右往左往の乳がんの日々

2012年7月乳がん告知。怒涛の術前化学療法・手術・放射線のフルコース治療終了。それでも、小さなことで揺らぎます~

二人の女性ジャーナリスト

2012-12-26 16:45:05 | 覚えておきたいこと
夏に思いっきり、身の回りのものを処分・・・「断捨離」というやつですね。
そのとき、かなりの本を捨てまして、
その経験から本を買って処分するという行為は、心が痛む。
それで、最近は図書館を利用することを覚えたのであります。

徒歩10分くらいのところに、地区センター図書室なるものがあって、
ネットで予約しておくと、そこへのお届けも可能。
図書室だから、図書館よりは蔵書の数は少ないけど、
まぁ、自分の読書量から見ると、十分

そんな中で見つけたのが、【がん】というタイトルのある本。
どうも、【がん】という言葉が入っていると、反応しちゃう・・・
二人の女性ジャーナリストのかなり古い本。
いろいろ読みまくり

中島みち氏と故千葉敦子氏、
中島氏は1970年、千葉氏は1981年に乳がんが見つかっている。
30~40年前のことであり、患者にはがんということは隠す時代。
両氏ともインフォームド・コンセント、
「医療側が真実を告げること」
「自分の身に起こることをよく理解できるように説明すること」
「自発的な同意であること」
を求めていた。闘争型の乳がん患者だったと思う。

今では、患者に対してがんであることを告知し、
医療関係者からの説明があったり、
がんの症状や治療方法などを説明した小冊子が用意され、
患者向けに書かれた書籍も手に入り、
また、それぞれの医療機関からのネット上での情報の開示で、
患者自身がその症状をより理解できうる環境に
おかれるようになってきている。

千葉氏が80年代、NYで再発の治療を受けた状況は、
現在の日本の状況に近いかと思う。
当時すでに、アメリカではドクター・レポーターが
「しろうとにも分かるがん情報」を流していたが、
彼女はさらに本で勉強して、準備をしてから医師と会っていた。
「医師が一から教えてくれるなどとは期待しない」とまで書いている。
残念ながら、1987年彼女は亡くなるが、納得のいくまで闘っていた。

その中で、彼女がデカドロンの副作用で治療を受けた日は
一睡もできずって書いていた。
私もデカドロンを受けていて、抗がん剤投与すぐはめちゃめちゃ眠くって、
居間でゴロンと横になって、夜になると眼ギランギランで眠れなかったことがあった。
デカドロンだったのかと、いやぁ~、30年前の彼女の本から学びましたワ。
主治医に聞けばいいものの、夕方寝ていたせいだなぁと
勝手に決め付けていた。しろうと判断は、あぶない



『患者本人が、自分の身体を観察することが、いかに重要であるか、
 医師の言葉を鵜呑みにしないことが、どんなに大事なことか。
 納得のいく説明を聞くまでは、しつこく頑張ることがどれだけ必要か。
 どんなに優秀な医師でも神ではないのだから、見逃しはあり得る。
 どんなに献身的な医師でも、患者以上に患者の身体に興味を
 持ち続けることはあり得ない』
 -千葉敦子「よく死ぬことは、よく生きることだ」抜粋-

中島みち氏も同様なことを書かれている。
彼女は、お姉さんそしてご主人を、がんで亡くすという悲しい経験を持つ。
『ふだん決して自律的に考えたり行動したりすることのない自立していない人間が
 病気になったときにだけ、突如、自律的になれるかと
 疑問を投げかける外国の学者もいます。耳が痛いです。
 それに、医療者と患者のあいだには埋めがたい情報格差があるのに、
 うっかり「患者が主役」などと祭りあげられてしまったら、
 選択の責任を背負わされて損するのは患者のほうだと思います。
 でもここは、いちばん!心を励まして自分が納得できるところまで、
 医療者に粘り、本物の主役になりましょう。
 医療の結果のすべてを引き受けるのは、後にも先にも一回きりの、
 この身体ひとつしかないのですから』
-中島みち「がんと闘う・がんから学ぶ・がんと生きる」抜粋-

彼女たちががんを罹患したのは、10年一昔というなら三昔、四昔の話。
医療の世界は進歩したのだろうし、中には治療の内容が変わっているのだろうが
手術や化学療法、放射線療法は続いている。
そして、今もがん=死という思いは、依然残っていると思う。

がん患者となって、日々、それも刻々と
いろいろな思いは変わっていくだろうが、
自分の抱えている疑問やら問題やらをじっくり考えて、
行動していかなければと、改めて感じる。

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