勘太郎爺奮闘記

滞在合計26ケ国、21年の海外生活が終りました
振り返りながら 日々の生活も綴ります

2002年ベトナム・ハノイの旅 その7 戦争遺物

2018-05-05 | 歴史・文化2

 

軍事博物館・ハノイ

 

対仏、対米戦争を中心とする、ベトナムの長い戦争の歴史を伝える博物館です。実物の銃、戦闘機やミサイルの残骸などが見られます。戦う理由が南北ベトナム統一・民独立であり、そのために、人々がいかに苦難を乗り越えてきたのかという点を大変強調している印象をうけました。

 

建物を入るとすぐ左に「MIG21」が目に飛び込んできます。機首に14ヶの星しるしがあるように、ベトナム戦争時1967年から1969年の間に、14機の米軍機を撃墜したMIG戦闘機です。
このMIG21を操縦していた6人のベトナム操縦士はベトナムの英雄となったとか。

残骸の中に「ソ連製ミサイル」も埋もれていた。

お土産屋の隣に並ぶ「37ミリ高射砲」:グエン ビエット スアン大隊で使われていた37ミリ高射砲で、この隊は124機の米軍機を撃墜した。2度、英雄的部隊として表彰されている。

サイゴン陥落の時に立役者となった戦車などの展示は目をひきます。

 

同じ敷地に、今はなくなってしまっているハノイの宮殿から移した国旗掲揚台(旗の塔)があります。グエン朝の1812年に建設されたものがここへ移設されたものです。掲揚台(旗の塔)の上にのぼることができます。

 

軍事博物館の建物正面  サイゴン陥落時の立役者の戦車

 

 

37ミリ高射砲  

MIG21戦闘機:機首に14ヶの星マークがあるように、ベトナム戦争時1967年から1969年の間に、14機の米軍機を撃墜した

 

 

ソ連製ミサイル、戦争残材のなかに埋まっていた。  

掲揚台(旗の塔)。グエン朝の1812年に建設されたものをここへ移設

 

 

 

 

ホアロー収容所・ハノイ 

1896年にフランス政府によって建てられた監獄(ホアロー収容所)が、その後ベトナム人民軍の捕虜収容所として使われていた。1993年に完全に閉鎖された後、1997年一般公開された。
ヴェトナム戦争の折は米軍の捕虜が収容されたこともあった。この収容所はハノイ・ヒルトンと皮肉って呼ばれていたらしい。

監獄が、観光地点となるのも、意外ですね。

 

フランスの名残で、ギロチンが残ってます。現物を見るのは初めてで、ショックだった。金属の入れ物が下にあります、また、籐で作った籠がそばに置いてありますが、何をするものか想像できますね?(-_-;)  今でも動くんでしょうね (^^; 。 思ったより背が高いものなんですねぇ。首の太い人は、どうやって固定するのでしょうね? →写真を見た人のコメントです。→ギロチンにかけられる人で、首の太い人はいなかったのでしょうね。

 

ハノイ駐在の日本人に聞くと、ここには幽霊が出るので、絶対にいかないと言ってます。(見学した後に聞いた。ゲゲー)

 

 

収容所の模型:当時の様子を再現した集団房。足かせが生々しい

 

 

 

ベトナム戦争時の米軍捕虜

 

 

今も残るギロチン(刃は錆びていたが、鋭利だった)

 

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