花鳥風月、、2023年からの第二の日記

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

スマホの時代でも、、婆ちゃんは日本の歴史を心で読みたい、、時代に留まって生涯を終えたい。

2024年05月03日 | 日記
大谷選手は、、、
 日本中に元気を送ってきてくれている
  世界中に、
    平和につながる、、、戦いを
             武器を使わない、、、鍛え抜かれた一途な肉体で
                 少年時代から
                     惚れぬいたであろう、、、少年時代から
                        憧れたメジャーでの活躍を
                 野球という、、、チーム力と団結と、、

                此処の「神業で、、、観客を巻き込んでゆく面白さ!」

              夢中になれる一瞬を共有できるという、、

            平和への大きなヒントが、、、スポーツを通して
           感じることは、、、球場内の感動が、、
          TVを通して、読み物を通して、、

        世界中が、、応援している。
      ファンである。
      大好きな選手が居る。
     誰も、が、興奮して、
          感動して、、
             ストレスを解消して、、
                いい顔になって、、

                   野球に夢中になるという

                  良い時間を共有して、、、
               満足感で親交も深まる。

  そこには、、何ら、、破壊されるものはなく、、
  心を共有できる観客席は
  応援合戦をしているという
     平和な戦いですよね!
 
   世界中に、、
      野球の戦いを、、
         大観衆の中でに、、、
               普及させていったとき
                多くの国の兵士は

                    武器を捨てて、、、
                     バットや、グローブ、、
                       野球のボールの縫い取りに

            「七色の変化球の秘密」を感じて、、、
             戦いは。。。ボールの投げ方の工夫や、、、握り方の工夫。
              肩の力、、腰の力、、足の力、、総合して、全身で投げていることに気が付くとき

           自己の練習、、研究、、、筋トレ、、、精神統一、、、

          強靭な腕力と,、腱の強さが、、感じられて、、

         圧倒される練習を想像しては、、力瘤の入った応援合戦になって、、、楽しいですよね。

         他者への破壊には向かなくなると思いますね、、、!!

    縫い取りのある、、、野球ボール、、、

       あの球が、、、ゴムボールだったら

           「ダルビッシュの、、七色のカットボール」は生れなかったかもしれない

            大谷選手の、、北海道で見せていた、、、剛速球の少年はいなかったかもしれない。

      バットだって、、、一本の木に見えるけど、、、当たり所で、、、ホームラン!!!。

      ピッチャーの投げた球で、、、バットが折れることもある。
      当たり前とは思えない光景の中で、、、
      「鍛え抜かれた、、、
          肉体と技と、、、
             チームワーク、、
        
      そして、、集中力に優れた選手の精神力と、コミュニケ^ション力のすばらしさと、団結


     野球の武器は、、、弾薬でもなければ、、ロケット弾でもない、、、


            爆発するようなものは一切ないが、、、観衆の心は、、マウンドの選手と一体となれる。

              


                   ばくちで、、お金のからんだギャンブルの集団は

                    少年の夢を壊すから、、、

                       正義の少年、青年の夢に立ちはだかって

                           金塗れの、、ギャンブルの世界と

                               スポーツは、舞台を別にすべきだとお思いますね。


           豪華客船の中で、、一万円の札束のベットに寝ている様なお客さんが

                お金の使い方にも、、、使いきれないという方がたが

                  船の中に限って、、、ギャンブルをするのは、、、

                     金持ち気取りになれる、、、仮想世界を造って、

                       船を降りたら、、、現実に戻り、、、切磋琢磨するといいとは思うけど

            スポーツという、、、少年や青年の、、純粋な夢の前に

            ギャンブルの世界をからませる、、、
                  野暮な事は、、
                    これっきりにしてほしいですね。

             世界中が観ている、、スポーツのすばらしさを

                きれいな華が、、、平和な世界を先導していってくれるように、、、

                  若者の、、、爆発的なエネルギーが

                     野球という「総合力のすばらしさを推進するスポーツ」を

             
                  世界中に夢を与える華を、、、ていきょうしてくれている。
                なんて日本は、すぁせ何dロウ、、、、、、ね、


                    少年たちは、、観乍ら、、
                             夢を追い、、、努力して、、、自分尾限界まで頑張り
                    納得して、、それぞれの道に燃焼するという

                          子育ての見えない先生以上の大きな指標を

                              子供達はみ乍ら育って行くでしょう、、、!!

