かつて銀昆で…

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自転車乗り

2024-11-21 09:08:05 | お勉強

「人生、下り坂最高!」と言っていた人が、銀の坂道をのぼって遠いところへ行ってしまった。番組の中で出会った人々は今、この役者の死を悲しんでいることだろう。「おはよう、おはようございます」の言葉で始まる朝の番組を結構よく観ていた。


DVDブックス「鬼平犯科帳」の仕事をしていた頃、中村吉右衛門主演のシリーズ全作を観た。今そのDVDNursing HomeにいるYの元にある。一話ずつ観た感想をYLINEで送って来る。


この「鬼平犯科帳」の何作かに自転車乗りの役者は出演していて、最新作にもレギュラーで出ているようだが、旧作ではワケアリのキャラクターで出演していて、いい芝居をしていた。


想い出すのは、近江八幡の水郷地帯の川のほとりでの演技だ。情けない役柄だったが、そこに魅力を溶け込ますのがうまかった。俳優にはいろいろなタイプがあるが、あまりこの役者のような雰囲気を出す者はいない。


「鬼平」の原作者である池波正太郎がみずからこの役者の名前を付けた。ゴッドファーザーである。池波正太郎から一文字取っている。なぜ命名者になったのか、そのあたりの経緯を小説家はエッセイなどに書き残していただろうか。


自転車旅の番組はこの秋からピンチランナーによって制作されていて、柄本明、田中要次、田中美佐子、照英などが自転車を漕いだ。田中美佐子の回が良かった。女優はやはり基本的に強い性格をしているのだなと感じた。


この番組は2010年にスタートして、今までに14年の歳月が流れている。その中で好きな回が5本ある。


一本は、東日本大震災から少し経った日に宮城県石巻の日和山公園を訪れた回で、近くの女子高校生との交流が撮影された。そして、それから何年か経ってからその時の女子高校生から手紙が来て、母になったと報せている回だ。年月が作る物語の面白さと深さがいい。


北海道の岬へ向かう道を自転車で走った少年とその家族の回で、その少年が亡くなってしまったことを追慕する親からの手紙に沿って、同じ道を行く回だ。小さな自転車を漕いで親の後を付いてきた少年の姿が目に浮かんだ。


岩手県花巻市にある宮沢賢治記念館の回も、やはり亡くなった少年のことを思い出す内容で、館内の椅子に座った少年の写真と同じ構図でこの役者が座って、「来たよ」という内容だった。余計なセリフを言わずに、ただ座っていた姿がよかった。


桃の産地を走っていて収穫している農夫とその娘に出会い、桃の実をもぎ取った回があり、それから数年後、農夫が亡くなったことを娘からの手紙で知らされ再訪するというもの。


もう一本は、熊本県のどこかの街を訪れ、とある一軒の家でお茶を飲ませてもらってから数年後、同じ場所を訪れると、お茶を淹れた女性と偶然に出会うというもので、寡婦なのだろうか、一人暮らしに見える老いた女性が、この自転車乗りの訪問にきらめくように喜ぶその姿がステキだった。


よく、「人誑(たら)し」というが、誑すというのは、たぶらかし、騙すことであり、言葉で相手の心をヘンにしてしまうことだが、この自転車乗りは言葉ではなく、声、そして人柄で、相手をその気にさせてしまうとしか言いようがない気がする。


二年前のラジオ番組の内容

2024-11-03 11:42:42 | 日記
「読書の秋、おススメ本!其の壱」

11月6日(日曜)午後5時30分からの「サンデー・トワイライト」は、上野が最近読んだ本のお話をします。


『イケズな東京~150年の良い遺産(レガシー)、ダメな遺産(レガシー)』というタイトルで、国際日本文化研究センター所長の井上章一さんと、建築家で東京藝術大学教授の青木淳さんの対談+リレーエッセイ本です。


『イケズな東京~150年の良いレガシー、ダメなレガシー』は中公新書ラクレから出ている本なんですけど、井上章一さんというのは実に面白い人物です。


井上章一:国際日本文化研究センター所長。専門は建築史・意匠論、日本文化や美人論、関西文化論など多岐に渡る研究をする学者で、阪神タイガースファンでもある。著書には『霊柩車の誕生』『つくられた桂離宮神話』『美人論』『南蛮幻想』、最近注目を集めた新書本として『京都ぎらい』などもある。

青木淳:建築家で、東京芸術大学教授。現在は京都市美術館館長を務めている。横浜生まれ。


井上章一さんはこんなことをこの本で述べておられます。

新型コロナ禍で東京のオフィスから人が減った。リモートワークをする。会社がある都心部の高層ビルから人がいなくなり、田舎へ引っ込む会社も出ていた。おもにIT系の会社だ。この様子を井上は、江戸時代に入って天守閣が造られなくなった城を例に書いている。実用的な意味がなくなった天守閣。東京の高層ビルにどこか通底する。

この天守閣なるもの、江戸時代、商人の家には許されない高さだった。高みから武士を見下ろすな!という考え。しかし、その武士は商人から金を借りていた。三井や住友などである。この反動で、明治維新で武士階級が解体されると、商人は背の高い建物を建てた。これは現在も続いている。


