門司港生まれのB高Diary

Teacupの閉鎖に伴い3月にこちらに引越してきました。
主に趣味・旅を綴っていますで、よろしくお願いします。

豊川海軍工廠平和公園

2018年08月07日 | ノンジャンル
第二次世界大戦中、東洋一と言われた軍直属の軍用(兵器)工場であった豊川海軍工廠、女子挺身隊や動員学徒を含め5万人強の方々がここで兵器、弾薬、双眼鏡製造などの過酷な仕事に就いていました。(戦争に勝つため、お国のためと言う・・・)



広島市に原子爆弾が投下された翌日の昭和20年8月7日、豊川海軍工廠はアメリカ軍B-29爆撃機100機以上の空襲を受け、大量の500ポンド爆弾投下により、2,500名以上の尊い命が奪われ、10,000人以上の負傷者を出しました。

この豊川海軍工廠平和公園は、海軍工廠の生い立ちから終戦後までを後世に伝えようと今年6月にできた公園です。
今のところの施設は以下です。ガイドさんの案内で回ってきました。

■平和交流館
 ・(多目的室)豊川海軍工廠の歴史や戦争遺跡の解説、資料展示
 ・(ガイダンス室)豊川海軍工廠を映像で紹介(15分)
 ・(図書コーナー)海軍工廠、世界大戦、地域の歴史などの書籍
 ・(事務室)公園内施設の見学ツアー(30分)の参加申し込み

私は、9:30多目的室での資料見学~10:00映像視聴~10:15「語り継ぎボランティア」さんによる施設見学~10:45一人で園内見学&再度多目的室へと約2時間の滞在となりました。









なお多目的室内は写真撮影禁止となっています。

■旧第一火薬庫
当時の建物で、火薬の保管に使用されていた施設です。
上空からの認識をさせないために土を被せ山のようにしていると思われます。
「語り継ぎボランティア」さんが同行すると建物内部に入ることができ、建物の構造なども分かるようになっています。



■着弾跡
旧第一火薬庫の北側そばに、500ポンド爆弾の着弾跡があります。
コンクリートが破壊された当時のまま保存されています。





■水槽跡
おそらく防火水槽ではないかと思いますが・・・・園内に2か所残されています。



■旧第三信管置場
弾丸の起爆剤の信管を保管する施設です。
建屋の壁面はコンクリート、屋根は木造、万が一の爆発の際、屋根が吹き飛ぶ(内圧上昇を防ぐ)構造としたようです。
こちらも「語り継ぎボランティア」さんが同行すると建物内部に入ることができます。





■土塁
火薬を扱う建物の周りには、土塁が作られています。
旧第三信管置場の周りもこのような土塁で囲まれ、爆発の際、周囲施設への被害が最小限となるように考えられたものです。





■防空壕跡
工場内各所に防空壕がありましが、一般的なものは露天掘り+天井木組み+土と言う簡素なもので、主として爆風で飛ばされないことに対応した防空壕であったようです。
この公園では、3つの防空壕が残っています。





■街路灯
鉄筋コンクリート製の柱の街路灯が残っています。
工廠内の電気配線は地下を通っていたらしく、地下から中空の柱の中を通し、上部の電球へ電気を供給していたようです。



公園内は以上ですが、隣接している名古屋大学豊川キャンパス内には工廠当時の遺跡がまだまだ残っているようです。



この公園へは7/29に出かけたのですが、昭和20年の今日8月7日が空襲を受けた月日ですので、この日に紹介することにしました。



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