訂正してお詫びします ⇒お詫び優先 ⇒だけど、お詫びが儀礼的な印象を受ける
お詫びして訂正します ⇒訂正が優先 ⇒お詫びが先に来るので反省しています感がある
というようなことが書いてあった。
今回、急に過去の答弁を修正しだしたのは、捜査のことが頭にあるからではないかな?
小学生の子供でも(例えてごめんね)おかしいと気付くような修正にわが耳を疑った。
平気で嘘をつくというのを目の当たりにすると、何だか吉本新喜劇の世界に思えてきた。
千葉科学大学は定員割れで、補助金を山と提供した銚子市は借金漬けだとか
方や今治も補助金やらの大盤振る舞いやっているが、この市もどうなることだろう。
学生だってバカじゃない。まともな学生は来ないだろう。まともな教授も二の足を踏むだろう。なんせ開学前から赤字から抜け出せない大学だと公然と言われているんだから気の毒だ。このまま開校しても地獄、白紙に戻しても地獄である。
〇〇元知事はどう結果責任を取るのだろう。優秀な官僚だった筈なのにそんなことも知らないで強引にやってしまうとは、情けない御仁だ。頭のいいのとセンスのいいのは違う。言うなればナンセンスな人だったのだろう。学校を作ろうとしているところも経営がおかしいらしい。よしんば開校しても、本体の〇〇学園を国がどう国民にわからないように救済するかだろう。
M新聞社が書いていたが、もう法治国家ではなく人治国家だと。いかなる結果になるか考えもせずに国を動かしているのではないかと。
そうだとしても、ちゃんと考えるほどの才覚を持っているとは思えないので戦前のような事にはなるまい、所詮はとんだヘマをしでかしてみっともない終焉を迎えるに違いない。
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