望洋−73(天皇の戦争責任)
41.天皇の戦争責任 天皇の戦争責任はソ連とオーストラリアが主張していた。 しかしマッカーサーは占領統治の成功には天皇の存在を欠くことができないと考えており、戦犯リストから天皇...
高校同窓生忘年会
見出しの写真は昭和初期の川本農蚕学校(大正13年4月〜昭和15年3月)の校舎の写真です。なんとなく面影がある風景です。 川本農蚕学校...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−210(尼子攻め)
63.戦国の石見−6(続き−5) 63.8.尼子攻め 毛利元就にとっては石見銀山が後々の憂いのないようにするのには尼子氏を滅亡させることが最大目標だった。 ...
望洋−74(人権指令)
42.GHQ(連合国軍総司令部)の日本統治 終戦とともに、日本は連合国軍の占領下に置かれ、非軍事化・民主化への改革が始まったが、占領統治方針の策定作業はそれ以前から本格化していた...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−211(尼子氏滅亡)
63.戦国の石見−6(続き−6) 63.9.尼子氏滅亡 63.9.1.富田城包囲 月山富田城の包囲持久戦は次第にその効力をあらわし始めて...
望洋−75(五大改革指令)
43.五大改革 東久邇宮内閣の総辞職を受けて、10月9日幣原喜重郎内閣が成立した。 10月11日、マッカーサーは新任挨拶のために総司令部を訪れた幣原首相と会談し、五項目からなる...
望洋−76(マ・元帥と幣原総理会談記録)
43.五大改革(続き) 43.3.会談記録(続き) 10月11日、マッカーサーは新任挨拶のために総司令部を訪れた幣原首相と会談し、五項目からなる指示・実施することを要求した。 ...
望洋−77(憲法改正の動き)
44.日本国憲法 終戦直後、日本政府内においては法制局と外務省が、いち早く憲法問題に気づき、その検討を始めていた。 法制局では、入江俊郎第一部長のグループが非公式に憲法を見直す...
望洋−78(憲法改正案)
44.日本国憲法(続き) 44.3.GHQ草案 44.3.1.GHQの憲法改正草案作成 昭和21年(1946年)2月1日、毎日新聞は憲法問題調査委員会の試案をスクープした。 ...