韓国の尹錫悦大統領に対する弾劾訴追不成立で、政権がレームダック化した。
(このレームダックの意味は、「役立たず」 や 「死に体」・「政治的な影響力を失った政治家」 の状態を表している政治的な用語だが、元々は「足の不自由なアヒル」 のことなので使いたくない言葉である。)
尹氏は7日の談話で「私の任期も含め、今後の政局の安定策はわが党に一任する」というのであれば、最早命運尽きたということだ。八甲田山ではないが、『天は見放した』という一言に尽きる。
隣から見ていると、韓国人の情緒の起伏が相当に高く感じられる。どうしてだろうと思う。世界史の窓では、「歴史上は古代(1~4世紀)に半島南部で馬韓・弁韓・辰韓の三韓に分かれ、さらに小国家を統合して百済、新羅を形成した民族を言う」とあるように、根底に民族の対立軸があるのだろうと想像する。
かの国は日本と違い、苗字に当たる姓が漢姓は286しかなく、五大姓で人口の過半数を占めている。 韓国を代表する姓は金で韓国人の22%、李が15%、朴が8.5%、崔が4.8%、鄭が4.3%と続く。趙・姜・張の次が尹でランク順で9位とネットにある。つまりは、民族の色濃く残る地域であることから、今の日本では想像し得ないような感情の爆発が起こるのだろう。
日本でも昔は地域に対する思い入れは相当に大きかっただろうと思う。例えば、千人規模でやってきた渡来人の住む奈良などもそうだったに違いないし、公家集団がいた京都もそうだし、琉球と隣接する鹿児島辺りも言葉の壁は相当に大きい。東北やアイヌの地も同じような乖離が根底にあって様々な血が流されたのである。そのことから考えると、氏素性のわからない混沌とした日本のような状態が良いのかもしれない。だが、悲しいかな夫婦別姓をも理解できない人々が多数いる日本を見習う国はいないのも事実である。