また最近は故郷の伝説や風景などに関する事にも興味を持つようになりました。
望洋−64(ハワイ捕虜収容所)
37.ハワイ捕虜収容所 米軍は第二次世界大戦中に欧州や太平洋戦域で捕虜となった敵兵の一部を米国本土に設置した捕虜収容所に移送して管理していた。 終戦後も沖縄の捕虜収容所の一部の...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−207(福屋隆兼の没落)
63.戦国の石見(続き−2) 63.5.福屋隆兼の没落 63.5.1.福屋隆兼の逃亡 65.5.1.1.福屋隆兼の行動 川上松山城を落城させ、福屋隆...
望洋−63(終戦直後の宮古島(第一中隊長の体験談))
36.終戦直後の宮古島(続き) 36.3.第四戦隊第一中隊長の回想 第四戦隊第一中隊長が挺進隊の体験・思い出を伝えたいと、「船舶特幹一期生会々報」...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−206(川上松山城攻め)
63.戦国の石見(続き) 63.6.松山城攻め 63.6.1.松山城 城は、江津市松川町市村の山頂に築かれていた。 <「石見の城館跡」より> ...
望洋−62(終戦直後の宮古島)
36.終戦後の宮古島 宮古諸島に配備された日本軍は、捕虜となることなく、組織的に武装解除して降伏している。 そのため、任務を終えて帰還するまでの間、慰霊塔の建立や戦後の政治・軍...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−205(福光城・中ノ村城合戦)
63.戦国の石見−6(続き) 毛利氏が、小笠原氏の投降に伴い、江の川南岸 ・大森銀山方面所領を没収したが、それとひきかえに福屋氏の井田・波積領を小笠原長雄に給与した。 ...
望洋−61(沖縄収容所(第二戦隊員の証言))
35.沖縄収容所(続き) 35.2.沖縄捕虜収容所 (以下に掲載する写真は(沖縄県公文書館所所蔵)の写真) 沖縄の捕虜収容所での体験談は、元海上挺進...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−204(重富城の攻防)
63.戦国の石見−6 尼子氏の滅亡 毛利元就は石見中央の邑智郡の支配者小笠原氏を降参させ銀山を手中にしたが、石見にはまだ尼子に通ずる武将がいた。 元就は、こ...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−203(毛利銀山を奪還する)
62.戦国の石見−5(続き−4) 62.4.毛利銀山を奪還する 石見銀山を手に入れた尼子晴久は、信頼できて、しかも豪勇の本城常光 (高櫓城主)を山吹城の城将に...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−202(温湯城攻防戦伝承)
62.戦国の石見(続き−3) 62.3.温湯城攻防の伝承 赤城と温湯城の争奪戦に際し、先ず小笠原方は村之郷方面より撤退し、井原方面の合戦に敗れて戦力弱体化に進む...