アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

日本史の謎は地形で解ける

2015-03-15 06:00:01 | つれづれ
先日、本屋さんをぶらぶらと覗いていたときのこと、「日本史の謎は「地形」で解ける」というそそられる表題の本が目に留まった。


 竹村公太郎氏という作者は、元建設省に勤務していた方の様子。その経験から「地形」を軸に歴史を読み解いていくというもの。
 たとえば、信長の比叡山の焼き討ちの動機とか、なぜ頼朝は鎌倉に幕府を開いたのかとか、従来の定説に対し別の異説を展開していく。

 ネタについて触れるのはご法度だが、そのユニークさを説明するため、ひとつだけ紹介すると、「半蔵門は本当に江戸城の裏口か」というもの。
 現代の感覚だと江戸城の表門は二重橋側とか大手門って感じになる。確かに大手町周辺や丸の内にかけてはメジャーな大名のお屋敷が並んでいて、いかにもそう見える。大手門という名前自体がそう見えるし・・・

 逆にその反対側にある半蔵門は、裏門とかいざというときの緊急脱出用の門という定説がある。だが、竹村氏はある浮世絵から、この説に反論をする。
 そんな本を読んでいるちょうどそのときに、小生電車の中でたまたま、あるクイズを見た。曰く「江戸時代の古地図は、家の名前が上下左右バラバラだが、これはなぜか」というもの。その解答は・・・家の入口を見分けるためと。


 つまり、「市川家」と左から右に書かれている場合、家の右側が入口だということ。だとすると、トップ写真のように「御城」と右から左に書かれている江戸城は・・・
 おお、まさしく竹村氏の説に合致するではないかって・・・と喜んでいたのもつかの間、こちらの地図(右写真)が見つかった。おお・・・これはダメだ(苦笑)

 だが、五街道のルートと江戸城の位置関係や、半蔵門と甲州街道の関係などから、自論を展開する氏の筆は進む。
 この本にはなかったが、安土城の大手門からの道のことを思い出した小生、江戸城にとっての、いや徳川幕府にとっての半蔵門の意義を再確認する機会となった。

 さらにさらに、ここから別の謎が展開されるのだが、どうやら紙面の制限がきたようだ(笑)。詳しくは、ぜひご覧になっていただきたいと。
 ちなみにこのシリーズ、三部作になっている。当然まとめ買いした小生、ガンガン読んでいる。やっぱり小生・・・仕事よりも歴史が好きだなあ。
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