旅の途中で観る夢は(おやじの旅日記)

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長い期間悩ましていた、我が家の雨漏りが解決したことを祈るだけ。

2022年08月15日 08時03分07秒 | こんな事が

 我が家の雨 ☔ 漏り、数日ようやく解決しました。

 新築三年目から、雨漏りが始まりました。

 工務店に携わったかたは解ると思うのですが、雨漏りの原因を探すには難しい。

 根本的な原因は、屋根の込み入った個所のコーキングと塗装の技術が無かったことが原因のようでした。

 それも、これもハッキリした訳では無いが。

 雨が激しく降って、風で舞い上がる雨 ☔ の日に多い。

 おかしなもので、雨が侵入する道筋が出来ると回数が多くなった。

 二年前に外壁の全面塗装を依頼した業者さんの感想から感じた事。 

 

 

 ↑ 発端は、我が家のデッキの材料と工法にも一端の原因がありました。

 観ると、縦板の材質は木材でご覧のように横の太い梁の間に張られた角材の感覚が広くて恐怖感がありました。

 上に乗るのに少し恐怖感があり、利用頻度が少なく有効利用されていませんでした。

 

 

 ↑ 雨降ると、室内のサッシ内の板が濡れ初めたのが始まりでした。 

 工務店に ☎ をして、色々対策をしました。

 外壁のボードの張り方が悪いのか、点検したり。

 屋根の外壁との境の塗装(コーキング)の漏れがあるか、点検して頂いたり。

 

 

 

 

 ↑ 横の太い梁の先に雨がしみこんで行くのかとか。

 

 

 ↑ 対策として横張の食い込んでいる木材をコーキングしたり。

 

 

 ↑ 屋根の怪しい所をコーキングしたり。

 それでも、室内の雨漏りは収まらず。

 

 

 ↑ 室内のボードをはがして、中から雨水の漏れる個所を探そうとしましたが。

 壁をはがしてみても結局解らず。

 ここまで来るのに何年もかかりました。

 結局解らずじまい。

 外壁のボードの塗装の対年数もあり、全面塗装にかける事にしました。

 

 

 ↑ 家の全面塗装をしても、室内の雨漏りは解消されず。

 塗装業者の技術力を疑ったりしたことも有りましたが。

 ただ、雨漏りがする箇所が少し違う個所に移動しました

 

 外壁の塗装をするために、外壁の家の塗装をはがすのに高圧洗浄をした時も雨漏りはしました。

 外壁の塗装終了後も雨漏りはおさまらず。

 内壁に水がしみこむようになりました。

 最悪でした。

 

 

 

 

 ↑ 今度は内壁に雨がしみこむ。

 

 

 ↑ 塗装の漏れが無いのか、色々目視で観ましたがわかりません。

 

 

 ↑ 怪しい。?

 

 

 ↑ 最後は、デッキの板をはがしたら横の梁が一部腐って居ました。

 これが第二の原因でした。

 木材と外壁の空間が無く、雨水を逃がす隙間が無かったのも原因の一つのようでした。

 

 対策は、腐った所を削り新しい板を張り合わせ雨漏りが無いか確認後。

 第二の対策として太い横柱にトタンの屋根をかぶせようにしました。

 これは、私から提案したら採用されました。

 何日も経過観察しました。

 ようやく、雨漏りはおさまったみたい。

 

 

 ↑ デッキを使用しないようにするか悩みましたが。

 使わないようにしても、窓から落ちないようにするのにお金がかかるし。

 結局、デッキの縦板の木材ははがし、プラスチェック材質の板に変更しました。

 

 

 ↑ 真中に金属の板を組み込んだ材質の物です。

  

 

 ↑ 前の木材より強度が弱いようなので、前は無かった梁もかまし強度を高めました。

  これで、今迄以上に安全にデッキを利用できるようになるかとおもいます。

  赤〇補強板(プラスチェック材)を追加した、橙〇は横張木材の上にトタンを張ったピンク〇は外壁とデッキの空間を開けた。

 

 

 

 

 ↑ 工事が終わったばかりなので、明日デッキの上に上がり強度と恐怖感が無くなった事を確認するのみです。

 小生高いとこらはかなり苦手。💦

 

