【Good Luck】2020

幸運に!幸運を願う!またね

雪の花2020

2021-02-14 15:22:00 | 日記
GOOブログでは初の
心に伝わるback Music』
の投稿です。
ヤプログでお世話になった皆さん
ご無沙汰してますkentathuです。

現在は静岡県の富士市に居ません。
今度は千葉県に行く予定です。

昨日、東日本大震災を思わせる大地震がありました。
皆さん大丈夫ですか?
震源地に近い方、心配です。


今回は私kentathuが東日本大震災を体験した話です。

心に伝わるback Musicとして
記事を書いてます。


88作目は、
中島美嘉の『雪の花2020』です。
(下記画像をクリックして下さい。)

♪「雪の花2020」♪ 


By kentathu


それでは、私の東日本大震災 体験の話です。

追記を読む(MORE)に進んで下さい。


2010年8月から仙台市へ長期出張になりました。
仙台市の工事の仕事です。
期間は約2年。
仕事仲間はほとんどが宮城県と福島県の人達、東京支店から配属されているのは3人。
けど皆んな良い人達で、直ぐに馴染む事が出来ました。
1人は私と仕事を引き継いで東京に戻ってしまいます。
毎日仙台市西公園に行き8ヶ月目
1つの大仕事も終盤に差し掛かっていました。
2011年3月9日お昼前
ユニットハウスの事務所の2階で
仕事をしてた時、三陸沖でM7.2震度4の
地震が発生した。
ユニットハウスなので、大型トラックが近くを通るだけでも揺れるのに、この時は背面と横に有る書庫が揺れて、席を立った。
揺れは収まったが、工事現場の確認に西公園に向かった。
作業員達に「大丈夫」かと声を掛けてら、
「何がですか?何か有りました?」
と帰って来た。
私が「大きな地震有っただろ」と聞くと
誰も分からない様子。
作業員の1人が「そう言えば公園の鳥たちが一斉に飛び立つ物だからビックリしました」
良く聞くと公園の木から地震らしき前に公園の木から鳥たちが一斉に飛び立って、気が揺れ、空は鳥たちで埋め尽くされたと言う。
何事も無かったように工事は通常通り進んだ。
2011年3月10日
いつもの様に西公園に朝、作業員達が集まってます。
昨日の地震の事で作業員達から「監督さん、家に帰ったら地震大丈夫だったて聞かれたよ。全然感じなかったから、監督さんが騒いでただけで、何もないぞって答えてやったよ。本当に地震有ったんだな」と笑ってました。
仙台市西公園は避難場所にも指定されているから地盤も良いんだろうと思った。
西公園の広瀬川で仕事してるから、
仮桟橋を設置してクレーンを設置させていた。クレーンのオペさんは地震に気づいてたらしく、ブームを縮めたらしい。
何事も無いから笑い話しで終わった。
2011年3月11日
今日は午後から仙台市交通局が現場の立ち合い検査来られる。合格したら明日から大きな仕事の最終段階に入る。
13時から職員5人体制で仙台市交通局の方を迎えて検査開始。
14時30分検査は無事合格した。
作業員も皆んな一安心。
😀
私は明日から使う材料の確認検査に移った、
広瀬川の河川敷に置いて有る材料の所まで仙台市交通局の方を案内して、材料の説明をし、立合検査写真を撮ってた。
その時、鳥たちが一斉に飛び立ちざわついてる、
14時46分ドンと突き上げた後、大きな揺れ、「地震だ大きいぞ」「(私に向かって)○○さん動画」私は構造物が地震でヒビが入るかもしれないと思い、必死にデジカメを動画モードに変えて構造物を中心に動画を撮り始めた、良く立っていられたなと思い、周りに声を掛けた。
しかし誰も居ない。
一緒に居た人達は、広瀬川の河川敷を駆け上り高台まで逃げていた。
私に動画と声を掛けて逃げたS君から「○○さんも早く逃げて下さい、動画も揺れて解らないでしょうから」
私は慌てて皆んなの所に駆け上がった。
携帯で連絡して居る人もいれば、
繋がらないと不安気にしてる人も居た。
皆んなで作り上げた構造物が揺れていた。
「おい、構造物の中の作業員は出て来たか?」と聞いたが
「まだ中に居ると思います」と返答があったその時、
中から作業員数名が出て来た。
作業員が「皆んな無事です、死ぬかと思ったよ」と大声で返って来た。
その奥で桟橋の先端に居たクレーンが動いてた。
ブームを縮めている。
私は作業員に向かって「クレーンのオペも連れてすぐに来い、まだ余震が続いてる」と怒鳴った。
周りを見ると道路には10cmはばの亀裂が生じて居た。
仙台市交通局の人は緊急事態なので帰って行った。
辺りはサイレンの音が鳴り響いている。
事務所には所長達が残っている。
唖然とした。
倒れたかも。
皆んな携帯で連絡をしてるけど繋がらない。
その時、広瀬川の対岸に所長達の姿が有った。良かった全員無事だ。

