軽野造船所では歴史を伝えるデザインを作成しております。
以前より、
幕末の日本へと国交を結ぶべく来航したロシアのプチャーチン提督。
提督以下、500名が乗船していたディアナ号が、国交交渉の為に停泊していた伊豆下田にて、安政の東海地震に遭遇。それに伴う津波を受けて大破してしまいます。
大破したディアナ号を修理するため、西伊豆の戸田へと曳航中に宮島沖(現富士市)にて暴風雨に遭い、沈没してしまいました。
幸い、乗員たちは沿岸住民の懸命なる救助活動によって死者を出さずに済みましたが、500名のロシア人たちは帰国する術を失ってしまいました。
そこで幕府は、これを洋式造船術の習得する機会として、代わりとなる船の建造を申し出ます。
建造地は西伊豆の戸田。当時、三千人ほどの村に伊豆の船大工が集められ、500名のロシア人達と協力して造船が始まります。
戸田は波静かであり、湾口が狭いため外洋から湾の様子が見えずらいという地の利もありました。
ことばも通じず試行錯誤の中でも三か月で代船は完成。プチャーチン提督は世話になった戸田への感謝を込めてヘダ号と命名します。
元々の目的であった日本との国交交渉も進み、日露和親条約が締結。乗組員たちは無事、帰国する事が出来ました。
ヘダ号は後に日本に返還され、幕府は同型の船を4隻建造します。
この時のヘダ号建造に関わった船大工たちは、オランダに最新の造船術を学びに留学したもの、咸臨丸に乗船した者、海運会社・造船会社を設立した者など、日本の近代化に重要な働きをする人物を輩出して行きました。
この日本とロシアの友好を伝えるディアナ号とヘダ号の缶バッジセット。
この由来を伝えるカード付きです。
現在は「道の駅 くるら戸田」の売店にて販売しております。