雨が降っている札幌の5時は、、、寒いです。
昨日は、、孫が来て、、、
朽ちてしまった焼き丸太の藤棚を、
片づけてってくれました。
長い間、、、楽しませて
、心花やかにしてくれた藤ですが、、、
80をさかいに、、、
大きな木はみんな切ってしまい、、、
灌木だけにしようと、、、
早朝、、一本づつだけ剪定を始めています。
長い間、、、友達だった庭木の、、、
大きなものから、、、切株にしていっています。
昭和50年ごろ初めて購入した、、、ミサワホームランドの最期の売れ残りの一軒!
バブルで、、恐くなり、、1400万で23坪、、、提携ローン9パ^セント。
いきなり2倍の値段で、世の中は
若者の月給は、、、果たして上がったのでしょうね!!??
子育ての我が家の経済状態は、、、
提携ローンだとは言っても、、、
天井知らずに根の上がる日々に、、、
不安になり、、、不動産は,、次代の子供たちにとって
最後の砦になるかもしれないと、、、その時は思ったのでした。
息子は小学生になる、、、
下にも息子が生れた。
ダンナは30中かばで、、、医局員、、、
風呂なしの二間のアパートも子供二人では
衛生的にも悪い。
せめて、、お風呂が欲しいと思い
500万円で10坪の長屋の一角を購入。
医局の志向で動きながら、外科医としての技術を、徒弟制度のように
先輩の医師の先生から指導されながら
道内、、あっちこっちに、、関連病院に行きながら
腕を磨いてゆく。
家庭の事を考える余裕はないのか?
自己実現タイプで、自分のことしか余裕はないのか?
この頃までは、、生活費を入れてくれるという定食が無かった。
2人目の子供が生まれてからは、、、
タフト大学に留学するはずが、、、交換に帰ってくるはずの先輩医師が
もうあと一年、、、研究が長引いてしまい、、、
待機中だった。
家を買って、、しまった,、、以上、、、
毎月10万、、ボーナスの時期に、、、6月、12月に
23万円のローンお支払いが有った、、、!
どうする?????、、、後さき考えない、、、マイホームの取得。
何とかなるから、、、バブルは天井知らずの値上がりになるという
恐怖感を、、、子育て中の30代に突入した、、、私の不安をあおった。
ともかく、、、結婚前の、薬剤師をしていた貯金が有ったので
わずかなローンで買える、、、連棟式の2回やを購入して、
風呂のない生活に、、、ピリオドを打った。
しかし、、、この家は、建築会社が企画した家では無かった。
函館の、、大手の店舗をしている社長さんが
バブル対策に、、、
本業以外の不動産建築に企画された、、、
「専門外の商売に手を出したという、、初めての建売」だったようです
地耐力が無かったのか、、、泥炭地だったのか??
一年で、ボールペンが、、、床を転がっている!!
ローンが始まったばかりだったが、、、即手放して、、、
原野のお一角にミサワホームランド、、、が、、売家群をつくったので
本来の建売業者で、、南極大陸の日本基地に
隊員が過ごす建物を建てた会社で、
しかも、、工場で、仕上げたパネル方式の建売は
戦後の日本の、、、斬新なアイデアだった。
新聞に、、店頭2階建てを売りに出した業者の倒産が出た時
私は、、急いで,売ってしまった。
新築ではあるが、、、畑違いの業者の家に住んでいることが
後後、、、どうなるのかと、、、不安だった。
結婚前の勤務していた時のお金はそっくり戻って来たが、、
全額、、利率の上がった、、郵便貯金の定期預金にして、
息子達の学資にと、、確保して、、利息が付いてくれることを思うと、
頭金も何もいらない家を買って、、、万一の時は、、手放すしかないのが、、、
北海道という、、、専門の大學の少ない、、、歴史の浅い住宅業者の腕なのだと
不安に成っていた。
その時、、同窓の日大では
ミサワホームの、パネル方式の住宅が、、、話題になっていた事を思い出した。
ほとんどを、、、工場で仕上げるから、、、
南極には、、大工さんの腕のある人が居なくても
杭州をうければ、、畑違いの職業の者でも
組み立てられるという
組み立て式、パネル住宅なのだと、、、
建築科の友人が言っていたのを想いだし、、、
バブルの時の値上がりは、、、土地さえ一緒に勝った置けば
高い新築の借家に入ったという計算で、、
土地が残れば、、、バブル対策になると考えたのでした。
ダンナさんは、、医師という腕ひとつが財産であり、、、
仕送りを終了されていた、、、一文無し同様の、、、