 雨漏りの第一の原因は、屋根の入り組んだ所のコーキングの作業のやり方が悪かった

 これは、外壁塗装の工事が終了してから屋根からの雨漏りが無くなったような感じがしたので。

 やはり、塗装業者さんが推定処を。

 塗装業者さんが念入りにこれはと思う処の処理をしたそうです。

 外壁の塗装をしたら最初の雨漏りはしなくなったので。

 第二の原因は、デッキの横板の梁の根元が腐っていたから。

 これは、外壁の洗浄をした水の勢いで柱の腐りを促進したようです。

 いずれもこれで対策したので、雨漏りは無くなった事を祈るだけです。

 文章も長くなりましたが、こんな雨漏りの要因も有る事が何か役に立っていただければ幸いです。

 雨漏りの原因は難しい。

 これで雨 ☔ の日でも家の中で安心して生活が出来る。

 長い道のりでした。


縁切り寺と花のお寺で有名は東慶寺へ。

2022年08月13日 11時09分09秒 | 旅の途中で

 昨日は旧盆で、お墓参りに行って来ました。

 

 朝から、気分的に良い朝を迎えました。

 前の日、お風呂 🛁 上りに体重を測定したら、なんと 64.8キロ 。 

 

 ↑ 寝ぼけて居たのか心配になり、今日朝起きて洋服を着て測定したら 65.6キロ 

 昨日の測定した体重間違いなかった。

 それにスマホを手にもって測定したので。

 体重+スマホ=65.6キロ。

 体重が72.5キロに増えて、病院 🏥 の先生に促され減量に挑戦 64.5キロ まで減量に成功したのですが。

 チョットしたタイミングで 68.0キロ までリバンドして再度減量に挑戦。

 数か月かけ減量に成功。

 ようやく、どのくらい食事の量を食べれば体重が維持できるか何となく理解できるようになりました。

 軽い運動をしながら、栄養失調にならない様に注意しながら。

  これでも、ヘモグロビンA1Cが下がって居なかったら最悪。

 後10日後病院に行ったときの結果が気になる。

 薬を服用するようになるのか?。

 体が軽くなったのは確か。

 日々の生活の中で、前より疲れにくく成ったような感じがする。

 

 ↑ 午前中、東山霊園にお墓参り。

 かなりお墓にむかう道路 🛣 混んでいましたが停滞していた訳では無く。

 ゆっくりとスムースに車 🚙 は流れていました。

 

 

 ↑ 街中の善導寺。

 ここは父方の本家のお墓と、私の実家のお墓が有るお寺。

 

 

 ↑ 郡山では、本堂の内部は立派な方だと思います。

 

 ↓ 話は変わり。

 こちらは、北鎌倉の「東慶寺」。

 浄智寺から歩いて数分。

 

 ↑ 東慶寺入り口。

 縁切り寺、映画にもなりました。

 開山以来明治に至るまで本山を持たない独立した尼寺でしたが、現在は円覚寺末の男僧の寺であります。

 また江戸時代には群馬県の満徳寺と共に幕府寺社奉行も承認する縁切寺としてしられ、女性の離婚に対する家庭裁判所の役割も果たしていました。

 境内内の松ヶ岡宝蔵には、別に入館料はかかりますが興味のある方は一度は見ても良いかも知れません。

 私は二度拝観しました、仏像も有ったりするので。

 離縁状、いわゆる三下半(三行半)の書面も。

 東慶寺に残るものは駆込女が無事に内済離縁となったときの縁状状の写しでありました。

 写しとは云え東慶寺に差出す写しの方に良い紙を使い丁寧に書くことがあったそうです。

 

 

 ↑ 東慶寺案内板。 

 江戸時代は縁切り寺として、現代は花のお寺として有名ですが。

 今日はなぜか閑散としていました。

 何時もはこんなことは無いのに。?

