喜多方でラーメンを食べた後は、蔵の街をぶらっと歩く。お約束のように酒蔵を見て、お酒を買ったりしていたが、ここまで来たんなら会津にも寄るしかない。
会津といえば、鶴ヶ城が有名だが、歴史マニアの小生としては、それよりも飯盛山のさざえ堂が気になるところだ。ということで、車を走らせる。
まずは白虎隊自刃の場に出向く。16~7歳の少年たちが、鶴ヶ城が燃えているのと誤認して自刃したという悲劇の跡だ。
今でも会津の人たちは、山口の人を許さないという。沿道の土産物にも、その気概を感じるようなグッズが並ぶ。
さざえ堂は、そのすぐそばだ。木造のこの建物は、江戸時代のものであるが、二重螺旋の構造で、階段がなく、上に昇るルートと下に降りるルートが違う。
世界でも珍しい構造で、かのレオナルド・ダ・ヴィンチが考案したというものを偶然とはいえ、日本でも作っていたことに驚愕である。
ここは、当然のように重要文化財に指定されているという。だが、その割に無造作な管理であり、いたずら書きも多かったし、きしみも感じた。
昇って降りるのはあっという間であるが、近いうちに入場禁止になるのではと思われ、いい経験となった。
この付近は、猪苗代湖からの疎水も流れ、風もさわやかである。白虎隊は、この疎水の洞穴を通ってきたという。
そのときにはこのさざえ堂も建っていた。何もかも見ていたことになる。一度昇ると同じ道を通ることなく出るさざえ堂・・・哲学的な意図すら感じてしまった。
この疎水がいろんな意味で歴史のクロスポイントになったことになるが、会津の農耕のために開発されたものという。
いろんな意味で、カンガイ(灌漑・感慨)深い場所であった。
会津といえば、鶴ヶ城が有名だが、歴史マニアの小生としては、それよりも飯盛山のさざえ堂が気になるところだ。ということで、車を走らせる。
まずは白虎隊自刃の場に出向く。16~7歳の少年たちが、鶴ヶ城が燃えているのと誤認して自刃したという悲劇の跡だ。
今でも会津の人たちは、山口の人を許さないという。沿道の土産物にも、その気概を感じるようなグッズが並ぶ。
さざえ堂は、そのすぐそばだ。木造のこの建物は、江戸時代のものであるが、二重螺旋の構造で、階段がなく、上に昇るルートと下に降りるルートが違う。
世界でも珍しい構造で、かのレオナルド・ダ・ヴィンチが考案したというものを偶然とはいえ、日本でも作っていたことに驚愕である。
ここは、当然のように重要文化財に指定されているという。だが、その割に無造作な管理であり、いたずら書きも多かったし、きしみも感じた。
昇って降りるのはあっという間であるが、近いうちに入場禁止になるのではと思われ、いい経験となった。
この付近は、猪苗代湖からの疎水も流れ、風もさわやかである。白虎隊は、この疎水の洞穴を通ってきたという。
そのときにはこのさざえ堂も建っていた。何もかも見ていたことになる。一度昇ると同じ道を通ることなく出るさざえ堂・・・哲学的な意図すら感じてしまった。
この疎水がいろんな意味で歴史のクロスポイントになったことになるが、会津の農耕のために開発されたものという。
いろんな意味で、カンガイ(灌漑・感慨)深い場所であった。
でもきっとここの為だけに出掛けたりはしなさそうですから(苦笑)、確かにいい経験になったかもですね。
でも、折角の重要文化財なのに、悲しい事ですね。。。