本来、政治というのは人々のために行われるはずである。
ところが古今東西、政治によって人々は苦しめられてきた。
どうしてそんなことになってしまったのか。
政治の役割は、人々の利害調整だ。
日本の古い村落共同体でもそうだっただろう。
今風に言うと、町内会費を集めて、どのような活動をするか。
町内のゴミ箱をどこに設置するかというのが政治である。
国家レベルになると、ゴミ箱は米軍基地、原発となる。
利害調整に失敗すれば、戦争となる。
なぜ戦争になるのかというと、今も昔も、戦争を防ぐためのメタな「政府」が存在しないからだ。
国連が機能していない理由はいくつかある。中でも、核兵器を独占している5大国の存在と、束縛を嫌う国家を超えた「資本」が実は最も力を持っているという点が大きい。
「安全」の確保は、政治の一番の目的かもしれない。
日本でも、武士が政権を握っていた時代が長い。
ヨーロッパは人口が少ないので、人々が兵士となり参政権を持った(民主政治)。
人口の多いアジアは被支配層から兵を集め、専制的な支配形態となった。
その争いには、単に資源(水や食料を含む)だけでなく、宗教や民族の違いという「偏見」(=勘違い)も加わった。
150年前には資本が国家を巻き込み、市場としての植民地争奪戦となった(帝国主義)。
現代では、グローバル経済という名の弱肉強食の、いかに生き残るかという争いが行われている。
これくらいまでの話だと、民衆の苦しみは為政者次第ということも成り立つ気がする(そう思わされていたのだが)。
「煙立つ民のかまど」の例を持ち出すまでもなく。
が、ことはそんなに単純ではない。
というのは、実際に支配しているのは、「政治」ではなく「経済」だからだ。
一つ例を出そう。
日本の地方で、農業中心に人々が平和に暮らしていたとする。
そこに、東京の資本が入って、巨大なショッピングセンター、飲食・観光施設等を作る(裏の世界も同時に)。
つまり、地方の行政を中央の資本が支配するということだ。
こういったことは現実に起こっているわけだし、今に始まったことではない(江戸時代に力を持っていたのは大商人)。
現代では、グローバリストが国家を飛び越えて活動している。
日本どころか、アメリカさえも支配されている。
ある人がこんなことを言っている。
『今の世界は、戦争の拡大によって発展しようとする勢力と、もうそういうやり方は嫌だという勢力の最後の対立の場面のように見える』
こう考えると、コロナ=ワクチンもウクライナやイスラエルの動きもわかってきそうだ。
政治だけの問題であれば物事はわかりやすい。
ところが「経済」が加わると、途端にわかりにくくなる。
目に見えないし、隠されてきたから。
それをいいことに、グローバリストは世界を股にかけて暗躍している。
政治よりも力が上なのだから、我々が政治で対抗しようとしてもどうにもならない。
しかも、奴らはマスコミや心理学を使って、あの手この手で攻めてくる。
母国はないのだから、自国(?)の民衆のことを考えるわけがない。
東京の資本が、地元の人々のことなんか思わない。
そして、不満は政治に向かうように仕向けられる。
彼らの関心は「金もうけ」だけ。
それを資本主義というのだ。
日本の政党に、明確に反グローバリズムを掲げるものはない。
コロナ=ワクチンもウクライナもイスラエルに対しても一色。
しかし、少しずつ人々はおかしいと気づき始めている。
本来、我々の方が圧倒的多数である。
我々は、マスコミに誘導されて「文句」を言うのではなく、はっきりと「NO!」を突きつけなければならない。
ワクチンはもういいでしょう
石破くんの所信表明演説のポイントはここ。「かつての日本は、今ほど豊かではなかったかもしれません。しかし、もっとお互いを思いやる社会でした。皆に笑顔がありました。いつの間にか、日本はお互いが足を引っ張ったり、悪口を言い合ったりするような社会になってしまったのではないでしょうか。私は、もう一度、全ての国民の皆様に笑顔を取り戻したい」
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