アルバイトで生きている状態の大学院生だった。
提携ローンで家を買うときは、、、とりあえず固定して
初任給、、23万円という、、、結婚以来初めて観るような
まとまった月給を、、、持って来てくれるようになり
家庭らしくなってきました。
北海道に来て、、4年間、、、さすらいの旅人のような
無給医局員を体験して、、、
本州の、、生活との違いに、、、北海道を開拓した人達のご苦労を感じていた。
大学も北大と医大と,、、藤女子大が、、、目立つだけで
女性は、ほとんどが、、「東高校卒業」の女性が
エリートとして、、リーダー格だった。
郷にいれば、、、郷に従え、、、というように
私は、、、日大の理工学部を卒業して
薬剤師、、衛生検査技師、、、後世初免許取得のほか
高校、、中学の、、物理化学の教員免許を持っていた。
之だけ、、生きる武器を付けていれば、、、知らない土地の北海道だって
通用すると、、考えていたことは、、、現実的な社会を知らなさすぎたと思いましたね。
北海道は「東北薬科大学」の薬剤師がほとんどでしたね。
学校も、、日大卒の教員を募集しているところを探すのは大変でしたね。
北海道教育大が、先生の名門として、、、評価されていました。
同窓生が働いているところを探すのは、、大変でした。
ともかく、、ローンの分だけでもと、、アルバイトしながら、、、
福利厚生も戴けませんでしたが
北海道の、、外来者である扱いの日大卒は
同じ日大卒の後輩が社長の調剤薬局での仕事が見つかり
何とか、、働かさしていただけましたね。
フルタイムの仕事は子育て時代は1年と続かなかったのは、、、
ダンナさんが、、大学の医局長や、、、同門会長など、、、
家に帰る時間は20時前に帰宅することがなかったため、、、
子供の怪我、、入院、、家族の入院など、、、
友だちも、、同窓生も、居居ない、、、家族も親戚も居ない、、
他人の街での育児は、、、助っ人が無くて、、、
そのたびに退職して、、また別のアルバイトでローンを返すという繰り返しでしたね、
少しづつ、、世間というものがわかってきて、、、
北大より医大が、、地域のおばちゃんたちの
「マイ、ドクターであり、、、北大の医師は、、、親しく頼れるマイドクターではないようでしたね。」
東京から嫁に来たというだけで、、、PTAのお母さん方からは、、
よそ者という扱いを受けましたね。
息子が早生まれのせいもあり、、
私も、、自分が北海道にしつぃむ事も出来ていないのに、、、子供のことは
手抜かりが多くて、、ダンナさんは、早朝に、家を出たきり
夜遅く帰るという状況で、、、マイホームでもあり、、
疲れを癒す風呂のある家が手に入れば、、、
ちょっとは、、家庭らしくなるかもしれないと、、考えたことが思い出されます。
今、、少子化の時代に入りましたが、、、私も、、過去を振り返ると
もう一度、、子育てをしなさいと言われたら、、、ことわるかもしれない、、、
それほどに、、、子育てには、、多くの要素が在り。。
結果論ですが、、、
たくさん子供を産んで、、にぎやかな家庭をつくりたいのなら、、
生まれ故郷や、育った街を離れない方が、、
子供にとっては、、仲間がデキやすくて、、、
親も、公園デビューが順調にゆくという事ですね。
和歌山、、山中のこう配を観乍ら育ち、、
串本の海を観な洗育ち、、
13歳で東京の小学校から大学まで、、東京育ち、、
勤務したのが、、、東京大学、、、基礎
東京医科大学の臨床薬剤師
関連病院の自宅近くの総合病院、、、
東京で、、30過ぎたら、、結婚するかもしれないと、、
当座は東京は父の生まれ故郷だから、、
、ココで。結婚生活をすることになるだろうと
ごく当たり前の日常を過ごしていた。
北海道に嫁入りするなんて、、、考えても見なかった。
神様が居て、、、神様が人の人生を決めているのかもしれません。
風のままに、、時のすぐ行くままに、、、北海道の雪を搔きながら
なかなか、、仲間に成れないまま、、
、ふと気が付くと、、、80歳までになろうとしている。
ひたすら運だけが良かったのかもしれません、、、
孫子は、、北海道に、、わんさか友人が居ますね。
長男は、、北海道の正看護師さんと結婚して、、
実に、、支え合い、、助け合い、、孫たちも北海道の大學であり
北海道を乗りこなしているって,、感じがしますね。
私は、、落馬に次ぐ、、落馬で、、馬にモ、、ひひひ火~~~ん、、、と
笑われながら、、、北海道の誰からも、、愛されることはなく、、
天に、、愛されたのかもしれません。