                 昨日は、、青春時代にはまっていた、、ジャイアンツの、、素晴らしい選手が

                    お爺さんになっても、、、少年時代のように、、輝いて語るのを観乍ら

                        スポーツの世界の人々は、、永遠に若いと思いましたね。

                      ゴジラさんは、、、長嶋さんとゆかりに深い選手ですよね。


              大谷選手は、、、とうとう、、、その記録を上回ったという   76号のホームラン!!!

                日本で生まれて、、、世界に羽ばたいている、、、羽ばたけるという、、野球の新時代を

                 スポーツの世界のイメージを、、日本人が、、堂々と参加できる時代をつくったと言えるでしょう。

                オリンピック、、という、、、
               金メダルが最高の勲章という、、、個人の競い合いも、、素晴らしいと思いますが

               野球という、、攻撃は攻撃だけに徹した時間、
                         護りは守りだけに徹した時間、、、

                             バッターと、、キャチャーと、、ピチャーの世界に見えるが、、

              ドジャースの、、外野の守りのすばらしさは、、、すごい!!!!

                         一塁、、、2塁、、、3類を守る選手の動きが、、
                    3塁が、、一番強烈な球が直撃する事が多いのは

                       3塁に飛ぶ球、、ヒットの球は
                           バッターの、、渾身の力で打ったボールを
                              グローブだけで、、止めるわけだから、、、

                                 球がとれているというだけで

                                衝撃が伝わって来そうである。

                    全員が、、、
                      それぞれのポジションの、、
                              技を見せて、、、

                 メンタルな部分の満足感を
                    観客にアピールできるという
                           野球の面白さは

              平和への結束の
                  攻めるも、、、守るも、、、応援するも、
                      球場が一つになれるという、、、、
                            基本を伝えて来るような気がする。

             全員が、、切磋琢磨した、、、プロ根性になった時、、、

            競い合いの
                フェアな技
                  と結束と心の一体化の競い合いは

                      まさに、、世界の平和をつくれる。
                         それぞれの立場で
                           皆一つになれた、、、。

          野球を通して、、、フェアな戦いを知れば

                 破壊しかない、、、
                  人を不幸にしかしない、
                     破壊や殺戮の戦いは
                            存在しなくなると思った。

             また、、野球を通して、、世界と繋がり、、、平和への語りつくせない一体感を

                 グラウンドを見つめるファンと、野球を支える外郭のファンと、、、

                    野球のチームに貢献する、、会社の世界への認識の高さが

                      アフリカや、、、後進国への、、平和へのメッセージとなって

                    少年たちの夢を耀かせて、、、
                         夢に向かって努力する、、自発的な勤勉な努力。

                             心身を健全な身体の方向の努力にいざない

                        少年時代の感動と、、ファイトと、、我がことのように嬉しかった一体感が

                    戦争への空しさを、、、世界中の少年の胸に刻まれてゆけば

                 ウクライナの少年たちを、、ロシアで、、少年兵の訓練を教えるという

                地球破壊、、人命破壊、、夢の破壊、、、子育ての大間違いを

               世界が気が付くでしょうね、、、

              人は集まれば、、素晴らしい、、感動を産めるのだと、、、アフリカの奥地の未開国で

              素晴らしい選手を育てている国もある。

                     人種差別も無くなるでしょう!!!

                         地球上は、、どんどん混血してゆくといいと思いますね。

                      国境が無くなればいいと思いますね、、、

                    ドジャースは、、いろいろの国の選手が居て、、、

                  多くのことを世界中の野球ファンに、、教えてくれていますよね。
                 大谷選手が、、ドジャースに来たことで、、

                エンジェルスとの戦いも、、、面白く観ています。

               もともとは身内だった大谷選手は、、ピッチャの投げるポーズで

              ストライクゾーンかどうか,、わかるのだろう、ネ、、、きっと!

               ドでかい、、ホームランで、、記録をつくりましたね。

             ゴールデン休日は、、、TV漬で、、、菓子パンだらけの昼ご飯ですよね、、、

                洗濯機がやってくれる、、、洗濯だけが、、、仕事の、、、5月です。

              明日は、、早めに、、10時過ぎには、、TVの前で、、新聞を

               隅から隅まで、、読みながら、、、ブレーブスと、、ロジャースの試合が始まるのを

                    コーヒーを飲みながら、、、待つとしようかな!!(^^)

                        婆ちゃんは、、TVが有れば、幸せです!!!


