最初のヨットは、ヤマハ25マイレディEX2である。このクラスから、独立したトイレが付いてくる。若い娘を乗せてもOKという意味なのか、船の識別名からしてマイレディとなっている。但し、船を手放すまでの1度たりとも若い娘を乗せたことはない。残念ながら。
最初の船出が、友人と二人で、四国から兵庫まで回航するぶっつけ本番のクルージングであった。
1泊2日かけて四国から小豆島経由、兵庫の播磨までの長旅である。「何でヨットなんか買ったのだろう?」「波よ頼むから荒れないでくれ!」「ヨットのどこが面白いんだ!」「ずっと揺れっぱなしでなにが面白いんだろう?」と、雨の中で自問自答しながらの厳しい回航となった。
最初の艇名は、「lepont」ルポンと名付けた。フランスでは、休日に挟まれた日はほとんどの労働者が休むらしい。フランス語で『橋をかける』つまり、ポンする、というらしい。仕事はほどほどにして、瀬戸内海に架かっているいる橋の下を駆けめぐろうという気持ちを込めて命名した。
次のヨットは、「lepont2」となる筈だった。名前も気に入っていたし、別の名前を付けるとは思いもしなかった。
だが、2番目のヨットが、いつもは鈍足で風が吹いてくると俄然走り出し、ほかのヨットが我慢の限界でもまだ平然と走り続けることから、疾風に勁草を知る(勁草とは折れない強い草の意味)という中国の故事から、勁草丸と命名。
余談だが、後々中国へヨットで行くのが夢なので、船らしい名前として丸を付けたのである。
横浜ベイサイドマリーナでの勁草丸
的形マリーナで船底塗装した勁草丸
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