北海道の山を、、アイヌさんたちと登り、、、
名寄の方で、、サンピラーを観て、、
子供らを国際スキー場に連れて行ったとき、、
ダンナさんは来なかったけれど、、、
北大の看護師さんらと、、、好き場で滑降で来た想い出は宝物です。
国際スキー場までは、、アコードで、、当時はスパイクタイヤを履いて
定山渓経由で、、子供達を乗せて、、雪山に着いたとき、、
北海道で子育てで来たことを、、幸せに思うようになりましたね、、、
北海道は、自然が友達になってくれるんですよね。
それからは,、旭川の山のお花畑の季節に登山したり、、、
名寄の夏山で、、クマに5匹も出会ってしまったり、、
がけ下の5匹の熊を観た時は、、、反対側の坂道を
ソートソート、、降りて来て、、、振り返ると、、熊はいませんでしtが
クマの引っ掻いた大木が在り、、冷や汗でしたね。
その後は、、北大の聴講生になって、、免疫学を学んだり
植物の育成の実学を教えて戴いたり、、
友人をつくるという気にはなれないで、、、子育ての一環として
自分も生涯教育のつもりの生徒になって、、、母親業に徹しましたね。
家のトラブルからわかった事は
マイホーム産業は、、当時は「クレーム産業」と呼ばれていたほど、
北海道は、、今日のような、、建築学がマイホームにはまだ届いてなかったという事ですね。
昭和50年ごろから,急速に、、オリンピックの有った町として
インテリの外来者が住むようになり
多くの智慧と学問の裏付けのある、、、
寒冷地に適した家を普及させていったのでしたね。
昭和50年の北海道ミサワの建物ときたら、、パネルの上に
直接モルタルを塗る様な仕上げでしたから、、、
皺皺の、、、お婆さんのように、、
モルタル壁はひび割れてミットも無かったですね
アフタ0サービスに文句を言ったら、、上から重ねて、、ペンキを塗るから
皺ひび割れがくっきりと、、家全体を覆うという、、、
寒冷地の、夏と冬の温暖差や
暖気と寒気の間での、、凍結、、融解を珪砂に入れない、、べた塗り壁が
地震の時、、、たたみ大のモルタルが落下して、、危険ゾーンだったのですよね。
市から、、160万円ほどの援助が出るというので、このままでは危険なので
モルタル壁をはがして、ほしいというと、、ミサワのもとアフターさんがやってきて
モルタルをはがして運ぶだけで、、200万円だというのです。
剥がさないのなら、、上から金属板を打ちつける修理方法をとるというのです。
私は、、ひとは経験で、育って行くと信じていたのですが、、
お断りして、、ネットで、、サイディングの免許を持っている業者を探して
250万円で注文しました。
モルタルを、、座布団のように切断して、、
下板のパネルの腐敗をしたフル剤を取り換えてくれて、
断熱材と、、、シートをかぶせてから、、上からサイディングをしてくれて
ミサワホームの外見は、、とりあえず復活しました。
後日、、札幌市からは、援助金が出るはずだったのが、、60万円で打ち切られて
190万円の臨時出費に、、家計のやりくりは大変でしたね。
地震でねじまがった階段や、、スガモリで腐っていた床は、、今でも後回しになったまま、、、
粛々と、、毎月、、小さな修理をしながら、、、
水道も、トイレも使える家にして、、一人に成ったら
この家で、、一度は良い思い出を造り、、孫子に譲りたいと思っています。
この家を売る気にならないのは、、庭木が生涯の友であったという事と
夏は、、目の前に日の出が見えるという事です。
月も、、真東から見える、、4月の月末です。
何とかここに住むことで、、、
リホームにかかった費用を、、無駄にしたくないと、、思いますね、、、
最後には、、、車いすで働ける台所にして、、、水道とトイレも介護用にして
「歳をとって住めるまで、、、待っていてくれた家という事で、、
子供や孫に譲れば、、きっと更地にして、、、 東からの日の出を楽しむような
今度こそ、、寒冷地に負けない家をたてて、、、 ポンコツになったミサワホームはその時は
寿命を御wルでしょうね、、、
何だか、、管ライチに適応できなかった自分を観ている様な気のする家なんですよね。
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羊が丘の麓は、、タケノコ原野だったのに、、、
バブルで、、家は23坪の庶民向きが、、、1400万円になった。
二人の男のの為にも、、、ミサワホームンの提携ローン9パーセント!
