かつて銀昆で…

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『百年の孤独』

2024-07-31 21:55:19 | 日記

この本を読んだのは1983年のことだ。1982.7.30の11刷、1500円の新刊で購入した。悪戦苦闘しながら26歳の僕は読んだ。この鬼シュルレアリズムの高湿気と破滅の物語は、当時やっていた芝居にそのカケラも映すことが出来なかった。百年という言葉だけを盗用して「風屋敷百年物語」という、雨が降り続く日本家屋の不義の物語を書いたが評価されなかった。今年この物語が復興した。文庫本になった。すぐに購入して、今日ようやく読み了えた。この小説が翻訳された当時の文壇、作家の反応を筒井康隆が解説で怒っている。この小説を読んだことと読まなかったことで何がどう変わったのかはわからないが、この物語のなかに身を置いているときの自分の感触をいまだに持ち続けているのが不思議である。やはり湿気と干魃のせいだろうか。

文庫本を買う

2024-03-08 09:45:11 | 日記

 

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石垣りんさんの随筆「花嫁」のことをかつて書いた。
うろ覚えだったので、ちゃんと読みたいな、と思った。
『朝のあかり』という文庫新刊になっていた。
 
文庫本の棚をまわっていると、先ごろ亡くなった山田太一さんの随筆を見つけた。
氏の本は割とよく読んでいる。
戦前生まれの矜持とストイックさ、独特のダンディズムも感じる作家。
寺山修司と同級生だった。
青森生まれの才気溢れる少年と、浅草生まれの都会っ子の文学青年の交歓。
そこが気になるのだった。
 
さらに、マンディアルグの文庫本。
『オートバイ』は若い頃に読んだな。
悦楽の小説。
しかし、ミシェル・フーコーの講義でこう聞いた。
1960年代後半の学生運動の頃、性の改革を進めることが運動の主体となったが、
フランスの若者はセックスに熱心ではなく、
ドイツの若者は真面目にせっせと性に向かったとか。
日本では四畳半の部屋と風呂屋の石鹸箱の音か。
なんだか物悲しいな。
ま、そういうことはね。

木村蒹葭堂

2024-01-08 18:17:58 | 日記

調べものがあって、北堀江にある大阪市立中央図書館へ行く。休日なので来館者が多く大半の席が埋まっている。だが、空間設計がいいのか混雑感はない。4人掛けデスクに座り(もちろんほかの3席は座っている、年配者2名、大学生1名)、ゆったりと資料を読み、書き物をすることができた。途中、珈琲タイムで屋外に出たとき、敷地の片隅に顕彰碑を見つけた。

木村蒹葭堂……この人物は、大阪在住の人なら一度は耳にした名前かもしれない。江戸中期の文人であり蒐集家であり、本草学者であり博学者である。元々家業は酒造業であるが、酒造株を他人に賃貸して生活の糧を得ていた。年に三十両の収入だったというから中流の下の方の暮らしだった。

だがこの多趣多才な男、妻と妾と同居しているのである。本妻は結構嫉妬深かったようだが、それでも妻妾同居をやめない。三人で長崎旅行などもおこなったという。このほかに娘が一人、下女一人の五人暮らしだったというが、女性ばかりのなかに住んでいたということだ。なかなかの人物である。

27歳で『山海名産図会』を著し、その後さまざまなジャンルの書を上梓する。『銅器由来私記』『桜譜』『禽譜』『貝譜』『秘物産品目』『本草綱目解』等々。以前、NHKの「ダーウィンが来た」という番組で、”イッカク”というふしぎなクジラを特集していたが、ここに登場する日本の古文書は、蒹葭堂が編纂した『一角纂考』だった。また、文学にも精通していて、漢詩を書き書画もうまかったという。語学ではオランダ語やラテン語も解したそうだ。

諸国から来る者に蒹葭堂の名前は知れ渡っていて多くの来客があった。本人はそれに困惑し、「人気があるのも困ったもんや」と言ったところ、朴訥だが口が悪い友人に、「お前に人気があるんやなく、お前が持っている物に人は寄って来るんだ」と言われて、大いに恥じた……と書かれている。

蒹葭堂とは彼の書斎の名称である。ケンカ早い人だったわけではないようだ。同時代の友人には、司馬江漢、上田秋成、頼山陽、本居宣長、伊藤若冲、与謝蕪村、円山応挙、平賀源内などがいて、1700年代後半という時期に町人文化、都市文化が花開いたかが分かる。


YAMAHA・FG-240

2023-08-22 06:11:46 | 日記

YAMAHAFG-240に新しい弦を張る。

なかなかいい音で鳴る。

久しぶりに弾くと、柔らかい、いかにもフォークソングを奏でるギターだということに気付く。

このFG-240は数々の銀昆の舞台で活躍した。

まだヤマザキヒデキが劇音楽の作曲を担当する前までのことだから、

1980年代前半だろうか。