すぎな之助の工作室

すぎな之助(旧:歌帖楓月)が作品の更新お知らせやその他もろもろを書きます。

時に浮かぶ、月の残影58

2005-08-01 23:36:37 | 即興小説
銀のマントを羽織り、頭には銀の飾りがついた帽子、足には銀の「甲殻靴」を履いて。
撫子は、黒衣の首から掛けられた銀鎖の先についた、「天頂月下の声」と呼ばれる指先ほどの大きさの透明な珠をじっと見つめた。まるで、夜露。
翔伯は、左腰につけた、防具と呼ばれる銀の長剣の鞘を、左手でなでた。
二人、塔を出て、門の手前まで来ている。
灰色の石畳の道、その両脇には深緑の低木が茂る。
月光が、射す。

「……翔伯さん」
撫子が、「天頂月下の声」から目を外し、右隣に立つ人物を見上げた。
「私たちが身につけている物に『銀色』が多いのは、なにか意味があるのですか?」
翔伯は、ゆっくりと眉を上げた。
「ある。しかし、何故そう思った?」
「この長靴が、……銀の靴が、珍しくて。それからこのマントも。だから、何か理由があるのではと思ったのです」
撫子には、塔に来るまでの記憶が無い。だが、この銀色には引っかかるものを感じていた。懐かしい色だが、なぜか、珍しいとも感じていた。
「珍しいな。たしかに。塔の外の者なら、そう頻繁に使う色ではないな」
歩くぞ、と促して、翔伯は娘に言う。
「この銀は、月光から採取した銀なのだ」
「……光から、銀が採れるのですか?」
「そうだ。我々、「懐郷の塔」の人間がどうしてこの色を身にまとうか。それは、月光の銀が『時を固める』からだ」
撫子は、ゆっくりと瞬いた。
「『時を、固める』?」
「ああそうだ」

月光の銀は、時を固める。

撫子は、その言葉を自らの口が紡いだ途端、奇妙な既視感を覚えた。
それは、私が、……私が……
心の中に、続く言葉が生まれたが、あっという間に粉々に砕けて消えて。
撫子は、言葉に詰まる。
翔伯の説明を、聞くしかなくなる。

「月光の銀とは、月のものではない。正確に言うなら、他から月へと銀を振り掛けたが、受け入れられずに弾かれてしまったものなのだ」
我々は、その銀を利用して、これらを造って使っている。
翔伯が、その時浮かべた抑えた笑いには、懐かしさと、苦しさが混じっていた。
「かつて、懐郷の塔に、『祈職』という者が存在した。この銀は、当時、彼らが月へ掛けてきたもの」


時に浮かぶ、月の残影57

2005-08-01 01:18:12 | 即興小説

菊……。

「きく……」
「桔梗、桔梗」
李両は、涙を流してうなされる桔梗の肩をつかんでゆすった。
「桔梗、」
青紫の髪の女は、しかし、その辛い眠りから目覚めることを拒むかのように、うめきながら首を振った。起きるのを、嫌がった。
「き……く……」
恨めしい恋敵の名を呼んで。罪悪感を与え続ける女の名を呼んで。
「桔梗!」
李両は、大きな声で呼ばわると、女の右頬を平手で打った。パン、という、乾いた音がした。
桔梗の身体はびくりと震えた。
「……あ、あ、」
自分の意思とは無関係に、夢の只中から引き抜かれて、桔梗は、混乱した。
「……き、菊? きく?」
呆然と目を見開いて、ただいま眠りから覚めた桔梗は、頼りない意識で惑う。
「起きろ! それは夢だ桔梗」
李両は横たわる女の両肩をつかんで、再び、今度は前より強く揺すった。
「ゆ、め?」
夢の海と、現の陸との波打ち際にいる桔梗の問いに、李両は「ああ。夢だ」と言い切ってやった。
「夢だ桔梗。起きろ」
目を覚まさざるをえないように、背に手を差し込んで上体を起こしてやる。
肩を抱かれて支えられた桔梗は、それまで見開くばかりだった瞳にゆっくりと瞬きをさせ、唇から悪夢の残りを吐き出すかのように大儀そうに息を長く吐くと、「ああ」とつぶやいた。
「夢。……ああ。夢、だったの」
寝室の開け放たれた扉の向こう、書斎の窓に浮かぶ月を見た。
「本当だわ。月が、昇っている」
かすれた声には、安堵と絶望がせめぎあう。
「月が……菊、菊の、月が……」
悪夢とは違う、ある感情からくる涙が、桔梗の瞳から溢れて流れた。それは透明な色をしていた。
「ああ、」
桔梗は、両手で顔を覆って、背を丸めた。
しばらく、女はそうして泣いた。声を殺して。
男は、女の肩を抱いて、瞳を伏せ、無言でただ寄り添った。
月の光のみが届く、無言の夜があった。

「李両……」
桔梗が、疲労と悲しみとが混じった、力のない嘆きに似た声を出した。
「なに? 桔梗」
静かに低く、李両が返す。
「何度も、聞いたかもしれないことだけれど、また、教えて?」
李両は、その先の問いを知っていた。何度も、答えてきたから。月が昇って、桔梗が壊れて、そして今まで。
「ああ」
「菊の最期は……『天頂月下の声』は、悲しい、声だったの?」
桔梗は月を見つめる力もなく、ただうなだれて答えを待つ。
李両は、月の姿を目を細めて見つめて、答える。
「さあ。それは、これから、決めること。菊の歌声、祈りの声は、いつも、きれいだったよ」