30歳にッタ頃の私は、、、今よりも、、もっと世間知らずだった!!
お金を借りたことは無かった。
23万5000円ほどのボーナス払いが年2回
11万円が毎月の支払であった。
家を買ってから、、、しゅうちょう先の病院から
旦那さんは医局からのアルバイトでは、、やってゆけないので
初任給23万円の、愛育病院い固定申請して、
医局命令ではあるが、、
安定して23万円の収入が入るようになった、
ボーナスを入れると300万円以上になった。
今までの無給医局員と違って、、、
質素倹約ではあるが、、、自宅を手に入れたという喜びの方が大きかった。
しかし、、、誤算が続いた。
当時のミサワホームは、、、ミサワのパネル構造が定評が有ったのですが
ミサワホームという、、パネルを契約した建具屋さんは
ミサワホームを看板医あげていたという事ですよね、、、
雪の降らない本州向けのパネルを、、、
サッポロでも、、豪雪に見舞われる羊が丘んぽ麓に
見様見真似の組み立て説明書に従って、、、
北海道ミサワの大工さん見習いのレベルの人たちが
組み立てた家だったのですよね。
本州向けですから、、、の草木が幅が広く、、、一枚板です
冬になれば、、豪雪の時は、、軒先の一枚板は、、雪の重みに耐えかねて
軒板が折れてしまうという代物。
北がwのこう配の緩い屋根には、、犬小屋モドキの三角の箱を、
のりしろのような、、板をはみ出させて、、、
疎の板の上から、、、20センチもあろうかという、、、
ブッと医長い釘モドキの金具を、15本も打ちつけて、、、
小屋根を固定しているという代物!!
スガ漏れはするし、、、壁は水の滴る水道が、、、暖気と寒気で凍結したり融けたり、、、
夏には、、ビニール製の壁紙野下で、、異様なアオカビモドキの努須黒緑のねっとりとした
塗料のような細菌群の発生、、、
部屋の壁をはがして、、、カビごと、、紅谷の壁板を捨ててもらって、、、
新しいベニヤ板の下には、、、防水紙を入れてもらい、、、
小屋根を取っ払ってもらって、、、釘穴の水道を防ぐ意味で
ゴムの絨毯代の敷物をトタンをはがして、、中に入れてもらった。
二階の屋根から血枚ものの長尺途端で仕上げていたミサワホームは
屋根の回収リホームの時、、、一方的に、、半分サイズの物を並べて
二階の壁に沿っての立ち上がりが膝ぐらいのところで
板金でつなぐという、、、買ったときとは、、美観が違う次だらけの板金しあげである。
当時は板金技術が腕の良い大工さんが、、本州からの業者には
働く時間がなかったのかもしれません。
リホームに来てくれた、、当時の現場の人に言わせると、、、
板金しても、、、スガ漏れする公算が大きいから、、、
長尺トタンだと、、今度剥がすとき、、、二階までの盾ラインの板金が
うまくやれないという理論らしい、、、
ともかく、、子y根は取っ払うし、、、長尺トタン屋根は
ど真ん中に、バンキンラインが入るという、、継達磨の家になった。
それでも、、、120万円は安くしたと言っていた。
しかし、、、豪雪の冬の雪は、、、氷に成ったり、、、雪が積もりすぎたり、、、
雪を降ろさないと、、、スガ漏れがひどくて、、、真下のお風呂場のタイルが
畳みの大きさ大に,、、裏に髪を張ったまま、、、繋がって、、、ドサ~~~と
落ちて来た。
危ないですよね、、、
クリーム色だったタイルは、、冬は寒そうで、、ふるえるので
はがれた以上、淡いピンク色にしてもらった。
あたたかな錯覚になれるという、、、予想だった。
しかし、、スガ漏れからくる、、凍結と解凍の繰り返される風呂場のタイルは
3年もすると、、また同じように、、、どさりと、、大量が落ちて来る。
水道は、、部屋の誕生のした30センチぐらいのところを
水道管がそのまま空中を走っている。
手拭いをかけたりしていたが、、、冬になると
ストーブを焚いていても、、、凍結する。
