ぼくの友だちが、手相(てそう)を見せて、親指の間接が曲がるところにできる皺(しわ)が、人の目のような形をしていると、それを仏眼(ぶつがん)と言って、なんか・・、人知(じんち)を超えた普通の人にはない力(ちから)があるということで、自慢(じまん)していました。
それが、本当かは知りませんが、その親指の人の目のような形をした皺(しわ)のことを、仏眼というのは、ぼくも、はじめて知りました。
きっと、仏眼というくらいだから、仏(ほとけ)に関係あるんだと思いますが、本当の仏(ほとけ)の教えは、そういうものではない。本当の仏(ほとけ)の教えは、何か特別な人でないと、ないような、そんな、得体(えたい)の知れないものではない・・!
なにか、人知(じんち)を超(こ)えた力(ちから)があるとか、そういう考えかたは、変な宗教に利用されやすい。このお方には、人にはない特別な力があるとか言って、教祖(きょうそ)に祭(まつ)り上げたり、また逆に人には無い力があると、でっちあげ、教祖として、人々を、だましていくことも、多い。人に、人間にない力があると思い込ませるところに、悪(あ)しき邪宗教が、人々をだまし、はびこる理由がある。
当然のことだけれど、人間にない力があると言いふらす邪宗教は、人を必ず不幸にする。
だから、気をつけないといけない。
もしその宗教が、人間を人間以上に見せようとしていたら、『それは、邪宗教だ!』と、はっきりと、見破(みやぶ)っていかなければならない。
最初のテーマに戻(もど)ると、仏(ほとけ)の教えは、なにか特別な人にしかないような、そんな得体(えたい)の知れないものではない!!
仏(ほとけ)の願いとは、何か?
それは、世界中のすべての人間に、仏(ほとけ)とまったく同じ『幸せの境涯(きょうがい)を、つかんでほしい!!』ということです。
『強くて、あったかくて、やさしくて、なにものにも負けない、あらゆる困難も乗り越えて行ける、最高に歓喜(かんき)した、最高に幸せな境涯!』
いわば、それは『仏(ほとけ)の境涯』と言えると思いますが、その最高に幸せな仏の境涯を、すべての人に、つかませたい!すべての人間に、その最高の幸せ境涯を、確立してほしい!
ということです。
それが、仏(ほとけ)の願いなんです。
また、その、強くて、あったかくて、やさしくて、なにものにも負けない、あらゆる困難も乗り越えて行ける、最高に歓喜した最高に幸せな生命状態のことを、『仏(ほとけ)の生命』というのだけれど、その『仏(ほとけ)の生命』は、世界中の、すべての人の中に、まったく違いがなく、そなわっているんです!
『必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命は、どんな人でも、すべての人の中に、そなわっている!仏の生命は、すべての人の中にある!!!』
そのことを、伝えるために、仏は、出現した!と言えます。
だから、仏(ほとけ)が伝えたいことは、『どんな人でも、必ず幸せになっていける、無限の力(ちから)が、あなたの中には、あるんですよ!!!』
ということなんです。
実は、その、仏(ほとけ)の力(ちから)とも言える、どんな人でも、必ず幸せになっていける無限の力(ちから)が、創価学会の人たちが、日々、となえている、『南無妙法蓮華経』なんです。
『どんな人でも、必ず幸せになっていける無限の力』、それが、『南無妙法蓮華経』なんです。
だから、仏が本当に伝えたかったことは、この『南無妙法蓮華経』なんです。
だから、創価学会の人たちは、その『南無妙法蓮華経を、となえる』ことによって、あらゆる悩みや問題を、解決でき、さまざまな夢や希望を、かなえていけるんです!
そして、仏(ほとけ)の願いである、最高の幸せと勝利を、つかんでいけるんです!
仏(ほとけ)の力(ちから)というものは、なにか特別の人だけにあるものではない!