                          80歳からの自分の人生の、、、限られた時間を
                       自分が幸せだと思う事に、、、向かって

                        自分の元気と、、笑顔になれる時間と、、
                        若き日に戻れるという時間を 大切にするのが、、

                     歳をとっても、、、さ!、、(^0^)

                             野球フアンの役割でもありますよね。

                    

                 肉体の鍛えぬいた、、体力と、技と、、心の集中と、、健康な一途な心の

                グラウンドを、、いかなる者も、、子供達の夢を奪わない様に、、、

                    尊重してほしいですね。


                       それにしても、、、日本人の、、、ご夫婦の、、素晴らしさに、、、

                           ため息が出ますね、、、

                              スポーツマンと、、スポーツウーマンの出逢い!!

                         天命の美しい出会いが、、、このご夫婦に、、

                        宝石のような、、、入射角と、、反射角の

                       完全な、、、光を感じますね、、、

                    見事な、、お似合いの、、、ため息の出るような、、、

                   完璧な、、出逢いを、、神様は、、、実行された、、、

                  世界の平和の、、、方向を、、、感じますね。

                    全てのジャンルにおいて、、、このような夫婦で居られたら

                       素晴らしい未来の若者が育って行くだろうと、、、

                            眩しいですね、、、、いいですね、、、、、最高ですね,、


                          未来を預けたい、、、日本人は、、、何年籠には、、、このような夫婦が

                        健全な夢のある若者を育ててゆく日が、、、きっと来る!!

                  子育ての、、目標が見えたような気がしました。

                 このような子供を、、育てられる、、、日本になる!!

                  夢を託せるご夫婦が,、、未来に向かって飛んでゆく鏑矢の様だと、、

                   眩しいですね、、、透明な天命の光の中に 居るお2人ですね、、、

                       未来の指導者を観ているようですね、、、

              大谷選手のご夫妻を、、TVで見乍ら、、、
                 選手の前に立つことをしなかった栗山監督の

                    人を育てるという、、、先生の、、鏡の光も、、感じますね。

                   ダルビッシュ選手といい、、、大谷選手といい、、、

                  我が家のすぐ近くの球場で、、、雄叫びを挙げていた

                       可愛かった少年が、、、30歳代の大人になって

                   Nippon中の少年少女を、、、感動と、、鍛え抜かれた心へと、、いざなって行く。

                 北海道は、、すぐ近くに、、世界に通じる青年たちが居たことに
                       あらためて、、、感動しますね。

              何と、、鍛え抜かれた、、美しいお二人なのだと、、、

             まさに、、神様は、、この人たちを、、、産まれる前から、、、出逢うべき運命で

            この世に送り出した人たちだと、、、大きな使命を、、背負っているのかもしれません。

             美しい、、お二人に、、見とれましたね。

             スポーツで磨かれた、、美しいご夫婦を観乍ら

               ため息が出ましたね。。。。。素敵!!ㇲテキ!!!!!

               
                 

                     ロシアのプーチンさんや、、中東の宗教戦争の戦いの終る事を祈っています。

            「心の入れ物」の「人体を破壊する」ような、、、
                 見えるもの、、、壊す戦いは、、、辞めようよ!!

     

                        幸せって、、ことさら考えないで、、

                        幸せの微笑で、、振り返りながら、、、

              

         日本人は、漢字を一個とっても、、、
               歴史がいつの間にか、、、

                心を伝える《字》に変わって、、、

                  先祖代々の、、「心のだんらん」のうちに

                    無意識に、、孫子玄孫に、、そのまた未来に

                        日本人の歴史が伝わってゆく、、、

                

         北海道に来た時、、、誰ひとり、、知人は居なかった。

           言葉も、、、育った過去の心で、、キャッチできる方言では無かった。

               そんな時、、たった一年しか住まなかった連投長屋の暮らしで

                 外国の神様に出逢ったのでした。

                   近くに在った、、小さなしもた屋のような「OMF]と看板の有る

                    民間の家のような所に、、、

                       外人さんが住んでいらっしゃって

                          英語で話しかけられました。

                簡単な、、、世界への宣教のお話でした。

    

               昭和44年、、、∻~45年、、~46年と

               その外人さんは、、、毎日、、長屋暮らしの我が家にいらっしゃいまして

               日本語を勉強したいと、、、英語で話しかけてきていました。

                  南アフリカ連邦から、、

                   世界のみんなの幸せの為に

                    宣教師のダンナさんと、
                      日本にやってきたと言っていました。

              「シュウキョウの力を知らない私」にとっては

                 英語しか話せないのに、、、
               大胆にも、、、
              英語の苦手な人の多い北海道にやって来るなんて
          

               私より、、、何も考えない女性が、、世界には居るんだと、、、

                一見、、「ノーテンキ」に見える、、
                
                その女性を、

                受け入れることにしました。

               