昼間から、、、水道が使えない、、、
自分で、、水道を撒くスポンジ入りの、、巻物を、、金物屋で買って来て
タオルをかけていた、、、水道管をすっぽりと巻いて、、その上を
ビニールテープで巻いた。
そのうち、、あっちもこっちも、、、
人命にかかわるような、、、屋根からの氷塊になった落雪が続き
とうとう、、ベランダの屋根からは
ソファーのような、、、巨大な氷塊が落ちて来て、、、
窓際に有った子供たちの机を、、、すごい勢いで押してきて
反対側の壁に、、、60センチぐらいの木のおもちゃ箱によって
机はそこでストップしていたが、、、
落ちた氷塊の勢いは
ベランダサイズトリ幅広いガラス窓を割って、、
窓枠が、、、ラワン材で出来ていたものですから
窓枠まで折れて、、、
ガラスが飛び散り、、、
家族は、、死ぬ思いをしました。
正月だったので、、、ミサワには電話に出てもらえない!!!
同じ町内の建具屋さんに、、、正月なのに、、住まないけど、、といって
割れた窓のガラスを取り換えたり、、、木枠を接着したり
アルミの窓枠の曲がりを、、、小さな工具でたたいたり
大きな木槌でたたいたり、、、ペンチに様なもので
ねじまがった窓枠を起用になおして、、、
一日がかりで、、、窓にかかって下さり、、
、正月を台無しにした冬を過ごしてからは
翌年は、、、屋根のこう配を変えるリホームや
気宇だけ散ったコンクリーのたたきの修理など
ミサワホームが提携ローンの保険から半分、、私どもが半分と
当時のお金では、、屋根の張替えには
ローンについていた雪害保険が半分出てくれたおかげで
我が家の持ちだしは、、、屋根が70万、コンクリーのたたきと
補修と、、ベランダ窓のガラスと、、窓枠を別の木で作ってもらった分が
30万円、、、合計100万のしゅっぽが重なりました。
本当は、、男の子二人では、、、将来の結婚時期が来ると、、
女の子の接し方が判らないと、、、、
結婚生活がスムースにゆかないかもしれないと
一姫二太郎と計画していた。
結婚当初、、無給医局員の時代
出張先で、、留萌の劇寒い、、冬に
一度、、流産で、、男の子を失っている。
今度産まれてきたとしても、、、女のことは限らない、、、
出費もかさんで、、、気持ちもリホーム続きで、、疲弊する、、、
子供は二人と、決心して、、、リホームを、完璧にして、
気持ちの安定を洗濯していった。
しかしその後、、、トイレがマスが埋まってなくて
御隣さんに
庭の真ん中に土管で流している汚水が、、問題になって
トイレまで、、、形だけのトイレだとわかって、、、
当時のお金で40万円で地面を掘り起し、、新たに土管を設置して、、、
隣りの家の庭にある共通マスに、繋げた代償として
御隣さんから、、、塀を建てる事を要求されて、、、
御隣さんが要求する高さで、、、ミサワに塀を発注した。
120万円であった。
しかも30センチ以上、、、50センチ以上かもしれない、、、
手前の敷地内に引いて、、、ミサワは、、お隣さんに平謝りで、、、
塀を立てていった。
我が家は、、東京から来た二人だという事もあって
三沢も本就業者の流れだという事もあって
当時の北大を卒業されて、、、道新の記者だった御隣さんの
要求するままに、、ミサワホームは、、、北海道進出の走りだったこともあり
東京本社からも、、、幹部社員が数人やってきて、、、
30代の若夫婦の言い分より、、、お隣さんおクレーム対策に
我が家の庭に、、がっぽりひった塀を建てたのだと推測しましたが、、、
現実は、、、50年近くなって、、北海道地震のあと
御隣が、、西岡建設に友人が居て、、その方に売却を頼んだのですが
塀を、、お宅にうんと張り出して建てろと、、ミサワに強烈に迫ったのは
私の父母です、、、ごめんなさいと、、、
隣りの敷地が売れて、、、引っ越すときに、、、一人娘のMさんが
