41.天皇の戦争責任
天皇の戦争責任はソ連とオーストラリアが主張していた。
しかしマッカーサーは占領統治の成功には天皇の存在を欠くことができないと考えており、戦犯リストから天皇の名は外された。
だが、極東委員会や米国の一部の天皇廃止論を憲法問題としてどう処理するかの問題は残ったままであった。
昭和20年(1945年)11月29日、米統合参謀本部(Joint Chiefs of Staff:JCS)はマッカーサーに対し、天皇の戦争犯罪行為の有無につき情報収集するよう命じた。
これを受けマッカーサーは、1946年1月25日付けのこの電報で、天皇の犯罪行為の証拠なしと報告した。
さらに、マッカーサーは、仮に天皇を起訴すれば日本の情勢に混乱をきたし、占領軍の増員や民間人スタッフの大量派遣が長期間必要となるだろうと述べ、アメリカの負担の面からも天皇の起訴は避けるべきだとの立場を表明している。
41.1.米統合参謀本部の指示
戦争中から敗戦直後にかけて、連合国内では天皇ないし天皇制の存廃をめぐって活発な議論がなされていた。
アメリカ国務省内部においても、天皇廃止論者と保持論者による激しい争いが存在しており、容易にその結論を見出せずにいた。
そうしたなか、昭和20年(1945年)10月22日、国務・陸・海三省調整委員会(State-War-Navy Coordinating Committee :SWNCC)の第28回会議が開催された。
この席上、天皇を戦犯裁判にかけるべきかどうか、天皇は戦争責任を有しているかを極秘にマッカーサーに調査させ、その結論を勧告として送ることを命じる決定(SWNCC556)がなされた。
この決定によって、天皇訴追の判断が事実上、マッカーサー の手に委ねられるという状況が生じたのである。
昭和20年(1945年)11月29日、米統合参謀本部はマッカーサーに対し、天皇の戦争犯罪行為の有無につき情報収集するよう命じた。
<WX85811(統合参謀本部から太平洋米軍最高司令部)>
1945年11月29日
宛先: CINCAFPAC[太平洋米軍最高司令部]、進駐 CINCAFPAC
送信元:ワシントン、統合参謀本部
番号: WX 85811
1. 国務、陸軍および海軍省から受け取った以下は、ヒロヒト(昭和天皇)という人物についてであり、天皇の制度についてのものではない。
2. ご承知のように、ヒロヒトが最終的に戦犯として裁かれるかどうかというテーマは米国にとって大きな関心事である。米国政府の立場は、ヒロヒトは戦犯としての逮捕、裁判および処罰を免れないというものである。ヒロヒトなしでも占領が十分に進められると思われる場合には、彼の裁判の問題が提起されるであろうと想定される。
また、そのような提案が目的にかなうものであれば、同盟国のひとつないしはそれ以上から提起されることも想定される。
3. したがって、いずれにせよ、つねに十分なセキュリティ対策のもと、証拠の収集を遅らせてはならないことは明らかである。
この証拠は、彼が最終的に裁判にかけられるかどうかにかかわらず必要であると思われる。
なぜなら、彼を裁判にかけないという決定は、入手可能なすべての事実に照らしてなされるべきであるからである。
4. この件における決定が貴官の任務達成に与える影響は、ここでは十分理解されている。したがって、この問題のいかなる側面に関しても貴官のコメントを歓迎する。
5. いっぽう、証拠の収集は、証拠そのものや、多くの証拠が収集されているという事実のいずれもが明らかにならないよう、厳格なセキュリティ保護措置のもとで実施されることが求められる。
その後、証拠は統合参謀本部に転送され、国務・陸軍・海軍調整委員会に提出される。
いずれ貴官は、ヒロヒトを戦争犯罪人として訴訟することを是認あるいは許可する条件について提言するよう求められる。
41.2.連合国戦争犯罪委員会
昭和21年1月22日、マッカーサーは、米国統合参謀本部(JCS)からの電報を受け取った。
電報の内容は、ロンドンの連合国戦争犯罪委員会(UNWCC)で、オーストラリア 代表が天皇を含む62人の日本人主要戦犯リストを提出したというものであった。
マッカーサーは、この時点では既に天皇不訴追の方向で、ほぼその意思を固めていた。
だが、この調子で連合国から天皇を戦犯とするリストが次々と提出 れてしまったならば、不訴追が実現不可能になる恐れがあった。
しかし、この時点でマッカーサーは、ワシントンから命じられた天皇の戦争責任についての調査を、実際にはほとんど行なっていなかった。
そのような中、マッカーサーは早急に意思表示をする必要に迫られた。
1月25日、マッカーサーはアイゼンハワー米陸軍参謀総長宛に緊急電報を送付した。
JCSからの電報の わずか三日後のことであった。
41.3.マッカーサーから陸軍省参謀総長へ連絡
マッカーサーは昭和21年(1946年)1月25日付で、アイゼンハワー陸軍参謀総長宛に、天皇の刑事訴追の可能性について報告した。
マッカーサーは「可能な限りの完全な調査から、私は終戦までの天皇の国事関連行為は、ほとんど自動的に大臣、したがって天皇側近の助言者たちの責任であるとの印象を強く受けた」と述べ、さらに「天皇を戦犯として訴追するなら、占領計画の重要な変更が必要となり、日本側のゲリラ活動に対処するため、少なくとも百万の軍隊と、数十万の行政官と戦時補給体制の確立が不可欠になる」と述べている。
<マッカーサー、アイゼンハワー陸軍参謀総長宛書簡>
陸軍参謀総長:アメリカ陸軍における最高位の軍人
<CA 57235(天皇の戦犯除外に関するマッカーサーの報告)>
