有意義な時間でした。
この二人が、僕が今最も感心のある日本人だと言っても過言ではありません。その二人が、対談しているのですから、おもしろくないわけがありません。
なるほど納得ということばかりです。書くためにも体力がいるということ、少し前までは心を優先するばかりに体を軽視し(心身二元論)、それが結局作品に影響し(作り話に落ちる)、早死にもつながる(太宰や芥川)こと、書くことは井戸に入り、黄泉の国に行くようなものであること、終戦を機に、日本人は暴力のはけ口を失ってしまったこと(考えられないような残虐な事件の温床になっている)、痛みの伴わない正しさは決して自分のものにならないこと、何にもないところから自分のスタイルを築いていくしかないこと、殺人(自殺も含む)でしか救われない人も存在すること、小説は作者にとっての癒しでもあること、その他その他。
村上春樹が、29にして突然小説を書きたいと感じたことも、正直ほっとしました(また比べてる!)。私は、様々な経験(浅いけど)の末、大学を出るときカウンセラーになりたいと希望しました。そしてそうなるべく、努力もし実践もし勉強もした。しかし、去年行っていた面接が頂点を越え、クライアントが変わったとき、私も変わってしまったのです。いや、元の鞘に戻ったと言う方が適切なのかもしれません。ある日突然、こう思ったのです。「小説を書こう」と。その瞬間が、偶然に29だったのです。
そして今、頭の中だけでなく体も心も、小説のこと(と彼女のこと)しか、見事にないのです。すっぱりときれいに。大学院に行きたいという思い(臨床心理士になるため)も、さっぱりなくなってしまった。セラピストを名乗る私は、どこか落ち着きがなく、うしろめたさすら感じていた。なぜ私はカウンセリングしなければならないのか、いつも疑問があった。歯がゆかった。でも、そうせざるをえなかった。カウンセリングを学んでいるというポーズが必要だった。
今、よくわかるのです。私もまた病んでいた(いる)と。カウンセラーという、いかにも無害な有益な喜ばしい名を借りて、私の病を隠す必要があったのだと。病というより欠陥かもしれない、癒えることのない傷かもしれない、羞恥の源かもしれない。ともかく私の表面に現れてはまずいもの(と思っていた)の処理に(まるで性欲みたいに)、あくせくしていたのではないでしょうか。
友人にも語ったのですが、カウンセリングで私が得たかったのは、一にも二にも「安心」なのです。それを得てみて、初めてわかりました。
私はこれから先、「カウンセラー」や「セラピスト」とは名乗らないような気がします。その必要がなくなってしまったのです。そして急速に、村上サイドに行っています。それが自然で、なんのためらいもない。
物語がないと生きていけない人間であることには変わりありません。また書くことが好きで、自分の表現方法として合っていることも。「カウンセラー的」な存在ではあり続けるのかもしれない。でもそれは、的でしかない。
二人の対談を読み、人生の分岐点でどちらに行けばいいのか、はっきりしました。心理臨床家と作家は、ほとんど同じ仕事をしていると言える。少なくとも、生きる態度はほとんど同じ。でも、出る方向が、ほんのちょっと違う。その差を(言葉にするのは難しい)、見たような気がします。これから先、どんどんその差は大きくなり、またいずれ交差するかもしれません。それでいいのだし、私はこの結論に達したことに満足もしています。
よし、こっちに行こうと決めてからでないと、行動に移れない、私はそういうのろい(ある人は丁寧だと言う)人間です。私が生きていく上で、この本は、そのように大きな参考になった。二人に感謝です。
河合隼雄・村上春樹著/岩波書店/1996
この二人が、僕が今最も感心のある日本人だと言っても過言ではありません。その二人が、対談しているのですから、おもしろくないわけがありません。
