隣国韓国の戒厳令の突然の発表と、その後の混乱については皆さんにはご案内の通り。戒厳令の是非などを書くつもりはなく、マスコミの取り扱いなどから感じたことをつらつらと・・・たまには真面目に書くことにしたい。
あるテレビでは、戒厳令の発動とその後のデモ行動などを取り上げ、「韓国は民主主義が未成熟だ」というトーンで語られていた。
この言い方に強烈な違和感を覚えた。つまり、デモ=反民主的な行動であり、そのようなことをする人たちは民主的ではない、というトーンだ。
安部某が選挙の応援演説をしている時に、批判的な声をあげている人たちに「あのような人」と言ったのと同じ論調だ。
翻って、日本人に質問したと仮定しよう。「民主主義とは? 」と問えば、殆どの人が「多数決(つまりみんなの意見)で物事を決めること」というのでは・・・現にそう主張している国会議員をテレビで見聞きするシーンは少なくない。
確かに多数決は、民主主義のひとつの形ではある。だが、日本の場合は、「だから個人の意見を主張することはよくないことだ」と教え込まされていないか。よって、デモのような形でお上にたてつくのは良くないことだと・・・
ところが、韓国では、デモに参加した人たちは「民主主義を守るため」に行動したという。おそらく日本で同様なことがあっても、こんなことにはならないだろう。
たまたま、少し前に読んだ記事がある。こちらから引用しよう・・・民主主義が機能するためには、一人ひとりが平等に政治に参加して、「自分の意見をもち、それを主張すること」が必要です。異なる意見をもった人の間で議論が戦わされ、議論の末に意見が集約されて、政策が決定される・・・とある。
日本人の考える民主主義とは大きく違う・・・
この記事を書かれたのは明治大学の教授だが、なんと表題は「民主主義に合わない日本人の国民性」だ。
この記事を読みながら、有名な民主主義を一言で表した言葉「私はあなたの意見には反対だが、あなたが意見をいう権利は保証する」を思い出した。
予め断っておくと、小生は与党支持とか野党支持とかではなく、本当はこうじゃないの? という観点で書いている。
与党側からは、「野党は(対案も出さず)反対ばかり」なんていうのをよく聞く。だが、対案を出していないのでなく、出された対案を無視し議論の俎上にも乗せていないのも事実。
野党にしても、どうせ多数決で何を言っても否決されるから・・・というのも事実。本来は、与党であれ、野党であれ党で意見を拘束するのでなく、案件ごとにひとりひとりが是非を決めるべきだ。
少なくともかつての自民にはそうした行動が見られた。
誤解を避けずにいえば、たとえば「選択的夫婦別姓」とか「原発廃止」などについて、個人的には党の意見と別の意見を持っている議員さんもいるはず。
およそ、近年そうした議論すらなされていないのが実状では・・・と。
よく「俺はこんなことをしてもらいたくて、この党に投票したんじゃねえよ」という声を聞く。しかたないよと思いつつも、ある種正しいようにも思う。
各党の選挙公約に100%支持という人がどのくらいいるのか・・・だが、「多数決こそ民主主義」という議員たちからすれば、100%の信任を得たという行動をとる。
この国に民主主義が根付く日は来るのだろうか・・・
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