子供のころ、父の運転する車に乗ってこの風景を見た時、武器を持って古の人々が戦っている姿を見ました。
それは初夏のころで稲が青々とそだち、まるで草原のようでした。
大河ドラマなどの影響で、似た風景に出会い浮かんできたのでしょう。
写真の田んぼの奥に映っている山は高舘山です。
山頂には熊野那智神社(2015.05)と、高舘城跡(2016.03)があります。
高舘城は藤原氏が作った館跡。
先日の太白山登頂から奥州藤原氏と源頼朝がつながってしまったので、にわか歴史好きになってしまいました。
奥州藤原氏と源頼朝率いる鎌倉軍との激戦地となったのは県境付近にある福島県の阿津賀志山(厚樫山)。
土塁と空堀を造って鎌倉軍を待ち受けましたが総崩れとなり、多賀城で指揮を執っていた4代目藤原泰衡も平泉に向け逃亡した。
高舘城は、この阿津賀志山から北に50km程のところにあり、同じく合戦の要所となったと想像できます。
(さらに北に20〜30kmに多賀城の国府)
それで、子供の時に見た古の合戦風景も、あながち間違いではなかったのだと、思うに至ったわけです。
この合戦で伊達の地を褒美として拝領し治めるようになったのが、のちの伊達一門である。たぶん。
調べているうちに、阿弖流為とか前九年の役とかの言葉が出てきて、まだまだ広がっていきそうです。
最後に、同じ地点から見た、泉ヶ岳と船形山。
昔も今も山の景色は変わらず・・・かな?