望洋−81(国際軍事裁判)
45.国際軍事裁判 第二次世界大戦中の1943(昭和18年)10月30日、連合国首脳は「ドイツの残虐行為に関するモスクワ宣言」をローズヴェルト、チャーチル、スタ...
望洋−80(日本国憲法施行)
44.日本国憲法(続き4) 44.6.憲法の施行 44.6.1.日本国憲法の施行と第1回国会の開会 昭和22年(1947年)5月3日、「日...
望洋−79(憲法審議)
44.日本国憲法(続き3) 44.4.極東委員会 極東委員会( Far Eastern Commission)昭和20年(1945年)12月、日本占領管理機構としてワシントンに...
望洋−78(憲法改正案)
44.日本国憲法(続き) 44.3.GHQ草案 44.3.1.GHQの憲法改正草案作成 昭和21年(1946年)2月1日、毎日新聞は憲法問題調査委員会の試案をスクープした。 ...
望洋−77(憲法改正の動き)
44.日本国憲法 終戦直後、日本政府内においては法制局と外務省が、いち早く憲法問題に気づき、その検討を始めていた。 法制局では、入江俊郎第一部長のグループが非公式に憲法を見直す...
望洋−76(マ・元帥と幣原総理会談記録)
43.五大改革(続き) 43.3.会談記録(続き) 10月11日、マッカーサーは新任挨拶のために総司令部を訪れた幣原首相と会談し、五項目からなる指示・実施することを要求した。 ...
望洋−75(五大改革指令)
43.五大改革 東久邇宮内閣の総辞職を受けて、10月9日幣原喜重郎内閣が成立した。 10月11日、マッカーサーは新任挨拶のために総司令部を訪れた幣原首相と会談し、五項目からなる...
望洋−74(人権指令)
42.GHQ(連合国軍総司令部)の日本統治 終戦とともに、日本は連合国軍の占領下に置かれ、非軍事化・民主化への改革が始まったが、占領統治方針の策定作業はそれ以前から本格化していた...
望洋−73(天皇の戦争責任)
41.天皇の戦争責任 天皇の戦争責任はソ連とオーストラリアが主張していた。 しかしマッカーサーは占領統治の成功には天皇の存在を欠くことができないと考えており、戦犯リストから天皇...
望洋−72(マッカーサーの権限)
(第8章 占領) 40.連合国の統治 昭和20年9月2日降伏文書に調印した日本は、連合国軍に占拠され統治されることになった。 この連合国軍の最高指揮官に任命されたダグラス・マ...