 

  

 ↑ 参道の階段を上って。

 そう言えば、前の方は境内に入らず降りてきたっけ。

 嫌に静か?。

 

  

 ↑ 入口の立て看板をみて少し驚いた。

 境内内の写真 📷 撮影はお断り、撮影NG

 なんで、美しい花の写真を撮影 📷 したかったのに。

 誰か、何かお寺にご迷惑をかける事をしたとか。

 

 入口の受付で拝観料を納めて中に。

 確かに、写真撮影目的の人は居なかったので。

 静寂でした。

 咲いている花 🌸 は綺麗でしたが。

 少し物足りなかった。

 

 ↓ 境内入り口付近の階段周辺に咲いていた花です。

 

 ↑ あじさいの花。

 

 

 

  

 ↑ 階段脇の小路を入り。

 

 

 ↑ 喫茶「吉野」で休憩を。

 ここでもチョットしたいきちかいが。

 カメラ   を向けてお店の写真を撮ったのですが、軒先のテーブルに男の方いたらしくて。

 写真が嫌いらしく、撮影しないでというクレームが。

 お店に入る時に言われた言葉でした。

 一瞬こころがどうよう。

 丁寧にお詫びをしましたが。

 写真が嫌いなようなことを言っていました。

 私も、今迄色々なと所に遊びに行って、建築物を撮影して撮らないでと言われたのは初めてでした。

 帰宅後写真を眺めましたが、軒先が暗かったのではっきりした姿は確認できませんでした。

 もしかして写真手前のあじさいの影辺りに居たのかも?。

 トラブルに成らなかったで一安心。

 私も丁寧に頭を下げて謝りましたが。

 

 

 ↑ アイスコーヒー ☕ とブラウニを頼んで。

 

 

 ↑ 美味しく頂きました。

 暑い時間、ホットひと息。

 

 

 ↑ 料金を支払い岐路に。

 帰り、お店を出て店先のテーブルを確認したら人は居ませんでした。

 チョット憶測をしてしまいました。

 

 帰宅後、「東慶寺」のホームページを見たら、私が考えていたような事で境内の写真撮影はお断りをしているそうです。

 参拝もせず、写真のみ撮影して行くとか?。

 私もどこでも感じことですが、ここには入らないで下さいと立て看板が掲げてあるのに。

 入って、草花を踏んだり、自分の勝手な構図をつくす為に置いてあるの物を動かしたり。

 そんなことが、やはりホームページに記載されていました。

 

 私はお花が好きなんだと言いながら、入って根っこを踏んで写真撮影をしている方を見かけた事もありますから。

 私も気を付けないと。

 そんな鎌倉「東慶寺」でした。

 次に向  かうには北鎌倉駅前の「円覚寺」です。


お盆恒例のお供え物を今年も。

2022年08月11日 11時01分22秒 | 日記

 今年も旧盆の季節に。

 亡くなった個人が、入院中に食べたメロン 🍈 を美味しく食べていたので。

 それ以来、お盆の季節が近づくと北海道のメロンをお取りよせ、お仏壇にお供えするのが恒例行事になりました。

 

 昨日、しばらくぶりに街中のうすいデパートへ買い物に行きました。

 その時の話、うすいデパートの南側の道路は旧4号線から駅前方面へ一方通行ですが、何と逆走してきた車があるでは有りませか。

 小生うすいの駐車場から一方通行の道路を渡りかけた時、反対方向から車が逆走

 車にひかれはしませんでしたが、手で一方通行だと合図をしました。

 近くにいた女性の方が車のナンバーを見たら県外の宮城ナンバーだったとか。

 あの細い道路で逆走を観たのは初めて。

 それにしても、道路の幅を見たら何か感じるものが有るはず。

 お互い、お盆は知らない処から来る方も多いのでお互い気をつけましょう。

 後は、郡山モールあたりの交差点では、軽自動車と学生自転車の接触事故後を観たし。

 急救車 🚑 に ☎ をしてる所だったようです。

 お盆、急ぐ方も居るようなのでお互い交通事故には気を付けて運転したいものです。

 

 ↓ 話は本題に戻り。

 

 

 

 ↑ 富良野メロンをお取り寄せしたら。

 娘に届けたメロン 🍈 が、一部腐っていたとか。

 切ってみないと解らない。

 枝が付いている方が腐っていたとか、珍しい。

 娘で良かった、他の人に差し上げたメロンだったら、申し訳ない。

 何かあったら、連絡してと言葉をそえて差し上げるが。

 頂いた物が、良くなかったとは言いずらいものだと思う。

 