送信元:日本、東京進駐 CINCAFPAC[太平洋米軍最高司令官]
宛先: 陸軍省
番号: CA 57235
1946年1月25日
進駐 CINCAFPAC マッカーサーから WARCOS[陸軍省参謀総長]、統合参謀本部へ
WX 85811受領以来、天皇に対する刑事訴訟の可能性について、定められた制限のもと、こちらで調査が行なわれた。
過去十年間の日本帝国の政治的決定に多かれ少なかれ関係している可能性のある彼の正確な活動に関して、具体的で明確な証拠は見つかっていない。
私は、可能な限り完全な調査を行なった結果、終戦時までの彼の国政への関わり方は、おもに裁量の余地のないものであり、参与の助言に自動的に応じていたという明確な印象を持っている。
たとえ彼が肯定的な考えを持っていたとしても、支配的な軍閥に牛耳られ代表される世論の流れを妨げようとする彼の側の努力は、実際に彼を危険にさらすことになった可能性が高いと考える者もいる。
もし彼が裁かれることになれば、職務上の計画に大きな変更が加えられなければならず、したがって、実際の行動が開始される前に、十分な準備が完了していなければならない。
彼はすべての日本人を統合するシンボルである。
彼を破壊すれば国家は崩壊する。
実質的にすべての日本人は、彼を国家の社会的必要性として崇め、ポツダム協定が彼を日本の天皇として維持するためのものであると、善かれ悪しかれ信じている。
彼らは連合国の行動を歴史上の裏切りと見なし、この想いによって生じた憎悪と憤慨は、疑いなくすべての測定可能な時間つづくだろう。
それにより復讐のための復讐劇が始まり、その連鎖は終わるとしても数世紀先になるかもしれない。
私の意見では、日本全体が、受動的または半能動的な手段でその処置に抵抗することが予想される。
彼らは武装解除されており、したがって訓練を受けて装備された軍隊という特別な手段を持たない。
しかしながら、すべての政府機関が崩壊し、文明的慣行が大部分停止し、山間部や辺境地域でのゲリラ戦に匹敵するような地下の混沌と無秩序の状態が結果として生じることは考えられないことではない。
私は、近代的な民主主義の方法を導入するというすべての希望はなくなり、最終的に軍の統制がなくなったとき、分断された大衆からおそらく共産主義的な路線に沿った、ある種の強烈なレジームが巻き起こると考えている。
これは、現在起こっているものとは完全に異なる占領問題であることを意味する。
占領軍を大幅に増強することが絶対に必要となる。
最低でも百万人の軍隊が必要となる可能性があり、それを無期限に維持しなければならない。
さらに、数十万人規模に達する可能性のある、完全な公務員を採用し受け入れなければならないかもしれない。
このような状況下では、何百万人もの貧しい一般市民を対象とした海外供給サービスを、実質的に戦争ベースで立ち上げなければならない。
私が議論しようとしない他の多くのもっとも劇的な結果が予想されるべきであり、新たな事態に対応するために、連合国はあらゆる方面から完全な新計画を慎重に準備しなければならない。
占領軍を構成する国の軍については、もっとも慎重な検討が不可欠である。
米国が、人的資源、経済性、その他の、結果として生じる責任の大きな負担を、一方的に負うよう求められるべきでないことは必定である。
天皇を戦争犯罪人として裁くべきかどうかは、非常に高レベルの政策決定を伴うものであり、私が勧告を行なうことは適切ではないと思われるが、各国首脳による決定が肯定的であるのであれば、上記の措置は必須のものであるとして記載した。
短期間でマッカーサーがこの様な報告をしたのは、「フェラーズ・メモ」の存在があったためである、といわれている。
41.4.フェラーズメモ
フェラーズメモとは、マッカーサーの軍事秘書であるボ ナー・F・フェラーズ准将がマッカーサーに提出した天皇問題に対する覚書をさす。
このフェラーズメモがマッカー サーの回答の母体になったことは広く知られている。
同メモには次のように記されている。
1941年年12月8日の宣戦の詔書は、当時の君主国の首長としてそれを発する法的権限を有していた天皇の免れ得ない責任であった・・・・しかし最も高度の信頼しうる情報によれば、戦争は天皇自身から起こされたものではないことが立証されうる・・・・天皇には宣戦の勅書を、東條が使用した如くに使用する意図はなかった。
すなわちフェラーズは、天皇は戦争を回避しようと願っていたが、東條が天皇の意思に反して戦争を開始した、としているのである。
そしてフェラーズは、実際に米軍の「無血占領」と、日本軍の武装解除に果たした天皇の役割を高く評価したうえで、もし天皇が裁判にかけられるならば全国的蜂起は避けられず、「何万人もの行政官を伴った大規模な派遣軍」を必要とするとしていた。
このように、フェラーズの主張は、天皇の訴追は占領を長期化させる、という占領政策における天皇の有用性を強調することで、米国政府の議論を天皇不訴追の方向に誘導することをその目的としていたのである。
一方、日本側も戦争終結後に連合国による戦争裁判が行われるであろうことを考え独自に研究を進めていた。
日本側の重大な関心ごとは、どうやって天皇の追訴を回避するかに焦点が絞られていた。
しかし当時の状況からすると、もしマッカーサーが天皇の戦争責任を認めれば、日本側がどんな論理展開をしようが、マッカーサーの判断の前には大した効果はなかったように思える。
ただ、米軍は日本の特攻攻撃を身をもって経験してるから、追い詰められた日本人がもし反乱を起こすと、相当厄介になると思っていたことは想像がつく。
<続く>