かつて銀昆で…

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寝ごと

2024-03-26 21:08:12 | 日常の素描
昼間の電車の中、シートに座る人たちはそこそこ。
風通しのいい車内風景である。
おれの近くに座る男性、
40歳前後であろうか、
昼間なので会社員ではないと思う。
ダウンジャケットのラフないで立ち。
最近、40前後のこの手の男たちがたまにいる。
仕事は何をしているんだろう?
よくわからない。
阪急宝塚線の普通電車、
雲雀丘花屋敷ゆきだ。
もうこの駅名だけで詩になりそうだね。
おれは岡町まで行く。
十三を過ぎてからのこと、
そのダウン男がなにか言ったのだ。
「はい、そこのところがなんとかかんとか」
聞き取れなかった。
だが、男は眠っているのだ。
つまり寝言か。
また言った。
「もうそろそろやらないと……云々」
最初は滑舌がいいのだが最後の方はわからない。
電車の中で寝る人の寝言は初めての体験だ。


2021年8月から9月までのひと月入院したとき、
4人部屋だった。
となりのベッドの男が寝言の人だった。
真夜中、
「アパラチア!」
「どんづるぼう!」
という言葉を結構な声を張り上げた。
おれは目が覚めた。
カーテン1枚を隔てただけでその声はよく聴こえるから。
アパラチアは山脈という言葉が組になっているような言葉だ。
学校で習った。
どんづるぼうは、屯鶴峯と書く奈良県二上山の景勝地で、
香芝市にある県指定の天然記念物。
遠くから眺めると鶴が屯(たむろ)しているように見える。
この2つの寝言は実に印象的だった。
「どういうおっさんなのだろう?」
と興味を持って翌朝、看護師に聞いてみた。
元野球選手だという話だった。
プロかどうか知らない。
社会人かもしれない。
すこし前、この男が落とした硬球が、
おれのベッドの下まで転がってきたことがあった。
話しかけようと思っていたが機会を逃した。
おれより先に退院、もしくは転院されていった。
この人の寝言は強烈だったな。



荒忙なる言葉

2024-03-22 10:41:58 | お勉強
荒忙という言葉がある。「こうぼう」=狩猟や酒色などに耽ること……とネットの精選版日本国語大辞典で解説されている。『当世書生気質』坪内逍遙に使用例があるとも記されている。

おれは、山本周五郎の短編小説で出会ったと記憶している。そこでは多忙と同じ意味程度の使い方だったと思う。そして今、とある人とのやり取りで山本周五郎を読み返している。書籍ではなく電子書籍。青空文庫には周五郎の小説が沢山ある。


周五郎をよく読んだのはいつ頃だったのだろう。劇団を結成してしばらくした頃だろうか。24~5歳だったと思う。それ以前、高校時代に漢文の先生から勧められて、『季節のない街』『さぶ』は読んではいた。だが、高校生に周五郎は刺激が足りなかったのか集中した読者にはなれなかった。


この年齢になると波長というか気温が合ってくる。とくに短編は読み易く面白い。そういうものをこの数日で十数篇読んだ。移動中も読めるから電子書籍は便利だ。


その前まではこの三冊を並行して読んでいた。二ヶ月くらいかかって読み了えた。


それから山田太一さん、石垣りんさんの随筆集を読み、いま周五郎である。未読の『正雪記』『樅ノ木は残った』を読もうか、それとも筒井康隆さんの最後の作品集『カーテンコール』前作『ジャックポット』方向に行こうか考え中だ。


パローレパローレパローレ!

2024-03-16 22:52:25 | 日常の素描
ダリダとアラン・ドロンの歌「甘い囁き」
♪~パローレ、パローレ、パローレ~
言葉、言葉、蓮っ葉なことば!

カフェや街角でそんなパローレを聴く
すごく平静な差し向かいの席で
女性から男性へのひと言
「ねえ、どうしてくれるのよ」
険しい目つきでもない、純情なたたずまい
だけど言葉は剛速球

こういうことばを投げかけられたらね
空の話とかみどり色の湖の話はできないね

「ねえ、わたしのこと、ちゃんと見てる?」
「見てるよ」
「そうは思えない」
「そうかな」

そんなセリフを芝居で書いたことがあって、
女優達から、
「そないな言い方、しませんで女は」
と言われたことがある
でも、言う人っているような気がする
違うのかな

言葉ではなんともならない
なんて言えない


日々淡々と

2024-03-09 22:50:48 | 日常の素描

ここ数ヶ月かけて書いてきた某氏の自叙伝がまもなく仕上がる。

2019年頃にこの某氏の自叙伝は文庫本三冊で刊行しているのだが、
今回はその続編、つまり第4巻目ということになる。
 
信頼してもらっているのか、一年以上前から依頼されていた。
ただ、内容的にかなりハードであるし、おれ向きの内容ではない、
そんなふうに思っていたので固辞してきた経緯があった。
つまり、裁判や選挙などおれには書けない世界の話が多かったのだ。
しかし、結果的には根負けしてしまったというべきか。
 