 

 ↑ 早速生産者に連絡して代外品を送って頂いたが。

 

 

 

 

 ↑ 毎年頂いていると、口が超えてくるし。

 正直これはと思うメロンに出会ったのは数回。

 後は、この辺で買うメロンよりは美味しいと感じるくらい。

 生産者のホームページに掲載されている、感想のようなメロン 🍈 になかなか遭遇せず。

 現地で頂けばお美味しいのかも知れないが。

 以前北海道旅行をしたとき、毎年予約で購入しているお店の前を通過したが、現地の「観光バス」🚌 だったので願いはかなわず。

 一個4000円弱くらいでは、おいしいメロンには遭遇しないのだろうか。

 昨年は、ふんぱつして夕張メロンもお取り寄せしたが、思っていたような感動は得られなかった。

 こんな物なのか。

 メロン 🍈 は、追熟の室内条件が難しいのかもしれない。

 かくも、メロンはお取り寄せしているが小生年金生活。

 普段はつつましい生活をいている。

 

 果物は難しい。

 以前福島のフルーツライン沿いのお店で試食し美味しかったので、店頭で販売していた家庭用(500円)のリンゴを娘にも届けたら美味しかったと。

 後日、予約してそれなりの値段のリンゴを娘の所に送ったら、家庭用(500円)のリンゴ 🍎 の方がはるかに美味しかったと。

 それ以来、娘の所に届けるのは家庭用にした。

 私も家庭用で十分、美味しくなかったらガッカリするだけだから。

 そんなことが多い、特にフルーツは。


『電車旅、行って来ました国宝松本城へ「Ⅲ」』。

2022年08月09日 21時01分20秒 | 旅の途中で

 大人の休日クラブ1日目の電車旅    。

 天下の名城「松本城」の続きです。

 「電車旅、行って来ました国宝松本城へ「Ⅰ」

 ↑ クリックすると『電車旅、行って来ました国宝松本城へ「Ⅰ」』のブログを観る事が出来ます。

 

  「電車旅、行って来ました国宝松本城へ「Ⅱ」

 クリックすると『電車旅、行って来ました国宝松本城へ「Ⅱ」』のブログを観る事が出来ます。

 

 ↓ 松本城のお城の階の構成を外から観ると。

 

 ↑ このブログは、松本城天守閣三階から。

 

 

 ↑ 三階部分は、お城の屋根の部分にあたるので窓もなくただ暗いだけでした。

 ここは乾小天守三階と同じく下から二重目の屋根がこの階の周囲を巡ってつくられているため窓が作れません。

 隠し階、暗闇重などと呼ばれています。

 戦時は倉庫・避難所としてつかわれたと考えられています。

 

 

 ↑ 手斧削りによる貝殻状の「はつり紋」が美しく浮かび上がります。

 左の柱を観ると貝殻状のようなちょうがんな跡が。 

 

  

 ↑ 天守三階。

 

  

 ↑ 天守三階から四階へ。

 

 

 ↑ 天守四階。

 四階の柱は綺麗に仕上げられていましたが、三階との通し柱だそうです。

 三階の柱は粗削り、四階は綺麗に仕上げられていました。 

 ちなみに、松本城は。

 一階、二階は同じ柱の通し柱を使っているとか。

 三階、四階は同じ柱の通し柱を使っているとか。

 五階、六階は同じ柱の通し柱を使っているとか。

 三つのブロックを積み重ねて松本城は構成されているようです。

 

 

 ↑ 急な階段。   以前訪れた時の写真。

 四階の床と天井の間は4メートル弱あります。

 この高さの所へ、柱と柱一つ分の間に階段をかけるので松本城では最も急な61度の階段です。

 どの階段も、今回は階段付近で立ち止まり写真撮影はしないような案内板がありました。

 

 

 ↑ 天守五階。

 

 

 ↑ 天守五階。

 

 

 ↑ 天守五階。

 何処の階段もご覧のように、急階段。

 私は、階段を上る時も下る時も慎重に、横木を掴りながら移動しました。

 