なるほど納得ということばかりです。書くためにも体力がいるということ、少し前までは心を優先するばかりに体を軽視し(心身二元論)、それが結局作品に影響し(作り話に落ちる)、早死にもつながる(太宰や芥川)こと、書くことは井戸に入り、黄泉の国に行くようなものであること、終戦を機に、日本人は暴力のはけ口を失ってしまったこと(考えられないような残虐な事件の温床になっている)、痛みの伴わない正しさは決して自分のものにならないこと、何にもないところから自分のスタイルを築いていくしかないこと、殺人(自殺も含む)でしか救われない人も存在すること、小説は作者にとっての癒しでもあること、その他その他。
村上春樹が、29にして突然小説を書きたいと感じたことも、正直ほっとしました(また比べてる!)。私は、様々な経験(浅いけど)の末、大学を出るときカウンセラーになりたいと希望しました。そしてそうなるべく、努力もし実践もし勉強もした。しかし、去年行っていた面接が頂点を越え、クライアントが変わったとき、私も変わってしまったのです。いや、元の鞘に戻ったと言う方が適切なのかもしれません。ある日突然、こう思ったのです。「小説を書こう」と。その瞬間が、偶然に29だったのです。
そして今、頭の中だけでなく体も心も、小説のこと(と彼女のこと)しか、見事にないのです。すっぱりときれいに。大学院に行きたいという思い(臨床心理士になるため)も、さっぱりなくなってしまった。セラピストを名乗る私は、どこか落ち着きがなく、うしろめたさすら感じていた。なぜ私はカウンセリングしなければならないのか、いつも疑問があった。歯がゆかった。でも、そうせざるをえなかった。カウンセリングを学んでいるというポーズが必要だった。
今、よくわかるのです。私もまた病んでいた(いる)と。カウンセラーという、いかにも無害な有益な喜ばしい名を借りて、私の病を隠す必要があったのだと。病というより欠陥かもしれない、癒えることのない傷かもしれない、羞恥の源かもしれない。ともかく私の表面に現れてはまずいもの(と思っていた)の処理に(まるで性欲みたいに)、あくせくしていたのではないでしょうか。
友人にも語ったのですが、カウンセリングで私が得たかったのは、一にも二にも「安心」なのです。それを得てみて、初めてわかりました。
私はこれから先、「カウンセラー」や「セラピスト」とは名乗らないような気がします。その必要がなくなってしまったのです。そして急速に、村上サイドに行っています。それが自然で、なんのためらいもない。
物語がないと生きていけない人間であることには変わりありません。また書くことが好きで、自分の表現方法として合っていることも。「カウンセラー的」な存在ではあり続けるのかもしれない。でもそれは、的でしかない。
二人の対談を読み、人生の分岐点でどちらに行けばいいのか、はっきりしました。心理臨床家と作家は、ほとんど同じ仕事をしていると言える。少なくとも、生きる態度はほとんど同じ。でも、出る方向が、ほんのちょっと違う。その差を(言葉にするのは難しい)、見たような気がします。これから先、どんどんその差は大きくなり、またいずれ交差するかもしれません。それでいいのだし、私はこの結論に達したことに満足もしています。
よし、こっちに行こうと決めてからでないと、行動に移れない、私はそういうのろい(ある人は丁寧だと言う)人間です。私が生きていく上で、この本は、そのように大きな参考になった。二人に感謝です。
河合隼雄・村上春樹著/岩波書店/1996
菊田さんの29歳~30歳
に至る心理的変化はちょっと意外な面もありました。
私は十代~二十代に至る心理的変化の方が
普通は大きいものだと感じていましたが
人それぞれなんですね。
それと、発達段階というのもあります。
変わる瞬間というのは不連続で、改行するようなものです。
でもそれは、自分の内部に備わっていたのだろうと思います。
個人的なことですが、放送大学の心理臨床研修会(自律訓練法とコラージュがメイン)に興味があればご一報ください。そちらは今年も参加する予定です。
人それぞれですね
あっ!やっぱしというという感じでした。
「安心」は実によくわかります。
そして付け加えさせて頂けば、「私には小説を書く(詩も含めて)ことだけなのだ」に菊田さんご自身がなるまで、カウンセリングの学習が必要だったのだとも思います。
それとは別に、気晴らしにしゃべりばにも引き続きいらして下さいね(^_-)-☆
行き詰ったら、面接お願いします。
菊田さん用の、特別料金を考えとくね。
高いよ~(^^♪