私は現場に居る作業員全員(クレーンやトラックの運転手も含めて)の点呼を行い、
皆んなで仙台市がどうなっているのか、
乗用車に有るテレビを付けて確認した。
この時は津波に最新の注意を払うように報道が流れた。
広瀬川が逆流して来たら巻き込まれる。
全員広瀬川に近寄らない様に指示した。
河川内に置いてある物は諦めるしかない。
電気、ガス、水道も止まっているらしい。
docomoの携帯が繋がり出した。
皆んな家族の無事を確認していた。
私のauも繋がり家族と連絡が取れた。
しかし、繋がって居たのはその時が最後になった。
テレビで津波被害の報道が流れだした。
作業員の中には石巻市の会社の方も居て、
海の近くに自宅が有る方も居た。
携帯がまた繋がらなくなっていった。
私はTwitterで津波被害を見ていた。
車や家が流されてる。
海方面は自衛隊の出動が報道され出し、
福島の原発火災の報道も流れていた。

東北支店からも部長、課長が自転車で駆けつけてくれた。
この日、協力業者の社長や役員達を集めた会議が東北支店で行われており、東京から出張でこの会議に参加した方も居た。
作業員達の社長や役員達も来て、
鉄道が止まっていたから、一緒に車で帰った方も居た。
私は会社の仙台寮から通っていたので、
同じ仙台寮から東北支店に通って居る社員を2人連れて帰る事になった。
仕事は皆んな帰ってから明日連絡をもらう事にして、明日は休工になった。

事務所が気になっていた、
「皆んな、事務所に戻って片付けようぜ、大変な事になってるかもよ」
行ってみると、案外平気に見えた壊れて無かったので。
しかし事務所に上がると唖然とした。
俺の机の上には書庫が背面と横から倒れていて、書類や本の山が散乱していた。
事務所で震災に出くわしたら病院行き決定だなと思った。
皆んなで事務所を片付けて
帰れる人から帰宅して行った。


職員だけは明日も集まり、
今後の打ち合わせをする事になった。

東北支店から仙台寮に帰る2人が送られて来たので、私も二人を連れて寮に帰る事に。
マイカーのガソリンが少ないのに気がついた、昨日の帰りスタンドによったけど、夜中の24時ぐらいになったから、どこも閉まってたんだ。寮まで10km山方向に。
支店の二人にスタンドに寄る事を告げると、
「電気が止まってるからスタンド閉まってたよ」
まさかの事態
「ガソリンが少ないから寮までは大丈夫だけど、明日の朝スタンドに行けないとガス欠になるかも」と告げると一人が、
「俺寮に確か有ったな携行缶。
ガソリン半分ぐらいなら入ってるとおもうから、それ使って下さい」
「助かるよ、ありがとう。一応帰り道でスタンドが開いて居たら寄りますね」
しかしスタンドは停電の為、閉鎖中の貼り紙が、しかもそのスタンドの入口からスタンドが開くのを待ってる車の列が出来ていた。
食料も無いかもと思いコンビニにも寄った。おにぎり、パンは残ってなく、カップ麺や缶詰が少し残ってた。
あとタバコは思っていたより有った。
寮に着くと、食堂のおばさんが水が出なくなったと困っていた。
おばさんに「電気、水道、ガスみんな止まってるみたいだよ」と言うと
「さっきまで水道は出てたのよ、ガスは今でも点くから今晩の夕食の支度してたら出なくなったのよ」
俺達は???
外に出るとプロパンガスが6本、と貯水槽が目に入った。
仕事柄俺達で直せると思って確認すると、
プロパンガスは3本は満充填(7日は持つかな),貯水槽は半分以上残っている、電気が止まってモーターが回らない状況でも重力の関係で自然圧力が掛かっていたんだ。
他の放水弁を開ければ自然圧力が戻るかもと思い開けてみた。
おばさんが「水出たよ、ありがとう」
その後、古い5階段の鉄筋コンクリートの寮を調査してみたら、多くのにひび割れと、2階から3階に掛けて大きな亀裂が発生していた。俺は5階の部屋だったから潰される事は無いけど、倒れたら終わりだな。
この寮には建築部の人が4人ぐらい
住んで居たから、夕食の時に大丈夫が聞いてみると、非常に危ないと言う結果だった。一度目の地震は耐えるようになってるけど、二度目は耐久性が落ちて居るから保証されないよ。
その夜から建築部の人は車の中で寝る様になった。
俺はガソリンも少ないし、建物が倒れるほどの地震が来たら車のなかでも、危険は同じと、眠れない夜を過ごした。

