荻窪鮫

元ハングマン。下町で隠遁暮らしのオジサンが躁鬱病になりました。
それでも、望みはミニマリストになる事です。

スペックの巻。

2014年09月14日 | 華麗な生活に極めたシンプルを
以前、ネットで見かけ、深く心に残ったコメントがあります。

『モノってのは人間のスぺック不足を補うために存在する』という内容のコメントでした。

当り前っちゃあ当り前なんですが、深い。

僕も加齢に伴い、老眼鏡やクスリなどモノの点数が増えております。

先日、洗面所の鏡のうしろにある収納部を眺め、思いました。

『僕が視力が良く、坊主頭であれば、ここにあるモノはだいぶ減るなぁ』と。

↓これが



↓こうなるんですね。



僕はド近眼です。

一方で自分の眼鏡姿が大嫌い。

なのでコンタクトレンズを20年以上愛用しております。

ですので、コンタクトレンズそのものと、夜に使用する眼鏡が必要となるわけですね。

今の時代、レーシック手術という技術があるわけですが怖いのでやりません。

また、僕は結構ロンゲです。

なのでブラシが必要になりますし、お洒落してお出かけする場合はガムやスプレーを使用しちゃったりします。



考えてみれば、四季のない暑いトコに住んでいれば服もだいぶ減ります。

仮に、寒いトコに住んだとしても減ると思います。

美人に生まれれば、過剰な化粧品や服飾品も要りませんね。

イケメンならTシャツにデニムだけでもカッコ良いです。

傘だってヒトによっては要らないと思います。実際、学生時代は傘なんて持ちませんでした。

スマホや携帯電話があれば腕時計も不要です。実際、40歳過ぎまで腕時計を持っていませんでした。

都心に住めばクルマも不要。いや、自転車だって不要かも知れません。

更に突き詰め、日の出と共に起床し、日没と共に就寝すれば照明器具もいりません。

以上、徒然に列挙してみましたが、自身や環境のスぺックが高ければモノって不要なんだなぁ、と。



という事は、モノを持たないで生活出来ているお坊さんは高スペックって事ですね。

僕が銀座のクラブや高級天麩羅屋で見かけたクソ坊主共は【低スペック坊主】って事にしときましょう。

ま、なによりも健康という基本スペックだけは維持したいなと思います。

あ、あとお金ですね。いちばんの高スペックでありましょう。



本日の処分品。

ブラシ。なぜか2本ありました。