  

 ↑ 松本城最上階の六階。 

 天守の守り神。 

 

 

 ↑ 二十六夜神

 元和3年(1617)松本に入封した戸田氏がまつったとされています。

 月齢26日の月を拝む信仰で、戸田氏は毎月3石3斗3升3合3勺(約500キログラム)の米を炊いて供えたといわれています。

 関東地方に盛んだった月待信仰が持ちこまれたものと解されています。

 

 

 ↑ 守護神二十六夜神の説明板。

 

    

 ↑ 桔木(はねぎ)構造も。 

 

  

 ↑ 桔木(はねぎ)構造

 屋根裏を見上げると太い梁が井の字の形に組まれ(井桁梁/いげたばり)、写真のように四方へ出て軒をつくる垂木の下に、さらに太い桔木が外側に向かって放射状に配置されています。

 これは天守最上階の重い瓦屋根の軒先が下がらないように支えるため、テコの原理を使った装置です。

 図のように屋根の中央部分の重量が力点にかかり、作用点は軒先になります。

 この仕組みは鎌倉時代の寺院建築から採用されています。乾小天守四階にも同じ桔木構造があります。

 

  

 ↑ 歴史を感じさせる構造の梁。        ↑ 階段付近には誘導係りの人が居ました。

 今までは確かボランティアが階段付近に立っていましたが、今回は誘導係りの人が良いjことだと思いました。

 

 

 ↑ 天主最上階(六階)南西方面。

 

 

 ↑ 天主最上階(六階)西北方面。

 

 

 ↑ 国宝指定書。

 

 

 ↑ 天主最上階(六階)説明板。

 

 

 ↑ 天主最上階(六階)を観て、五階に降りる事に。

 係りの方が居て、上りと下りを交互に案内していました。

 

 

 ↑ ここは五階、ここでも係りの方が案内してくれていました。

 この階には、東西に千鳥破風、南北に唐破風が取り付けられ、室内には破風の間があり、武者窓から全方向の様子を見ることができます。

 三間三間の空間があり、戦いのときには、重臣たちが作戦会議を行う場所として考えられています。

 

 

 

 

 ↑ 天守四階説明板。

 

 

 ↑ 天守四階、城主御座所。

 城主が天守に入ったときはここに座を構えたと考えられています。

 戦時に城主がここに籠る場合は、天守も戦闘の最終局面を迎えることになりました。

 三間×三間となっていて、小壁をおろし、内法長押(なげし)を廻しています。

 ここ四階部分は、良く観ると柱の仕上げも丁寧に仕上げてありました。

 

  

 ↑ 何か有事の時には、お城の城主が座る所。

 

 

 ↑ 天守三階。

 窓が無くくらい。

 柱の表面の処理も、ちょうがんなの後が見えました。

 

 

 ↑ 松本城の木組みがすごい。

 

 

 ↑ 松本城の木組みがすごい。

 

 

 ↑ 辰巳附櫓へ。

 

 

 ↑ 辰巳附櫓展示品。

 

 

 

 

 ↑ 辰巳附櫓二階案内板。

 

 

 

 

 

 

 ↑ 外は熱そう。

 

  

 ↑ 月見櫓へ。                ↑ 月見櫓から辰巳櫓へ。

 

 

 ↑ 月見櫓。

 江戸時代に3代将軍がおいでになる予定でしたが、道中でがけ崩れがあったらしくて中止になり。

 将軍が訪れる事はなくなりました。

 

 

 ↑ 月見櫓案内板。

 

 

 

 

 ↑ 月見櫓。

 

 

 ↑ 月見櫓から外を眺める。

 

 

 ↑ 月見櫓を観てから、天守閣の外へ降りる事に。

 

 

 ↑ 国宝松本城見ごたえがあるお城でした。

 

  

 ↑ 天守閣からの出口。

 

 

 ↑ そうそう、毎年秋にはお城の外壁の黒漆を塗りなおすので。

 冬に訪れると光り輝いたお城を観る事が出来ます。

 

 

