阪神淡路大震災から24年。
先日関テレで放映された「BRIDGE」は見られましたか?
実話に基づいたドラマだったから、阪神間に住んでいる者にはドラマを「楽しむ」というよりも
その事実に引き込まれました。
キー子の家族は
当時は2歳、3歳の子供と垂水区に居て水道もガスも止まったまま1か月以上過ごしていました。
毎日が「食事」と「お風呂」のことしか頭になかったなぁ。
交通手段は
ガタガタに傾いた道、信号のない道をそろそろと運転しての車で
電車なんてどのくらいたってから乗り出したのかも全く思い出せない。
あちらこちらの悲惨な映像があふれていてどれがどこかもわからなくなっていたなぁ。
このドラマの舞台はJR六甲道で今!偶然にも自分が週に3回も通っているところでした。
南側から北側の方を見るとJRの高架があってその向こうに六甲山が見えます。
いつも当たり前に見ている景色の震災直後の映像では
高架が倒れて東海道が遮断されていました。
でも六甲山の形は私が毎日見ている六甲山でした。
今、JR六甲道近辺はマンションと商業ビルが林立していて
買い物も役所も学校も公園も素晴らしく整っていて
見るからに住みやすそうな町です。
あの震災から立ち上がって
一つ、一つ再建していって今に至っているんだ。
当たり前に見ていた六甲道の景色に感動した「BRIDGE」でした
先日関テレで放映された「BRIDGE」は見られましたか?
実話に基づいたドラマだったから、阪神間に住んでいる者にはドラマを「楽しむ」というよりも
その事実に引き込まれました。
キー子の家族は
当時は2歳、3歳の子供と垂水区に居て水道もガスも止まったまま1か月以上過ごしていました。
毎日が「食事」と「お風呂」のことしか頭になかったなぁ。
交通手段は
ガタガタに傾いた道、信号のない道をそろそろと運転しての車で
電車なんてどのくらいたってから乗り出したのかも全く思い出せない。
あちらこちらの悲惨な映像があふれていてどれがどこかもわからなくなっていたなぁ。
このドラマの舞台はJR六甲道で今!偶然にも自分が週に3回も通っているところでした。
南側から北側の方を見るとJRの高架があってその向こうに六甲山が見えます。
いつも当たり前に見ている景色の震災直後の映像では
高架が倒れて東海道が遮断されていました。
でも六甲山の形は私が毎日見ている六甲山でした。
今、JR六甲道近辺はマンションと商業ビルが林立していて
買い物も役所も学校も公園も素晴らしく整っていて
見るからに住みやすそうな町です。
あの震災から立ち上がって
一つ、一つ再建していって今に至っているんだ。
当たり前に見ていた六甲道の景色に感動した「BRIDGE」でした
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