角館から会津若松まで秋田自動車道、東北自動車道を経由し、磐梯自動車道を走る。
SAやPAではこんなものが目に留まる。トイレです。24時間自由に出入りできるからでしょうか。
あたまの上をツバメが何羽も飛んでゆくのでした。
どこぞの町が小野小町の出身地だとかで、小町と桜色がそここで見られました。
でもトイレまで桜色とは恐れ入りました。そういえばお米の銘柄にありましたね、「あきたこまち」って。
錦秋湖SA,名前に惹かれて寄りました。想像していた美しの湖の姿は全く見えなかった。
饅頭販売員さん曰く、道路からちらっと見えたでしょ。SAからは残念ながら見えないんだよね。
仕方ないね。またおやつのまんじゅうなど仕入れて車に戻ります。
この日、移動中は雨模様でしたが、会津若松に到着するころには雨があがっていました。
私達もボケてきました。今更ではないのですがねぇ。
泊まるホテルの駐車場に見おぼえあるよね、やっぱりきたことあるわ。二人で会話をしながらようやっと思い出しました。
去年の5月に同じホテルに泊まっていたことを…去年のことがおぼろげなんてねぇ・・・ま、いいか。
夕暮れまでの間、街歩きをしてきました。七日町、会津に来るたびにこの通りを歩きます。
民芸品の店や漆塗りの店を覗いたけれど、これといったものは残念ながら見つからなかった。
冷やかしのつもりで、この煉瓦色の暖簾をくぐりました。2階の梁の立派なこと。栗の木だそうです。
この築130年の雑貨屋さんから恵比寿様と大黒様が我が家にやってきました。こちらはどのくらいの時間を味わっていらしたんでしょう。
今回の旅は「チャグチャグ馬コ」を主役に据えて、ついでに周辺をのんびり廻りました。
盛岡でゆっくりしたかったので、手前の古川で一泊し、先々て消耗しないように体力の温存です。
古河は宿泊するだけで街歩きは考えていなかったですが、車で前を通り、面白そうなので引き返す。
酒造所の跡地利用で今流にアレンジして、食事処や雑貨屋さんがありました。
この酒店、元は酒職人の休憩室だったそうですが、店内には古いものを大切に使い活かしている様子が伺われ、好感が持てました。
一度ホテルに荷物を置いて、街を歩きました。
街の中にも面白いものあり。「BANK」の大きな文字が目に留まりました。
普通、○○銀行とか○○信用金庫とかって名称が入っていますよね。BANKという名前の店かと思っちゃた!
よく見たら、正面入り口にはちゃんと銀行名が掲げてありました。よかった。
化粧品屋さんの看板みたいな大きな口紅。よく見たらバス停!(^_-)-☆
カッコイイ町名。
種屋さんの看板横には横文字あり。( ^ω^)・・・そうね、種を蒔かなきゃ始まらぬ、そして丹精しないとね。
この信号機、日除けのつばがありません。
が、うつむき加減の角度は雪もつかず、日よけがなくても信号の色も見える訳ですね。
チャグチャグの前日は盛岡でのんびりしました。
盛岡といえば、ここ光原社にきます。宮沢賢治の「注文の多い料理店」がここから出版されました。
今は民芸品など扱っています。中庭がいい感じのスペースになっています。
珈琲店もあります。カウンターの角に置かれた白い壺にインク花が素敵な取り合わせです。
珈琲店の店内は松本家具の調度が渋い雰囲気をを醸していました。
光原社の民芸品店では出西窯の皿、とびカンナの 湯呑、小さなグラスを購入し,早速使っています。
ホテルのチェックイン時間までまだ余裕があったので、盛岡八幡神社周辺、鉈屋町を歩きました。
この辺りは北上川の水運が盛んな頃、栄えていたと聞きました。火の見櫓の建物、消防小屋です。
町家造りの家が通りの両側に何軒も見られました。
通りの向かいの甘味屋さんが、わざわさ格納庫のカギを開けて見せてくれた自慢の山車。
これから街をめぐるんだったらマストだよと推薦された湧き水2か所、大慈清水と青龍水、飲んできました。
地元の人がタンクをもって水汲みに来ていました。平成名水100選にも選ばれているそうです。
町屋が休憩所にもなっていて、皆、親切な人ばかりでした。
盛岡といえば三大麺、わんこそばに冷麺、そしてじゃじゃ麺が有名です。
わんこそばパス。あの食べ方にはついていけないもの。
麺好きの夫はじゃじゃ麺と冷麺をはしごしようと張り切ってました。
じゃじゃ麺は食べ方を見ながら食べたので、写真のことはすっかり忘れていました。
下の写真は、ちいたんたん(たまごスープ)。麺を少しだけ残して、スープを入れてもらいます。
満腹なり。とてもじゃないけど、冷麺の店にはしごする…なんてのは無理でありました。
次の機会の(あるかな?)お楽しみ。
こんなロッカー、いいですねぇ。盛岡駅構内です。
順不同ではありましたが、忘れぬうちに記しました。東北の旅、おわり。
無事に家に帰りつくことが有難いとおもうようになりました。