翌日
次回に続く

To be Continue


Nishiizu Suruga Bay where the setting sun falls

2021-02-13 15:59:23 | 旅行
Hello
It's been a long time, my name is kentathu.

Introducing the photo when I told Nishiizu last year. After all the sunset in Suruga Bay was beautiful.
Time is reversed.

Thank you for watching



1st drone snaptain SP650

2021-01-30 17:36:52 | DRONE
2020年5月
初めてトイドローンを購入
許可がいらない200g以下の
1万円以下のおもちゃドローンです。
練習の為に購入したが、
到着した日は部屋の中で飛ばしてみる。
ホバリングの練習だけでしたが、
何せ初めてでおもちゃなので難しかった。
翌日 仕事場の事務所とヤードで練習
事務所は5m×10m×2mの広さだが物が有り
その場で安定させるだけでも難しいです。
その模様がこちら
1stドローン事務所練習


今度は外へ出ていつもは駐車場や資材置場と
使用しているヤードで練習です。
外は風の永久が大きいので、
風速を確認して離陸です。
操作は狭い事務所より楽でした。
高度10mくらい、幅30m直線距離40mと
広かったので、多少ぐらついても問題ありません。
ただし、iPhoneのwifiで接続して操作しているの
たまり切れて操作不能に陥ります。
そして、倉庫の上に不時着したり、操作不応でリターンtoホームを操作したら
道路の反対側に飛んでいって着陸したり、最後には緊急着陸操作をしたら
走っているトラックの荷台に着陸して行方不明に。
ドローン本体は到着から2日で行方不明になりました。
その時の練習風景がこちら
1stドローン屋外ヤード練習


製品情報
SNAPTAIN  カメラ付き 2K HD 120°広角カメラ
最大24分飛行時間 WIFI FPVリアルタイム伝送
 高度維持 自動ホバリング 低電圧アラーム
 ヘッドレスモード 高速回転ホバー機能 
モード1/2転換可能 国内認証済み
◆3段階速度調整 ◆軌跡飛行 ◆360°宙返り 
◆バッテリー残量/WiFi信号提示 ◆3D VRサポート
バッテリー容量:3.7v 1300mAh
飛行時間:12分間、2個合計24分間
充電時間:120 min
飛行制御距離:80m(干渉なし)
画像伝送距離:60m(干渉なし)
画素数:2048*1152
カメラ調整角度:-90°~0°

次回は
無くしたドローンと同じ商品SP650を再購入、
もっと広い敷地で練習しているときの模様をお知らせします。
箱が2つ、プロポも2つ、バッテリーが3つ、予備の羽が2組など
これで修理が出来るようになった。と考えよう!

嵐 『SAKURA』

2018-09-30 23:59:10 | 心に伝わるback Music
約1年4ヶ月ぶりです。
皆さんはご無沙汰してますkentathuです。


現在は静岡県の富士市に居ます。

台風が近づいていて『嵐』の中に居るようです。
皆さんの地域は大丈夫ですか?