 ↑ 滴水瓦(てきすいがわら)。 知れば知るほど面白い。

 滴水瓦とは、瓦の軒に面する部分が逆三角形をしていて雨水がしたたり落ちやすい形に作られた瓦です。

 秀吉の朝鮮出兵に参戦した大名たちが築いた城に突如多く用いられるようになり、関ヶ原合戦以降大名の配置転換により全国に広まったといわれています。(一般的には雨落瓦といわれています)

 

 

 ↑ 捨て瓦(すてかわら)。 知れば知るほど面白い。

 屋根の上に平瓦が敷かれているところが幾ヶ所かあります。この瓦は「捨て瓦」といいます。

 上の階の屋根から雪が凍ってすべり落ち平瓦や丸瓦をいためる可能性があるので、昭和の大修理の際に保護のために置かれました。

 色々松本城のこと、知れば知るほど面白い。

 

 

 ↑ 国宝松本城天守閣からのお別れ。

 今度いつ訪れられるか解らないが。

 

 

 ↑ 黒門。

 

 

 ↑ 黒門。

 歴代藩主の家紋があります。

 

 

 ↑ 黒門。

 

 

 ↑ 入り口案内所の出口側です。

 

 

 

 

 ↑ 松本城は戦国時代の永正年間に造られた深志城が始まりで、現存する五重六階の天守の中で日本最古の国宝の城です。

 黒と白のコントラストがアルプスの山々に映えて見事な景観でした。 

 

 

 ↑ 松本城案内図。

 

 

 

 

 ↑ 松本城にお別れです。

 武田信玄の「深志城」が始まり。 

 今の松本城のあたりには深志城があり、これが現在の城の前身であるといわれています。

 深志城についてははっきりしない部分が多く、松本城築城にどのように引き継がれたかはわかっていないようです。

 

 最近YouTubeで音楽    を聴きながら、ブログをアップする機会が多いのですが。

 今日はテレビで過去に放送された「白線流し」の主題歌はスピッツの「空も飛べるはず」でしたが。

 私が聞いているのは、木村美保さんの「白線流し」です。

 良かったらお聞きください。


久しぶりに訪れた二本松霞が城は。

2022年08月07日 21時51分56秒 | こんな事が

  他の方のブログを拝見して二本松「霞が城公園」へ行  って来ました。

 久しぶりの訪問だったので、お城のエリア内のわずかな方向感覚がマヒしてしまいました。

  

 ↑ 訪れたのは7月の下旬。

 

 

 ↑ 車を駐車  させたあたりの風景。

 遠くにそびえるのは、安達太良山・簑輪山だそうです。

 山のことはまっやく解らず。

 

  

 ↑ 少し歩  いて。

 

 

 ↑ 箕輪門付近の駐車場に移動させて。

 お城訪問。

 

 

 ↑ 二本松少年隊の像。

 

  

 

 

 ↑ 箕輪門に。

 何年ぶりだろうか?。

 若い時は何回か訪れた事はあるが。

 ここ最近は来ていない。

 青春の淡い思い出。

 

 

 

 

 

 

 ↑ お城と言えば、石垣の積み方。

 角の組み方を観ていると、良くテレビで放送しているような組み方をやはりしている。

 

 

 

 

 ↑ 最上階から階段下を眺める。

 

 

 ↑ 広場では、菊人形の開催準備をしていた。

 

 

 ↑ 霞池のスイレンを見に来ましたが。

 

 

 ↑ スイレンこんな物なのか?。

 7月の下旬だったし、それに時間帯も午後の3時過ぎだったせいか?。

  スイレンお花が、物足りない。

  昔は車も所有していないし、移動するのはバス 🚌 か電車 🚊 。

 この辺りで、写真  を撮影した思い出がかすかに思い出します。

 

 

 ↑ お城の石垣、この角の組み方。

 基本的な組み方のようです。

 

 

 ↑ 石垣の隙間から花が咲ていました。

 ベコニア?。

 

 

 

 

 ↑ 二本松少年隊の像を後に岐路に着きました。

 気分転換のドライブ  でした。

 

 最近はまっている曲。

 鈴木一平さんの「水鏡」

 若い時、聞いた記憶が無い。

 水鏡を聞きながらブログを書いています。