100円ショップ企業の言葉(東洋経済参照)だったそうだ。なるほどなーとため息をついた。それって中身の話じゃないだろうと想った。100均は価格こそ一定だが商品に対する利益率は確保されている訳だから、その辺りで価格が変動しているとみるのが正しいのだろう。即ち、100円の内側でそれこそ1銭1厘の激しい価格競争が起きていると想う。
一種の目くらまし商法とも言うべき100均商法の盲点は、商品の価値がおざなりになっているということである。それは致命的ですらある。例えば、品質はどうか、「安かろう悪かろう」とまでは言わないが、「安かろう耐久性はそれなり」では製造者の矜持はどうするのだろうという疑念が拭えない。
100均の良さは、限界まで商品の材料を見直して、その販売量を極限まで引き出せるような商品開発にある。だが、それだけである。100均の辞書があるからと言って、それは単に珍しいだけである。ただそれだけである。もし、辞書業界に殴り込みをかける意気込みがあるのなら、100均単位で辞書の分割ぐらいまで視野に入れるべきではないか。基本的な語彙・中学生までの語彙・高校生までの語彙・新社会人までの語彙・やや専門的語彙、、、等々の視点はなかったのだろうか。そうでなかったら単なる玩具ではないかと思ってしまう。何万部と作り出す資源の無駄を考えたらどんな結論が出るのだろうと思った。
やや批判めいてしまったが、世の中にはモノがあふれ過ぎている。それも耐久性の問題がある商品が多数あるように感じる。例えば、洗濯ばさみなどどうだろう?耐久性を謳った商品があるのかもしれないが見かけない。社会全体が小さいモノや安いモノに対して、使い捨てでいいという暗黙の了解ができていないかと危惧する。