情熱親父の心晴天!Part2

風景・イベント・ポートレイト・花・・・etc 何でも好きに撮ります。気ままな中年オヤジです。

首里城 Part2 内部編

2012-05-10 00:00:00 | 沖縄旅行シリーズ 風景編

今日は、首里城の内部を御紹介致しましょう。まず、中々、見れないでしょうから、来沖される時の参考にして下さいね。

また、ロマンを思い浮かべながら見て頂ければ嬉しいですね。

左写真は、展示物の様です。 右側写真は1階の「下庫理(しちゃぐい)」と言って、主に国王自ら、政治や儀式を執り行う場所であった。と、されます。

<首里城の遺構>  

首里城正殿は創建以来、戦火、失火により四度の焼失と再建を繰り返しています。下に見える石積みは、焼失と再建を繰り返した首里城正殿の

遺構です。現在の首里城はこうした遺構を保護する為に、約70㎝ほど、かさ上げして建築されています。

<御差床(うさすか)>

政治や儀式の際に国王が出御する王座である。左右には、国王の子や孫が着座した「平御差床(ひらうさすか)」がある。

 

<御差床(うさすか)>

国王の王座として様々な儀式や祝宴が行われたところである。お寺でよく見かける仏像を置く台(須弥檀)によく似ている。天井も高くしており、

格式をつけている。御差床の正面には御庭に面した小部屋があり、正月の儀式の時など、国王が、うちゅーい(椅子)に座り、御庭に並ぶ

諸官の輵見を受けた。



御差床左右の柱には龍が描かれ、そのまわりには雲が配色されています。

なお、国王の椅子については、1477年~1526年まで在位した尚真王の御後絵(肖像画)をもとに再現したものです。

2階にも1階と同じ場所に御差床があるのは極めてめずらしいと言われています。特に2階の御差床は絢爛豪華(けんらんごうか)な意匠となっています。



御差床の両脇の朱柱(しゅばしら)には金の龍と五色の雲が描かれ、天井は丸く上部に折上げて格式をもたせている。また、記録によると両脇の床には、麒麟(きりん)、鳳凰(ほうおう)の絵が掛けられていた。

正殿二階

正殿二階は日常的には王妃や身分の高い女官たちが使用した空間であり「大庫理(うふぐい)」と呼ばれていた。儀式の際には床の間には香炉(こうろ)、龍の蝋燭台(ろうそくだい)、金花、雪松等が置かれ、壁には孔子像の絵が掛けられていた。部屋の上部にはかつて中国皇帝から贈られた御書(ぎょしょ)の扁額(へんがく)が幾つも掲げられていた。「中山世土(ちゅうざんせいど)」の扁額(へんがく)は古い記録をもとに再現したものである。



南東隅の部屋は「おせんみこちゃ」と呼ばれ、国王自ら女官とともに毎朝東方に向かって拝んでいた。「御床(おとこ)」には神棚として神霊が祀(まつ)られ、女官は抹香(まっこう)を焚いて「火の神(ひぬかん)」等を拝礼した。身分の高い神女(しんじょ)の任命儀式なども、国王、王妃臨席のもとここで行われた。三階は主に通風のために設けられた屋根裏部屋である。

 

写真右は、「国王の玉冠(ぎょくかん)」です。皮弁冠(ひべんかん)、または玉御冠とも言います。国王が儀式の時に被る物です。

原資料は絹製で玉(金・銀・水晶・珊瑚・碧玉・ガラス)などで飾られています。この展示されている複製品は原資料の約1.2倍の

大きさに復元され布地は化学繊維です。

 

 

 17世紀に与えられた琉球国王印

中国の明朝(1368~1644)が滅びたあと、清朝(1644~1912)の皇帝から尚質王に与えられた国王印。この前に琉球は明朝から

与えられた国王印を返してこの印を貰っている。

 

                                案内のお姉さんを撮らせて貰いました。目が素敵な方でした。

 

どうです皆さん?少しは琉球王国に興味をもたれたのでは?昨日、今日と首里城の復元を、持ち帰った資料を元に、写真を交えて投稿しましたが、

改めて琉球の歴史にロマンを感じましたね。想像するだけで、ワクワクしてきます。

 

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