おれよりちょうど10歳年上の方であることも含め、請け負った。
そして、書けば何とか書き進めることが出来て、仕上がり直前である。
400字詰め原稿用紙で200枚程度になる。
月2回直接会って話を聞き、その上で原稿を書く。
それをチェックしてもらってさらに修正していく。
これをここ数カ月間、くりかえしてきたわけだ。
 
以前に刊行した三冊の自叙伝に登場する人物のうち数名がこの世にいない。
ここ3~4年のことである。そのことも新しい巻に書いた。
 
5月頃には書籍となる。
 
 
この春からラジオ番組がまた2本増えることになり、忙しくなる。
新しい番組はそれはそれで面白いのだがもちろん手間もかかる。
1本は若い女性がパーソナリティの番組で、
彼女が挙げてきた歌の半分は知らないミュージシャンだ。
それらを聴いていると、それなりの良さに気づくことがある。
 
ラジオ番組は、京都、大阪、神戸の三都市でかかわる。
京都に行き、神戸にも出向く。
いつのまにか構成作家ではなくディレクターになっている。
機械操作などはダメだと言っているし、編集もしないよ。
ジングルも作らないけど、たまに出演するくらいはアリ。
そんな感じで67歳の今を送っている。
 
 
農業雑誌の編集者も定年の時期が来ているようで、
果実系雑誌の担当者がこの三月で引退する。
実は彼とは顔を合したことが一度もない。
メールと電話だけで事が済む時代だからね。
もう一誌の担当者もまもなくかもしれない。
彼女とは何度か顔合わせをしている。
旦那がおれと同い年と言っていた。
すでに仕事をしていないのだろうか。
 
さて、この農業関係の仕事もいつまで継続することやら。
 
 
この週末と週明けは、とにかくラジオ台本製造期である。
今日までに4本仕上げ、明日4本、週明けに4本で、
さらに新番組が3本+3本を木曜日あたりまでに仕上げる。
 
 
 
もう、淡々とやっていくしかない日常である。
 
 

休日の過ごし方

2024-03-08 22:26:28 | 日常の素描

 

休みの日の過ごし方。

請求書を作成して郵送する。溜まった書類を処分する。コンビニでプリントアウトする。レターパックで原稿を送る。書店で本を買う。新刊書が多くて迷いながら選ぶ。文芸書と評論類の割合は3:7。ほんと小説を読まなくなった。家電店で乾電池を買う。単三単四リチウム電池などなど。

そして、よく行く珈琲店で濃いめの一杯を。カップの下に鳳凰がいた。
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今日は風が冷たく寒い。すれ違う人々はみなコートの前をきちんと閉じている。もう風呂屋が開いている時刻なので銭湯へ。この近在では天神橋筋商店街にある。幼い頃の湯は豊桜湯というところだった。その頃はまだシャワーなどなく、湯客は押し栓の蛇口からの湯と水で適温にしたり、直接湯舟から盥で湯を掬い取っていた。
 
関西の風呂屋は、湯舟の周辺に座るところがあって、そこで体や髪を洗う人もいた。幼い自分もそうしていたと思う。木製の椅子に座ることもなかった。カランからの湯と水は子供には使えない感じだった。
 
石垣りんさんの随筆にこういう話があった。
 
ある夜、風呂屋に行くと、となりの女に「襟首を剃ってほしい」と頼まれる。カミソリを使ったことがないので断るが、「大丈夫、あてるだけで剃れます」と言われ、石垣さんは剃ってやる。剃られながら女は、「明日、花嫁になる」と言ったそうだ。驚きながらも石垣さんは、街に親族も知り合いもいない働く女だと考える。神奈川県の農家に嫁に行くと。嫁入り前の不安を語る知り合いもいない。美容院へも行かないと石垣さんは想像する。見も知らぬ人に襟首を剃ってもらう。彼女はいろいろ苦労して来たこと、30になって結婚することなどを話したとか。かなり昔の話で、石垣さんは彼女の行く末をふと気にしている。
 
もう一度、ちゃんとこの随筆を読まなければ。