての豆をミルで挽いて、専門的な手つきでお湯が注がれる。淹れてもらっている間も、高い香りと魅惑的な音を存分に楽しむことができる。コーヒー1杯とタバコを数本、ほんの20~30分の間だが、僕にとってはささやかな贅沢。昔のように、ここで本を読んだり文章を書いたりはしない。音楽なんてなくてもいい。純粋な気持ちでコーヒータイムを楽しみたいと思っている。

 自分で淹れるのは、もっぱらインスタントばかり。職場と家を合わせると、一日に5~6杯は飲む。いわゆるカフェイン中毒の部類だ。特に文章を書いているときはコーヒーをたくさん飲む。そこでふと気づいたのだが、アレルギー症状のためコーヒーを断っていた期間は、ほとんど小説などを書かなかった。三十代の半ば、創作を再開した時期は、コーヒーを再び飲むようになった時期とほぼ一致する。ひょっとすると、僕の創作力はカフェインの作用によって生み出されているのかもしれない。

 さて、今日もコーヒーの魔力を借りながら、こうして文章を書いている。濃いめに淹れたネスカフェ・ゴールドブレンドだ。これもまあまあ旨い。喫茶店へ行くことに比べると、コスパは抜群に良い。
 僕はいくらコーヒーを飲んでも、夜はちゃんと眠れる。ものすごく寝つきが良く、ベッドに入ってから眠りに落ちるまで大抵2~3分。眠れなくて困ったことなんてほとんどない。今日も一日は目覚めのコーヒーに始まり、就寝前のコーヒーで終わる。コーヒーは人生の友。アレルギーなどの症状が再発することのないように祈るばかりである。