炎人 7 (7) (ボニータコミックス)東山 むつき秋田書店このアイテムの詳細を見る |
買いました、「炎人」7巻。
このブログで、このコミックについては何度か触れているのですが
改めて作者・東山むつきさんと作品について
触れていきたいと思います。
■炎人の設定
スゴ腕の医師、ただし無免許。
そう聞くと、まるでブラックジャックのような設定だなと
思われるかもしれません。
出版も秋田書店ですし。
ブラックジャックと違うのは、主人公・煌(きら)が
向き合うのは身体の傷ではなく内面……
精神的な傷だということです。
人間の内面世界にダイブし、
トラウマの元となっているものと向き合います。
そう、悪夢を喰らうとされる想像上の生物「獏」のように。
そのため劇中で煌は
悪夢(ゆめ)喰らいの獏、と呼ばれます。
■炎人の変遷
この作品の性質は、前半…1~2巻と
それ以降で随分と変わります。
前半は、煌が患者の精神にダイブしトラウマの元と
戦うシーンが多くでてきます。
そういった、主人公が活躍するヒロイックな展開になっています。
後半では、主人公は患者のトラウマの元を見つける
きっかけを能力で探るだけになっています。
あとは患者や、その周りに解決する方法を教えたり
促したりするだけ……といった展開へと変化しています。
煌は無愛想で怖いもの知らず、そういう性格だから
大抵は思っていても口にしない人間の深いところにズカズカと
踏み込みます。
そうやって、問題の核心に触れる…日常では
あまり巡り会えない存在として煌を描いています。
では、この作品はナゼ
そのように性質の違う漫画になったのでしょうか。
■連載誌の休刊、連載再開までの道のり
前半部分を連載していた雑誌が休刊したことにより、
作者は別の漫画を別雑誌で連載し始めることになります。
ところが、連載は長期化しませんでした。
原因は分かりません。
単純に人気アンケートの結果が悪かったのだろうという推測があるだけです。
そして数年を経て、炎人の連載再開へと至りました。
しかしその時、既に作者は以前の炎人を描けなくなっていたのです。
■作者・東山むつきとは
炎人の表紙をめくると、詳しいプロフィールが書かれていますが
性別については不明です。明らかでない理由も不明のままです。
この作者について分かっていることは、
自身も酷い精神的な疾患を抱えているということです。
酷い過食症に悩まされていると、
コミックの後書きに描かれています。
■炎人との出会い
私がはじめて炎人に出合ったのは偶然でした。
普段は手に取らない雑誌を立ち読みした時、
1巻の途中が連載されていたのです。
今でも、その時の衝撃は忘れません。
煌の、歯に衣着せぬ物言いや
泣かせる展開に心打たれたのです。
奥さんを殺されたヒゲの男。
それを目の前で見ていたショックで言葉を失った、男の娘。
男は煌に、娘を治してやって欲しいと頼みます。
自身も肺を患い、もう長くないと医者に宣告されているのに。
それを男の部下に聞いた煌は、こう答えます。
「その医者に言っとけ。
とっとと くたばれってな」
これはきっと、作者自身の心の声ではなかったかと私は思うのです。
その後、男がどうなるのか。
煌が事態を、どう解決していくのかは実際に
コミックを読んでお確かめ下さい。
■描かない、描けない?
私は連載再開当初、編集部の意向などから
作風が変わったのだと思い込んでいました。
ところが、そうではなかったことが
7巻の後書きに書かれています。
「途中、思うように描けなくなって苦しかった時期もあったけど
諦めず頑張ってよかったです」
そのように書かれていました。
■「それで良かったのでは?」
そこで私は、あるものを思い出しました。
若手の星、ベストセラー作家・乙一のインタビュー記事です。
何の雑誌に載っていたかは忘れました。
それも立ち読みだったもので……。
その中のやり取りで、私が好きな作品
「しあわせは子猫のかたち」や
「未来予報 あした、晴れればいい。」は
もう今の自分には書けない作品だ、と答えていました。
大学時代、とても忙しい思いをしていた乙一が
「この状況をなんとか抜け出したい」という一心で
書いた作品が、それらだったと記事の中で
振り返っていたのです。
そこで記者に「では、書けなくなって良かったのでは?」と
問われ「そっか……」と、感嘆の声を漏らしていたのが印象的でした。
もし、作者が描けなくなったのだとしても。
それが、作者が抑うつ状態から解放されたからだとしたら。
描けなくなって、良かったんだろうな。
そう思いました。
■これからも見ていきたい
今の自分が置かれている状況を、なんとか打破したい。
そのような思いがクリエイティビティを生むという話を
様々な本で何度も読みました。
私の親友も、その思いから
音楽に出会い作曲をするに至りました。
暗闇の中だからこそ、その輝きを実感できる煌きのようなもの。
夏の夜空に見える花火、その一瞬の輝き。
それにも似た再現できない輝かしさを、
私は作品の中に見たのだと実感したのです。
戦時下のクロアチア、地下室で怯えながらピアノを弾いていた
マクシム。彼の曲「バンブル・ビー」は一度聴いただけで私にCDを
買わせるだけの力を持っていました。
再現できない煌きなら、むしろ再び手にしなくて良い。
その方が作り手にとって幸せなら、尚のことではないだろうか。
私はそのように深く感じ入ったのです。
東山むつきさんのブログはこちら
これだけ娯楽の溢れかえっている世の中で、
いまさら我々が何を新しいものを生み出す必要があるのか。
それは、描いていくうちにしか
その必要性があると言い切れる作品は生まれません。
生きていなければ作品は生まれ続けない。
過食症に悩まされ、後書きで「良くなる気配はありませんが」と
書いてありますが生きていて欲しい。
そう思わせてくれる作家さんなのです。
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