すべての人に、そなわっている。
そのどんな人でも、必ず幸せになっていける無限の力(ちから)を引き出していく唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、創価学会の人たちが実践している、『南無妙法蓮華経を、となえる』、仏法の信仰なんです。
それが、本当かは知りませんが、その親指の人の目のような形をした皺(しわ)のことを、仏眼というのは、ぼくも、はじめて知りました。
きっと、仏眼というくらいだから、仏(ほとけ)に関係あるんだと思いますが、本当の仏(ほとけ)の教えは、そういうものではない。本当の仏(ほとけ)の教えは、何か特別な人でないと、ないような、そんな、得体(えたい)の知れないものではない・・!
なにか、人知(じんち)を超(こ)えた力(ちから)があるとか、そういう考えかたは、変な宗教に利用されやすい。このお方には、人にはない特別な力があるとか言って、教祖(きょうそ)に祭(まつ)り上げたり、また逆に人には無い力があると、でっちあげ、教祖として、人々を、だましていくことも、多い。人に、人間にない力があると思い込ませるところに、悪(あ)しき邪宗教が、人々をだまし、はびこる理由がある。
当然のことだけれど、人間にない力があると言いふらす邪宗教は、人を必ず不幸にする。
だから、気をつけないといけない。
もしその宗教が、人間を人間以上に見せようとしていたら、『それは、邪宗教だ!』と、はっきりと、見破(みやぶ)っていかなければならない。
最初のテーマに戻(もど)ると、仏(ほとけ)の教えは、なにか特別な人にしかないような、そんな得体(えたい)の知れないものではない!!
仏(ほとけ)の願いとは、何か?
それは、世界中のすべての人間に、仏(ほとけ)とまったく同じ『幸せの境涯(きょうがい)を、つかんでほしい!!』ということです。
『強くて、あったかくて、やさしくて、なにものにも負けない、あらゆる困難も乗り越えて行ける、最高に歓喜(かんき)した、最高に幸せな境涯!』
いわば、それは『仏(ほとけ)の境涯』と言えると思いますが、その最高に幸せな仏の境涯を、すべての人に、つかませたい!すべての人間に、その最高の幸せ境涯を、確立してほしい!
ということです。
それが、仏(ほとけ)の願いなんです。
また、その、強くて、あったかくて、やさしくて、なにものにも負けない、あらゆる困難も乗り越えて行ける、最高に歓喜した最高に幸せな生命状態のことを、『仏(ほとけ)の生命』というのだけれど、その『仏(ほとけ)の生命』は、世界中の、すべての人の中に、まったく違いがなく、そなわっているんです!
『必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命は、どんな人でも、すべての人の中に、そなわっている!仏の生命は、すべての人の中にある!!!』
そのことを、伝えるために、仏は、出現した!と言えます。
だから、仏(ほとけ)が伝えたいことは、『どんな人でも、必ず幸せになっていける、無限の力(ちから)が、あなたの中には、あるんですよ!!!』
ということなんです。
実は、その、仏(ほとけ)の力(ちから)とも言える、どんな人でも、必ず幸せになっていける無限の力(ちから)が、創価学会の人たちが、日々、となえている、『南無妙法蓮華経』なんです。
『どんな人でも、必ず幸せになっていける無限の力』、それが、『南無妙法蓮華経』なんです。
だから、仏が本当に伝えたかったことは、この『南無妙法蓮華経』なんです。
だから、創価学会の人たちは、その『南無妙法蓮華経を、となえる』ことによって、あらゆる悩みや問題を、解決でき、さまざまな夢や希望を、かなえていけるんです!
そして、仏(ほとけ)の願いである、最高の幸せと勝利を、つかんでいけるんです!
仏(ほとけ)の力(ちから)というものは、なにか特別の人だけにあるものではない!
すべての人に、そなわっている。
そのどんな人でも、必ず幸せになっていける無限の力(ちから)を引き出していく唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、創価学会の人たちが実践している、『南無妙法蓮華経を、となえる』、仏法の信仰なんです。