怠業、すなわちサボりの事であります。
僕は自由業というか、自由人なので昼間っからプラプラしています。
いつパンクするか分かったもんじゃありませんが。
いろんなトコに行くのですが、サボリーマンってホント多いっすね。
パチンコ屋・映画館・ビックカメラ等の家電量販店・サウナやスーパー銭湯…。
あれだけのサボリーマンが心を入れ替えて、一所懸命働けばニッポンの景気は飛躍的に伸びるのではないでしょうか。
家電量販店でマッサージチェアに座り、至福の顔しているサボリーマンオヤジを見るたび『この国を亡ぼすのは、決して若者ではない。オッサンだ』と再認識致します。
世の中、不公平というか面白いというか、馬車馬の様に働くヒトもいれば、上記の如く日がな一日遊んでるリーマンもいる。
それで社会の均衡が保たれているだとすれば、これほど理不尽な事はないでしょう。
さて、この怠業スポットに喫茶店・カフェや本屋を入れないのは、ただ時間調整をしているヒトも多かろう、という僕の優しさであります。
僕自身、リーマン時代は喫茶店・カフェや本屋にはちょくちょく入りましたからねぇ。
新卒で入社した会社は住宅メーカー。
『営業は朝出たら、夕方まで帰って来るな』っていう典型的な昔気質の会社でした。
目標達成する月なんてありませんから、月末になると支店長はイライラ。
課長レベルすら、支店長の怒りの流れ弾に当たらぬ様、どこか社外に逃げてしまったものです。
販売チャンネルを持たない新入社員の僕は、来る日も来る日も灼熱の日も極寒の日も雨の日も風の日も、住宅街を飛込訪問したり、ダイレクトメールをポスティングする毎日。
そりゃ、心が折れる日もありました。
喫茶店でずーっと読書してた時もあります。
次に入社した会社は輸入家具商社。
この会社は上記の様な『営業は朝出たら、夕方まで帰って来るな』という前時代的精神論はありませんでした。
さて、この会社でインテリアという仕事に出会えた事で、僕の人生はガラリと変わります。
とにかく仕事が面白い。
小さい会社ですが、だからこそ自分で仕事をコントロール出来るのです。
仕事があれば、社内にいる時間も当然増えるわけですが、別段日中社内にいても文句は言われませんから作業もはかどる…。
快進撃を続けました。
仕事が面白い・時間がもったいない、となればサボる意味がありません。
インテリア業界に身を置いてから、喫茶店・カフェに行く事すらなくなりました。
ただただ仕事仕事。完全なるワーカホリックです。
その輸入家具商社には、判で押したように、朝9時に出社、10時頃に営業に出、夕方4時頃に帰社、6時30分になると帰宅するという僕より10歳年上のオッサンがいました。
ちなみに3日に1日は直帰。
毎日毎日、いったいドコに行ってんだろう?って同僚と噂にもなろうってモンです。
そのオッサン『会社で昼飯を食わないのがオレのモットー』とか寝言を言っていました
営業のモットーは『売上を上げる事』で、会社で昼飯を食おうとケーキを食おうと、売上を上げりゃそれで良いって事を理解していない前時代的精神論者だったんです。
もちろん、そのオッサンの売上は芳しいモノではありませんでした。
あのオッサンはいったいどこでサボっていたのでしょう。
新卒で入社した住宅メーカーの入社3~5年目くらいの先輩方は、ホント遊ぶ事しか考えていないバブル脳のヒトたちでした。
でも、面白いんでよくつるんで遊んでいたものです。
ある時『おい、みんなで○○日にディズニーランド行こうぜ』と誘われました。
なんとも大胆な怠業であります。僕の理解をはるかに凌駕していました。
が、日々の飛込訪問に飽き飽きしていた僕は、『行きます!行きます!』とすぐさま返答。
やがて決行の日。
しかし残念ながら、僕は直属の上司である係長と一緒にお客さんのトコに行く事になってしまったので、怠業メンバーから泣く泣く抜ける事となります。
他の怠業先輩メンバーは、予定通り東京ディズニーランドに行っちゃいました。
今思えば、係長は僕や先輩方の異変を察知していたのかも知れません。
まだまだ無垢だった僕を、悪の道に引きずり込ませないために…。
その住宅メーカーは2002年民事再生法を申請。
負債総額は約135億円だったそうです。
『怠惰の時は怠惰を知らず』春日潜庵(ニッポンの儒学者・1811~1878)