フランス文学者の桑原武夫氏は「身分制の廃止という点については、日本のほうがはるかに徹底している」と明治維新とフランス革命を比較している。


文化庁の京都移転について井上氏はこんな見解である。

文化庁の職員たちの間に「都落ち」感が強い。東京で子育てをしていい学校に行かせたいのに、それができなくなる。京都みたいな田舎にいい学校はない。官僚たちにとって双六の上がりはどこの省庁も最終的に「東京」。しかし、文化庁だけが京都という田舎に来る。これが堪らなくイヤだと思っている。


東京都というのは、「東の京都」という意味なのに、「西東京市」とか、高校野球で「東東京地区」なんて出てきている。「京」も「都」も「みやこ=中心地」という意味。東東京なんて麻雀用語「トントンキョウ」ではないかと、これは青木淳氏の指摘。


青木淳氏はこう語る。

2020年の東京五輪の新国立競技場は、ザハ・ハディドさんの案が選ばれたのに、費用が掛かりすぎるということで却下された。そして、隈研吾の無難なデザインになってしまったわけだが、そうなると、以前の国立競技場を建て替える必要があったのかどうか?


井上章一氏はまたこうも語る。

京都には景観規制、景観条例があるけど、ヨーロッパから比べたらかなり緩い。河原町四条から通りをみると、建物はもうてんでバラバラ。また、イギリスの建築家を道頓堀に連れて行ったら、「ここは、何をやってもいいところなのか!」と叫んだという。


第二次世界大戦中の1943年7月19日、イタリアの首都ローマは連合軍から初めて空爆を受けた。その翌日にイタリア軍の参謀本部は「戦争をやめよう」と国王ヴィットリオ・エマヌエーレ3世に掛け合っている。ムッソリーニの逮捕と連合国への休戦申し込みを空爆の翌日に決断している。誰もローマに爆弾が落ちるとは思っていなかったのだ。コロッセオが、バチカンが燃えていいのか?そんなことは断じて許されない。フランスも、パリが燃えるのが許せなかった。

しかし、わが日本の参謀本部は、連合軍の東京空爆を3年4ケ月持ちこたえた。東京が焦土と化しても戦争を継続した。その結果、東京には江戸時代からの建物が残っていない。日本の政府は建築物などどうでもいいと考えていたのだろうか。


井上氏はこうも指摘する。

『大改造!!劇的ビフォーアフター』という番組で、建築の達人や匠が家の床にビー玉を置いて、ビー玉が転がると「傾いています!シロアリがいるかも」「こんなふうに床が傾いていると三半規管に悪い影響を与えます」「頭が悪くなる!」とか発言する。しかし、ベネチアの建築家はその話を聞いて、「ベネチアの建物は床にビー玉を置いたら必ず転がる。しかし、三半規管に問題がある者はいない」という。「家が傾いていると勉強ができない子供になる」という説に対して、「斜めの方が頭は活性化する」という研究論文もある。垂直に立つということは、傾くのを補正しながら立つのであって、その方が頭は活性化するのだ。


さらに井上氏は、神戸女学院のことも述べている。

ここはヴォーリズが校舎を設計し、配置した美しいキャンパスだが、あるシンクタンクのスタッフが2000年頃、こんな発言をした。「こんな築60年の建物なんか、維持管理するだけで、ドブに金を捨てるようなものです」。

……この本を読んで感じたことをお話しします。お楽しみに。

何度も書き替える劇中歌

2024-11-01 22:39:58 | お勉強
花ざかりの森

(壱番)
花ざかりの森には いつも妖気が立ち込めて
花ざかりの森には 忘れられない人がいる
戻れるならば戻りたい 二度と還れぬあの世界
聞くも涙 語るも涙の 十四歳の純情詩集


(弐番)
神隠しの径には いつもそよ風吹き抜けて
神隠しの径には 後ろ姿のあの人が…
交わせるものなら交わしたい いつか夢見たあの褥
寄せては返し 返せば寄せる 少年少女の夏の友


(科白)
私を花ざかりの森へ帰してください。私はもう長い間、ここにいます。
もうあなたは満足したでしょ?
これ以上私を引き留めておくことはないはずです。

(葎番)
胸騒ぎの夜には 空が見事に澄み渡り
胸騒ぎの夜には 星が幾つも降り濯ぐ
愛せるならば愛したい 愛の意味など解からずに
いつか逢える 必ず逢える おんなじ匂いのあの人に

(科白)
私はまたあの花ざかりの森へ帰り、なつかしい人達に逢います。
やはりそれがサダメなのですわ。
眼の前に一本の光り輝く道が伸びていて、その向こうは霧にまみれた世界
足を踏み入れた途端、私の新しい物語が始まります。
新たに始まった物語には、とうとう終わりがありません。

(伍番)
花ざかりの森には やはり妖気が立ちこめて
花ざかりの森には 二度と戻れぬ霧世界
出逢ったことが運命か これが芝居の幕開けよ
聞くも涙 語るも涙の 百歳老婆の恋愛詩集


作詞:上野卓彦
作曲:山崎秀紀
唄:銀色昆蟲館少年少女絶唱歌舞音曲團