                 早朝と言わず、、、昼時と言わず、、、アトランダムな時間に

                  彼女は現れました。

                

                 日本語の教師ではない私にとって、、、

                 理科の実習をするように、、、

               来るときには、、、
                 手に入った野菜を、、
                     何でもよいから、
                        持ってきてもらうようにしました。

              ネギ一本、、、じゃが芋、、一個、、、
                            トマト,、、なす、、
                                   お米の実り始めた稲、、

                                      庭のタンポポ、、、
                 
             彼女は、、我が家に来る理由を自分なりに感じていたのでショウけど、、、

             当時の私は、、極めて割り切って、、、
             教職の時の実習を思い浮かべて

             日本に住む以上、、、

             食べる、、、着る、、住む、、という事に関連した英語に、
                             日本語の訳を付けることにしました。


            彼女の持ってきた「野菜」を、、「フライパン」、、、、「入れる」、、

             「醤油」「サラダオイル」「塩」「胡椒」で、、「炒める」。。

               我が家の「冷蔵庫」から、、「ソーセージ」を「出して」、、「細かく切ってしまう」

              「大きい」ままだと、「野菜に味が付くところと」「付かない部分」が「出来る」から、

            「 外人」さんと違って、、、「日本人」の多くは、、「肉だけをもりもりと食べる」よりも

             「肉の味の沁み込んだ野菜の上に、、一切れのソーセージが有れば、、御馳走です」

            生活にかかわる、、身近な事を、、、身振り手振り、、目の前のものを指さして

               私達は、、知り合いになってゆきました。

               かなり、、片言の日本語が話せるようになった彼女が

              「真っ白なお米」と、、梅干しを出したとき、、、

                ご飯は、、

              噛めば、、、かむほど、、、

              味が、、無いと思っていたお米のご飯が、、、美味しくなる、、、と。

              神妙な顔になった時、、、

              梅干を勧めたのです。

              丸ごと口に入れた彼女は、、、大げさに、顔を、、くしゃくしゃにしたかと思うと

                O~~~!!!、NOW、、、!!!、、と言って

                吐き出しました。

              私は、、すかさず、、「スッパイ!!」と、、言葉の意味ではなくて

                         「日本のスッパイ」、教えてあげました。

              彼女は、、その時、、残っていたお米を、、一気に食べて、、、

              「お米…おいしい!」という日本語を、、改めて、、繰り返しました。

               その後、、一年もたたないうちに

             彼女の日本語は、語彙が増えて、、、ネイティブ、、な発音で話すようになり

             次の年に子供が生まれて、、だんだん日本人になってゆきました。

              宣教師の妻という、、、立場もあったのでしょうけど

              我が家に来ているときは、、、日本語を覚えるのに絞り込んでいたのか

             「神様の話」を知ることは有りませんでした。

               手作りのものを、、食べ終わると、、、

                   「神様に感謝の祈りをしますから」と、、、

                     自分で、、言葉をつなげて、、日本語の祈りをしていましたが

                私は、、自由にしていただいて、、、

                 自分は日本の習慣にしたがって

              「日本では、、御馳走様」で好いという事を伝えました。

              二人目の男の子が産まれ、、、
              私は、、彼女がすっかり、、日本語が上手になったのは

             教会で、多くの人と話すからだろうと思っています。

                 我が家には、、
                  ストレス解消も有って、、
                       足が向くのだろうと、、
                            安易に考えていました。

             「日本人に話しかける事が出来るようになって、、、
                            、、、他国で暮らす
                                 恐怖感がとれればと、、、」

              文法も、、「SVO」も「SVOC」も、、
                      日本語は要らない、、、

               一つの字で、、多くのことを伝えます、、、と。


                 

