兵庫県は今日は高校入試です。
塾では推薦入試を合格して
進路決定した生徒さんがいるだけで
今日入試挑んでいる人はいません。
穏やかな日です
3年前に高校入試に挑んだ生徒さんは
この3月で高校卒業
昨日そのうちの一人
塾では推薦入試を合格して
進路決定した生徒さんがいるだけで
今日入試挑んでいる人はいません。
穏やかな日です
3年前に高校入試に挑んだ生徒さんは
この3月で高校卒業
昨日そのうちの一人
S君が挨拶に来てくれました。
この前会ったときに
卒業式は別の場所で行い
大学は東京で別の大学の敷地を借りての
スタートになるだろうとのこと
彼女の気仙沼→神戸→石川という
被災地をめぐる13年を思うと
胸が締め付けられます
これから先も強く生きてほしいなと
心からエールを送りたいです
先日は
「先生のイメージだったから」と
こんな素敵なグラスをプレゼントしてくれました
1回2時間、週2回
4年間ほど一緒に過ごしてきました
それから3年間の熟成(?)期間を経て
S君もHARUちゃんもすっかり大人になりました
一緒にお酒を飲めるまであと少し
「子供と大人」だったのが
今では「大人同士?」
「若者とおばちゃん?」
「せんせー」と呼んでもらうのも
気恥ずかしくなってきましたが
「大人とおばあちゃん」になっても
また会ってね
元気でね!
まだまだ人生のスタートラインだね
がんばれぇ
彼は3年前
第一志望の公立高校に合格できなくて
私立の高校に進学しました。
それまでサッカー漬けの
第一志望の公立高校に合格できなくて
私立の高校に進学しました。
それまでサッカー漬けの
サッカーボーイだったのが
高校ではバレーボール部に!!
そこがまた兵庫県で1,2を争う強豪校
バレーボールの推薦で入学してきている人もいて
当然レギュラーにはなれず
でも、同じように遠征にも行き
練習量も同じ
ハイレベルな仲間とともに3年間を
バレーボールに捧げました。
普段の授業は
学生生活の「オマケ(?)」みたいな感じだったのでは?
定期テストの前には
高校ではバレーボール部に!!
そこがまた兵庫県で1,2を争う強豪校
バレーボールの推薦で入学してきている人もいて
当然レギュラーにはなれず
でも、同じように遠征にも行き
練習量も同じ
ハイレベルな仲間とともに3年間を
バレーボールに捧げました。
普段の授業は
学生生活の「オマケ(?)」みたいな感じだったのでは?
定期テストの前には
毎回「助けてーぇ!」と
わたしのところに
わたしのところに
「駆け込んで」来ていました。
わたしに何ができるわけでもないけれど
テスト勉強に並走 並走
中学時代はまじめな子(?)だったのに
高校なってからは
塾でもすぐに「うたた寝」
「疲れているのだろうなぁ・・・」
わたしに何ができるわけでもないけれど
テスト勉強に並走 並走
中学時代はまじめな子(?)だったのに
高校なってからは
塾でもすぐに「うたた寝」
「疲れているのだろうなぁ・・・」
と思いながら
𠮟咤激励!!
がんばれ!寝ないで!
ここはきっとテストに出るよ!!
𠮟咤激励!!
がんばれ!寝ないで!
ここはきっとテストに出るよ!!
覚えて!!
そんな日々を送り・・・
この度志望の大学に合格
小学5年生からの
そんな日々を送り・・・
この度志望の大学に合格
小学5年生からの
長いお付き合いでしたが
本当にお別れ
プレゼントいただきました
プレゼントいただきました
『サクラサク🌸』
「桜の花が咲いているハンカチ
「桜の花が咲いているハンカチ
うれしいです
HARUちゃんは
5歳の時に気仙沼で東日本大震災に被災
新築の家は全壊。
HARUちゃんは
5歳の時に気仙沼で東日本大震災に被災
新築の家は全壊。
津波は目前まで迫っていたそうです。
お父さんの仕事の関係もあり
神戸に引っ越してきました。
勤務地が大阪なのに
何故震災でひどかった神戸に?と
お父さんの仕事の関係もあり
神戸に引っ越してきました。
勤務地が大阪なのに
何故震災でひどかった神戸に?と
質問したら
「神戸空港から仙台空港への便が
便利だから」と聞き
納得!
高校はお父様の意向もあり
石川の航空高校へ
CA目指して寮生活で
納得!
高校はお父様の意向もあり
石川の航空高校へ
CA目指して寮生活で
頑張っていました。
こちらに帰ってくるたびに連絡くれて
お茶したりランチしたりして
近況を話してくれました。
昨年末も
「大学もそのまま石川で頑張ります!」と
話してくれていたのが・・・
お正月の能登半島地震で学校が全壊
先日、瓦礫の中、私物を取り出して
こちらに帰ってくるたびに連絡くれて
お茶したりランチしたりして
近況を話してくれました。
昨年末も
「大学もそのまま石川で頑張ります!」と
話してくれていたのが・・・
お正月の能登半島地震で学校が全壊
先日、瓦礫の中、私物を取り出して
お父さんの車で持ち帰ったとのこと。
この前会ったときに
卒業式は別の場所で行い
大学は東京で別の大学の敷地を借りての
スタートになるだろうとのこと
彼女の気仙沼→神戸→石川という
被災地をめぐる13年を思うと
胸が締め付けられます
これから先も強く生きてほしいなと
心からエールを送りたいです
先日は
「先生のイメージだったから」と
こんな素敵なグラスをプレゼントしてくれました
1回2時間、週2回
4年間ほど一緒に過ごしてきました
それから3年間の熟成(?)期間を経て
S君もHARUちゃんもすっかり大人になりました
一緒にお酒を飲めるまであと少し
「子供と大人」だったのが
今では「大人同士?」
「若者とおばちゃん?」
「せんせー」と呼んでもらうのも
気恥ずかしくなってきましたが
「大人とおばあちゃん」になっても
また会ってね
元気でね!
まだまだ人生のスタートラインだね
がんばれぇ
ならなかった(なれなかった)けれど
一度位 「先生」と呼ばれてみたかったなあ(笑)
いまだに 「先生」に教えてもらってばかりの
おけいこオバさんです。
そうよんでくださる人がいることは
ありがたいなぁと思っています^_^