今回はタクシー運転手がお客さんから聞いた話です。

心に伝わるback Musicとして
記事を書いてます。


87作目は、
嵐の『SAKURA』です。
(下記画像をクリックして下さい。)

♪「SAKURA」♪


この曲はドラマ「ウロボロス」の主題歌にもなってます。
(下記画像をクリックして下さい。)

♪『ウロボロス』」♪



By kentathu


それでは、タクシー運転手さんの話です。

追記を読む(MORE)に進んで下さい。


タクシーの中でお客さんとどんな話をするか、平均で10分前後の短い時間で完結する話題と言えばやはり天気の話になります。

今日の福岡は台風11号の余波で、朝から断続的に激しい雨が降っていました。

午後も遅く、駅の近くの整骨院からそのおばあちゃんをお乗せした時もー。

「どちらまで行きましょう?」

「近くて悪いけど、五条(太宰府市)の○○薬局までお願いできるやろか」

「了解しました」

普通に走れば10分程の距離です。

「よく降りますねー」

「やっぱり台風の影響やろうか」

「四国や近畿は大変みたいですよ」

「福岡は被害が少なくてな、有難かよ」

「オオカミ少年の話みたいに、来る来るって言われて来ないと段々警戒しなくなりますよね」

「そういう時が本当は一番危なかとよ」

と、ここまでは最近の定番の流れです。


車は若干の渋滞の中を増水した川に沿って走っていました。

「昔な、私がまだ小学校の三年生やった頃、台風でこの川が氾濫した事があったとよ」

「はあ…」

「家の台所、その当時は土間やった所に水が入って来てな、母親が学校に行って人を呼んで来なさいって言うとよ。

その母親は継母で厳しい人やったけん、私は逆らえんで雨風の中に飛び出したと」

「ほほう…」

「ちょうど今ぐらいの時間やったけど、空はもっと暗くてね。どこが川なんか分からんくらい辺り一面水浸しやった。

途方に暮れたけど、家に戻ると叱られるって分かっとったからな、もう無我夢中で土手をよじ登って、何度も吹き飛ばされそうになりながら学校に向かって走ったとよ。

校舎の裏の崖を今度は半ば流されながら下って、やっと学校にり着いた時には、辺りはもう真っ暗やった…」

車は五条の通りをノロノロと進んでいます。

台風で学校に残っていた先生達は、職員室に駆け込んで来た彼女を見て驚いた様子でしたが、彼女が事情を話すと数人の男性教師が合羽を着て外に走り出して行きました。

「よくここまで来たね」

「お母さんがよこしたの?」

「そう…大変だったわね」

残った先生達が彼女を労ってくれました。

皆、彼女の家の事情は知っていたようで、

『可哀想にこんな小さな子を台風の中外に出すなんて』

という気持ちだったのでしょう。

中でも一人の女性教師が、

「T子ちゃん、こんなに濡れて頑張ったね!

辛かったね。

でもお母さんを悪く思わないでね」

と抱きかかえるようにして彼女の身体を拭いてくれました。

「有り難くてね、涙が止まらんかったよ」

あと一つ角を曲がれば薬局が見えてきます。

僕は『そろそろ切り上げ時かな』と思い、

「先生の恩って有難いですね」

とか何とか、無難な合いの手を入れて話しを終わらせようとしました。

しかし、次の彼女の一言で言葉が出なくなりました。

「後で判ったんやけどな、その時の女の先生っていうのが私の本当のお母さんやったんよ」



車は薬局の駐車場で停止しました。

「ごめんな、運転手さん。年寄りの話に付き合わせて」

「いえ…」

「いくらかな」

「920円です」

千円札を出して、

「お釣りはいらんからな、コーヒー代にもならんやろうけど」

「ありがとうございます」

足を庇いながら俯き加減に降りて行ったおばあちゃんの顔は見なかったけど、泣いているのは声で分かりました。

顔を見られなかったのは、僕も泣いていたからです。



タクシー運転手より


JUJU 『ありがとう』

2017-05-14 22:00:04 | 心に伝わるback Music
約1年の時を経て帰って来ました。
皆さんはご無沙汰してますkentathuです。


現在は山梨県(富士山の本栖湖が有る町内)に居ます。

今回はおじいさんの話です。

心に伝わるback Musicとして
記事を書いてます。


86作目は、
JUJUの『ありがとう』です。
(下記画像をクリックして下さい。)

♪「ありがとう」♪

この曲は映画「ツナグ」の主題歌にもなってます。
(下記画像をクリックして下さい。)

