窯元日記復活

永慶寺内にある阿波野青畝句碑 「山涼しみやこ忘れと聞くからに 青畝」

永慶寺内にある阿波野青畝句碑
「山涼しみやこ忘れと聞くからに 青畝」




「阿波野青畝 あわのせいほ
(1899―1992)俳人。明治32年2月10日奈良県に生まれる。本名橋本敏雄。のち阿波野家を継いだ。畝傍(うねび)中学在学中より原田浜人(ひんじん)に俳句を学び、浜人が『ホトトギス』を脱退後はもっぱら高浜虚子(きょし)に師事して、昭和初頭、秋桜子(しゅうおうし)、誓子(せいし)、素十(すじゅう)らと『ホトトギス』の4Sと称せられた。1929年(昭和4)『かつらぎ』を創刊し、関西俳壇の重鎮、昭和俳壇屈指の作者と目された。句集『万両』(1931)、『国原(くにはら)』(1942)、『春の鳶(とび)』(1952)、『紅葉(もみじ)の賀(が)』(1962)、『不勝簪(ふしょうしん)』(1980)などが著名で、『甲子園』(1972)は翌1973年第7回蛇笏(だこつ)賞を受けた。
 葛城(かつらぎ)の山懐(やまふところ)に寝釈迦(ねじゃか)かな
[村山古郷]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」

 

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