              漢字のオモシロサを話し合うようになりました。

              いつものように、、、

             白いご飯に、、野菜のいためものを食べながら、、

              「真っ白い粒なのに、、、美味しいと、、おもう、、」

             彼女はお米に興味を持っていました。

               私は「美味しいと、、思う」と、、

                 紙に書いて、、漢字を伝えました。

                 その後、、何年かして、、漢字もカナも、、自由自在のお手紙が来るようになりました。

             「思う」という字を教えてもらったときのことが

                今も思い出す、、、と。

              「思う」の漢字にこだわっていました。
                  

               故郷を離れて、、お米を食べながら、、、「思う」、、、

               「日本人の心が伝わって来る漢字」が、、
                「思う」という字に教えられました。

                彼女の手紙は続きます、、、

               「お父さん、、お母さん、、、田んぼでお米つくっています。」

               子供、、都会に行ってしまいました。

               親のこと、、思いますね。

               「田んぼ」を「心に浮かべて」、、
                        お父さん、お母さんの

                           一生懸命作っていた、、、お米のご飯を食べながら

                   心に浮かべた田んぼ、、、「思う、、、」

                Nipponの漢字、、、思う、、、涙、、出ます。

                

                あなたのこと、、、一緒に、、神様の兄弟姉妹になりたかった。。。!

              「ダンナさん、、外科医、、」

               信仰の話が出来なかった。

                でも、、あなたとは、、一緒に神様の、、国、、行きたかった。

               80歳になっても、、、彼女からの葉書と、、メールは


               台所にかけてあります。

                生きていらっしゃるのか?。。それも解りません。

                  でも、、宗教を一切話さなかった彼女が

                    牧師さんの奥さんで有った事は、、、確かな事ですが

                 個人的な事は、、話すことはしませんでしたので、、、

                   本当は、、どんな理由で、、

                 南アフリカ、、シンガポール、、、アメリカ、、カナダ、、、等を

                 宣教活動する御主人と、、旅をされているのかも、、、

                  一斉聞くことはしませんでした。

                  日本の北海道に来た、、、外人さんの女生と、、

                  永遠の近所の奥さんの付き合いで、、、 60歳ごろまでは

                  お手紙を、、下さっていました。

                   その後は、、、

                 メールアドレスを書いたはがきを最後に、、

                  交流は,、立ち消えました。

                   私が、、メールをおぼえるのが、、遅れたために、、、

                    交流が、、、パソコンの普及とともに、、、立ち消えました。

                  心の交流だったのかもしれませんね。

   
                  80歳になって、、就活を始めると、、、

                   懐かしい人の葉書に出逢い

                    こんな、、日記帳になりました。
                   

                   Sさん、、、どうか、、世界のどこかで、、

                     宣教活動なさっていてくださいね。。。!

                     外科医のだんな、、、しかも、、しかも、、

                     知り合った当時は

                    「心臓外科医」。。の卵、、、

                    道内では、、心臓外科医が、、東京から来られた、、東大系と

                    医大系では、、、基本の考えが違ていて、、、

                      道内では、、事に医大では、、、免疫抑制剤がNipponの医学会や薬業界では
                    時代に追いついていないときに

                    心臓移植は、、アメリカに行って受ける患者さんがほとんどという時代でした。

                   南アフリカから来た、、その女性は

                     北海道の外科医が、、心臓移植をしたという事に
                       ショックを受けていました。

                 「外科医の家には、、宣教を控えていたらしいですね、、、」

            

                    後日、、、函館から帰還した外科医の先生が
                       洗礼を受けたとも、、
                          風の便りで聞きましたが、、、

                          真実は解りませんと、、、

                              彼女には伝えました。

           

                      私自身は、、「高野山の、、ふもとの街、」
                                 、というより、、
                                   ド田舎で
                                     育ちましたので
             

                                      弘法さまと、、、
                                      二人で杖をついて、、、
                                      天国に案内していただくつもりです。

              
             日本語は一言でわかるという事を伝えることにしていました。

             
             
                 

                彼女が生きていたら、、、すっかりお婆さんになっているはずですが

                 私の中の、、彼女は、、櫻の時期には、、
                          故郷の南アフリカ連邦の
                             ジャカランタの花の話を、、英語で,、シカ、、、話せなかった。

                 話が通じたと判ると、、、早口で、、、英語で、、しばらく、、、 実家の親の事を話していました。

              彼女は、、別れて、、どこかに行ってしまう時、、、

                流ちょうな、、、ちょっと、アクセントと,、助詞や、接続詞の違う日本語で、、、

                 一緒に、、神様の子供になりたかったと、、、言っていました。

                日本には,、神様が、、、あっちにも、、こっちのもいらっしゃるから、、、

                       天皇様が、、「光」を神様の神様として、、、

                        日本の神様は、、、「光」が、、伊勢神宮に、、いらっしゃいますよ。

                 伊勢神宮という、、事の理解は、、彼女にとっては,、、難解だったようでした。

                  

最新の画像もっと見る

コメントを投稿