初谷温泉に行くにあたり、さすがにそのまま直行というのも芸がないので、立ち寄ったのが保渡田古墳群だった。
こちらは以前、吉永小百合の大人の休日倶楽部のCMでも紹介されていたが、そもそも小生が歴史マニアで、さらにいえば古代史マニアということで以前より行きたいと思っていたところである。
田舎から大学に行かせてもらうにあたり、古代史など専攻していたら、就職もおぼつかないだろうとあきらめた経緯があるが、小生・・・いまだに古代史と聞くと血が騒ぐ。
ナビを入れると前橋ICで降りて、ほどなく到着すると。ちなみに住所は高崎市であるが、いずれにしろ榛名山系の山なみを望む、郊外の広々としたところだった。
場所は公園となっていて、博物館も隣接しているが、今回は古墳だけにした。その名も保渡田古墳群といい、ここには二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳の三基がある。
築造時期は5世紀から6世紀にかけてということだが、三基とも立派な前方後円墳で、この地がかなり開けていたこと、そして有力な豪族がいたことの証明である。
築造順は二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳の順とのことで、まずは二子山古墳から登ってみた。
墳丘の高さは約10mというが、きれいに整備されていて、当時の姿をしのばせてくれる。この古墳は二重の空堀で囲まれていて、そこを含めると全長200mを超える。
また堀の中に祭祀を行ったと思われる中島が設置されている。高さは10mといいつつ、ここまで登ると地上と景色がけっこう異なる。
そしてここから一番きれいに修復されている八幡塚古墳に向かう。葺石で表面を覆われ、大量のはにわが設置されている姿は古墳築造時代の姿を彷彿とさせてくれる。
そう、現在の天皇陵などはうっそうとした木に覆われているが、築造当時は葺石によって人工の構造物として為政者の権力を見せつけるものだった。
大仙陵(伝仁徳陵)は大阪湾についた人間に権威を見せつけるために設計されているわけで、八幡塚のそれも当時の姿を見ていると考えてよいだろう。
サイズ的には二子山よりちょっとだけ小さいようだが、それでも100mを超えるこの大きな墳丘は為政者の力の象徴だろう。
ここも登ったが遠く妙義山や荒船山が見えた。そして後円部は地下に石棺があり、それを見に行くことができた。
見ていくうちに、古墳と言うより博物館のような意識になってしまったり・・・して。そして薬師塚古墳だが、近くのお寺の境内になっていて墳丘自体はかなり削られてしまい、後円部の一部が残されているだけという。
駆け足で見学したが、貴重な古墳を初心者でもわかりやすく展示してある貴重な施設である。皆さんも近くにお出かけの際は一度立ち寄られてはいかがだろうか。
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