見出しの写真は昭和初期の川本農蚕学校(大正13年4月〜昭和15年3月)の校舎の写真です。なんとなく面影がある風景です。
川本農蚕学校→川本農林学校(昭和15年4月〜昭和23年3月)→川本高校(昭和23年4月〜平成19年3月)→島根中央高校(平成19年4月〜)と変遷します。
同窓生忘年会
11月3日(日)にかなり早い忘年会を行いました。
なぜこんなに早く忘年会をしたのか、幹事さんに聞いていないので分かりません。
まあ、2023年は11月26日、2022年は11月20日に行なっており、世間一般と比べ早い時期に開催していたのですが、今年は記録的な早期開催でした。
集合場所と時刻は、梅田紀伊國屋書店前時11時でした。
久しぶりの大阪駅なので、早めに行って周辺を散策しました。
さて、その後集合場所に歩いて向かったのですが、大阪駅内や阪急内が大きく変わっていた(もっとも、私の記憶にある大阪駅や阪急駅は30年前のものです)ので、迷い迷いながらやっと集合場所に着きました。
5分前に着いたらもう、皆さん集まっていました。
私を入れて9名です。
幹事さんが11時前に到着しました。
もし遅れてくる人がいたらと思い5分くらい待ちましたが、遅れてくる人は電話をかけてくるだろう、ということで、出発しました。
総勢10名です。
忘年会の会場は予約していません、当日飛び入りの予定です。
予約はしていなかったですが、かつて訪れたことのある、新鮮居酒屋「たよし」曽根崎店に行くことにしました。
「たよし」に着いたのは、11時18分頃でした。
ここ「たよし」の開店時間は11時半です。
店前には数人のお客さんがまっていました。
きっと、予約されたお客さんでしょう。
店の前に、「今日の予約のお客さん」として三組表示されていました。
11時半入店し、10名がどこに座るか色々意見がで、結局並びの2テーブルを使うことにしました。
この「たよし」で3時間ぐらいでしょうか、歓談しました。
じつはこの時間、店を出た時刻は分かっていないが、次のカラオケで撮った写真が、14時半となっていたので、推定です。
3時間も何を話していたのか、あまり覚えていません。
他愛のないことを長々と思いつくまま話していたのかと。
思い出せるのは、ロスアンジェルス・ロジャースの大谷選手、三瓶小豆原埋没林、江の川、枝豆、中央高校女子野球、カヌーなどの話題でした。
三瓶小豆原埋没林
三瓶小豆原埋没林は三瓶山の北麓、大田市三瓶町多根小豆原(あずきはら)にあります。
ここは昭和58年(1983年)に水田工事がきっかけで発見されました。
三瓶小豆原埋没林は約4000年前、三瓶火山の活動にともなって発生した岩屑なだれの土砂が流れ込み、立木の根元を埋めました。
そして土砂で谷の下流が堰き止められて水が溜まり、水流に運ばれた火山灰が木々を深く埋めたというものです。
江の川
江の川は粕淵付近でUターンするように方向を変えています。
しかし約200万年前頃までは江の川は粕淵で曲流しておらず、大田市方向に流れていました。
江の川の右岸にあたる大田市南西部には、水上層と呼ばれる約300〜200万年前の地層があり、この地層はかつての江の川が運んだとみられる礫が主体であることが、これを証明しています。
ところが断層活動が起こり、江の川は粕淵付近でその流れを変えたのです。
小学校4年のときに先生から、三瓶山の噴火によって、粕淵付近で江の川が堰き止められ流れの方向が変わったと、聞いたことがあります。
三瓶山の噴火が、江の川の流れに直接影響を与えたかどうかは、分かりませんが何がしかの関係はありそうです。
枝豆
枝豆は大豆が熟れる前(すなわち、茎や殻が変色して茶色になる前)に収穫すれば枝豆といわれる、誰かが「うんちく」を傾けると、初めて知って驚いたと云う人。
そして、豆腐は大豆からつくるが、その豆腐を買うときに大豆をもっていくと、昔は豆腐の価格を原料代分下げてくれた、とか。
島根中央高校
女子野球部
階本さんが卒業生近畿支部長として応援活動されています。
カヌー部
懇親会の後は近くの「カラオケ」に行きました。
懐かしい写真
懐かしい写真を入手しました。
高校に入学した時の1年4組記念写真です。
それでは皆さんお元気でお暮らしください。
次は来年の花見ですね。
<終わり>