♪『ツナグ』予告」♪

By kentathu

それでは、Aさんの話です。
追記を読む(MORE)に進んで下さい。
親が離婚して、親父のいない俺にとっては爺さんは親父と同じ存在だった。俺にたくさんの事を教え、大酒飲みだった爺さん。
幼い頃は2人で温泉行ったり、地元の美味しいお店に食べに行ったり、とにかく俺も爺さんが好きだった。
小一から始めた剣道の大会があったなら爺さんはいつも婆ちゃんと一緒に応援に来てくれた。
あんまり強くなかった俺の試合をいつも見に来てくれた爺さんに感謝しかなかった。
無事に中学も卒業して、高校も剣道を続けることにした。
入部してから先輩に俺だけ怒鳴られたり、練習以外の道場掃除やお茶の準備で手際が悪く不器用な俺はとにかく怒鳴られた。
使えない、のろま。よく剣道を続けてこれたな。罵られても何も言えない自分がそこにはいた。
剣道をすることで得た楽しさが日に日に薄れていった。試合でも勝てずに、もどかしさが俺の心を完全に支配していた。
クラスでも、いじめに近いようなことをされた。何も出来なくて、されるがままだった。学校なんて面白くなかった。地獄だった。
試合で勝ちたい、暴れたい。それだけが頭の中を支配して試合を楽しむことを忘れていた。
上手くいかないことで家族に当たった。爺さんにも当たってしまった。

今考えると、ちっちゃかった。
ちっぽけなプライドが邪魔して、素直になれない自分がいたんだ。
高1の冬、爺さんが入院した。大雪が降ったから高校にも行けないので爺さんと昔話をしながら雪だるまでも作って謝ろうと思ってた。
でも、叶わなかった。俺と爺さんの住んでる村の病院じゃなくて市の病院に入院した。

部活終わりは必ず爺さんの見舞いに行った。
村にすぐ帰るから、が口癖だった。
俺も、早く帰って家族みんなでメシを食おうって爺さんを励ました。
爺さんの病名は家族からも聞かされなかった。

それから、1ヶ月もしない3月9日。爺さんは深夜に心肺停止になって、もう脳だけが生きているだけの状態になってしまった。
ずっと爺さんの冷たい手を握り続けた。でも、爺さんは帰ってくることは無かった。そのまま、息を引き取った。

葬式はほとんど覚えてない。孫代表で俺が別れの言葉を書いて読んだ。じいさんの遺影に土下座した。
出来の悪い孫でごめん。爺さん孝行が出来なくてごめん。とにかく、もう返事は返ってこないはずなのに俺は爺さんに謝り続けた。
何度もごめんを繰り返した。畳の上に俺の大粒の涙がこぼれた。謝りきれなかった。


爺さんがいなくなってからは、何をしてもやる気さえ起きなかった。
学校もただなんとなく過ごして、剣道も適当だった。爺さんがいないなんて意味が無い。絶望だけが支配していた。
もうクラスでも孤立していた俺は、遂に自殺して楽になろうって決意した。剣道を辞めて、毒でも飲んで死のうって決めた。

そんな中、爺さんが使っていた軽トラが業者に引き取られることになった。
軽トラの中に荷物が残ってないか業者が確認していたら、何かを手に持って俺に近づいて来た。

それは、俺が小学校1年生の入学式の朝に撮った写真だった。懐かしかった。笑っている爺さんとランドセルをからって堂々としてる俺。

優しいお爺さんだね。軽トラのサンバイザーに挟まってたんだよ。って業者は言って俺に写真を握らせた。そして、爺さんの軽トラは引き取られていった。

少し寂しかった。爺さんの畑仕事手伝いの時は、俺は後ろに乗って爺さんの畑仕事の手伝いによく行ってたからだと思う。
ひとりになった後、爺さんの写真を見た。手から写真が落ちて裏面が表になった状態で俺は写真を拾い上げた。その後ろに何か書かれてた。
メッセージらしき文章を読み終わると、涙が止まらなくて嗚咽を出して泣いた。

○○!
これを見てるってことは今、○○はすごく苦しんでいるんだと思う。
負けるな!挫けるな!悲しい時は顔を上げろ、泣く時は泣け、何があっても堂々と。それが男ぞ、大将だ。
剣道も今は苦しいだろうけど、お前ならなにか一つ大きな仕事で成功できる!
頼んだぞ。 爺より


爺さん、あんたのおかげで俺は自殺を止めて、もう1回頑張ろうって思えたんだ。

剣道も引退した。俺の剣道人生は爺さんのおかげで11年も剣道出来たよ。

次は、俺の夢を応援してくれよな。看護師になって、誰もなれない立派な看護師になるから空の上から応援してよね。
爺さんよりも、立派な男になってやるから。


Aより