戦争のさなかに
防空壕の中で生まれ、、戦後のどさくさの中を
団塊の世代のおかげで、、、復活してゆく日本を感じながら
麦飯から、、、カレーに代わり、、、
バブル時代は、、、女性の私も、、、アルバイトに事欠かない盛況に
大学に通学できるという
幸運な復活を経験して、、、
田中角栄さんの「学歴無用?、、学歴不要?」
東京大学卒業の福田首相を差し置いて、、、
「今 大公」、、、と、、時代は変わっていった。
高校時代から大学に通う頃は
自由民主党と、、社会党が、、、記憶に残っている討論を繰り返していた。
浅沼さんに異変が生きたときは、ばあちゃんは高校生でした。
大学に入ったころは、、、全学連だとか、、、デモの盛んな時代でした。
岸首相が、、異変にあったり、、、
弟さんの佐藤首相が「沖縄返還を叫んでいましたね。」
spして沖縄が返還され、、、ヤンバルクイナが、、、飛べるかもしれない。
気持ちは受けれてきていましたね。
しかし現実は、、、政治音痴のばあちゃんには、、理解できない、、、埋め立て問題や
世界情勢も、、政治も、、新聞と、ラジオやTVで知るだけの
お茶の間の火星の主任は、、、
国会議員のような、、行動資金がありませんでしたね。
男兄弟5人、、女性2人と、、、明治生まれの母は
その時代のご婦人たちと同じように、、、
子だくさんの、、、富国強兵策の時代の女性でした。
5月人形はありましたが、、、おひな様は、、、我が家のはありませんでした。
18歳になったら、、、家を出てゆきなさいと、、、女性は言われながら
家事手伝いをしながら、、、男兄弟の洗濯や、食事や
掃除をこなしながら、、、
誕生祝は「男の子だけ」という、、、
それが当たり前の昭和30年代の青春時代を過ごしてきました。
国立の受験に失敗した兄には、、、家庭教師がつき
親せき縁者が、、職業を失った帰還兵家族ごと
居候に我が家に同居という、、、
家庭であって、、家庭でないという、、、生き残り復活の戦場が
昭和30年代でしたね、、、、
昭和40年代に入ってからは、、、日本は
民間から皇室に嫁がれた美智子様が、、、
日本の戦後の女性のお手本のように、、
知的な女性の日常が、、、週刊誌などで、庶民一般に報道されて
ばあちゃんは、、、明星とか、、、平凡とかの週刊誌の表紙に
美智子様の文字があると、、、帰宅途中の山下書店で、、
立ち読みしていたら、、、本屋の親父さんが
「今月号には、、、軽井沢のお写真が出ているよ、、、」などと話が盛り上がり
写真見たくて、、買ってきたりしたものでした。
一国の皇太子殿下が、、、一般国民の女性に
世紀の恋と言われた、、、ロマンスの渦中の人になったのですから
普段は買わない週刊誌を、、、ずいぶんと買ってきましたね。
若かったころのばあちゃんは
町全体が、、、明るくなってゆくのを感じながら
女性も、大学教育を受けることの大事さを感じましたね。
その後、、、津軽のお姫様が、、、
次男坊殿下のもとに嫁がれてきたとき、、、
女性は、、お立場によって、、、花のようにお育ちになる方と
生き方の選び方は、、、お立場によって、、、
違うことを感じたものでした。
後日、、弘前城の桜を観に、、、ダンナさんと出かけました。
お城も、、、お堀も、、、桜の花が、、、見事でしたね。
あの頃、、、皇室の御成婚の報道が
カラー写真んで、雑誌で報道されて
戦後の青年男女の、、、復活の暗いイメージは 吹き飛んでゆきました。
町ゆく女性たちには、、、 もはや戦後は遠くなりつつありました。
あれから、、、60年以上経過したなんて、、、
光陰矢の如しでしたね、、、
お孫さんの愛子様が、、、23歳になられた記事を拝見して
当時のご成婚のパレードを思いだしながら、、、
ばあちゃんの人生の、、、心の中に、、、光が差し込んできたような
日本中の青年男女が、、、元気になれるニュースでしたね。
北海道に来て、、、そのまま、、北海道に住み着いて56年経ちました。
当たりの風景は、、、ほとんど、、、昭和時代と変わっていない札幌郊外は
すぐ近くに「クマが出没して、、、」
日曜ごとに出かけていた、、、水源地のある自然散策路には
ゆかなくなりました。
自然の多くは、、クマ出没のために、、、守られているようですが、、、
空気がおいしいという、、、北海道の当り前が
未来永劫、、おいしい空気であることを祈って、、、
おやすみなさい
。
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