菓子おり持って、、、謝りに来ました。
引っ越し先も言わずに、、、消えてしまいました。
その後、、、土屋ホームによって、、、雪国向けの
土台のしっかりした家が建って、、、
中に入った不動産屋さんは、、、お宅の敷地に入り込んでいる塀に関しては
新規購入者には、、一切の弁償など言わないと、、
書類に印鑑と署名をしてほしいと言ってきました。
兄だに入った不動産屋さんは、、、西岡建設の女性社員さんでしたが
御隣の一人娘さんとは友人同士とのことですので、、、
被害者の私たちに、、、無茶苦茶の要求をしてくるものだと思ったので、、、
境界石の法的に測量したものを、、モルタルでかくして
基準の大きさでない、、
、出っ張った杭のような大きな十字の有る境界石を新たに設置して
自分尾土地として表現していますが、、、
札幌市が正式には買った測量図が有るので、、、
黙って成り行きを観ています。
家のtラブルが無かったら、、、もう一人、、、女の子を産めたと思いましたね。
日本の少子化の原因の一つは、、、、
住宅問題に無知な、、、
30代前半の
母親になれる
年頃の女性が
ローン地獄、、、クレーム産業の、、、詐欺まがいの、、、リホームで稼ぐシステム、、、
トラブルが起きるのをわかり切っている様な、、、立て方で売っておいて、、、
数年以上も、、、あちこちが、、、問題が起って、、、
リホームに追い込むという、、、基準の監督の甘さが
育児の心身ともに、、母の幸せな育児を奪い去る
住宅問題が、、、大きなネックになっているのではと、、、思いましたね。
素人からすれば、、、業者さんには、、丸投げして、、、建売は信用して買いますが
形だけが家で、、、上下水道、、、屋根が問題で、、、
クロスの張り替えも、、、何回したかもわからない、、スガ漏れ、
今年が、、80歳荷りますので、、、銀行が動いてくれないと思います。
スガ漏れ直下の部屋のy描いたがぶよぶよで、、、今年は
床が抜けないうちに、、、床直しをせねばンりません、、、
ミサワホームは、、今はトヨタになってしまって、、、
どこかに頼まねば床が抜けそうです。
40年以上も、、家具や、、季節ごとの衣類や
ホンを置いて、、、離れに使っていますので
上下水道下水、、使えませんが
固定資産税はずーと、、住居ですから、、払っています。
新築同様のままの砥の粉の着いた部屋もあります。
震災で歪んだ部分も、、、修理しましtが
補助金が60万円で見直しカットになり、、、
下水水道の修理は見送りました。
日本の家問題は、、、基本となる住居費を
世代交代時に、、、税金や、、新築で、、、若者の世代にかかる仕組みのようですが
少子化を原因で治そうとするなら、、、住宅を、、、世代を超えて住めるようにすれば
政治資金は、、、住宅問題を通して
若者の方にかかるようにすると、、、
親の財産の家を継げばよいという、、、少子化になるのは、、、当たり前だと
もろにその、、被害まがいの、、住宅問題で、、、
無用な金銭を払い続けている、、、8人兄弟の下から2番目の私
4人兄弟の次男で、、
家も車も無かった、、、二人の結婚は
二人の男の子を育てるだけでも
セイイパイの、、、住宅問題に振り回された期間が
もったいなかったですね、、、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/ce/fe35acebc88e47c8085e0b2091173b4b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/70/09bef4da03a0e70cad0c7cc47a39cbf7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/39/fa389d5e6b8da4fdb6aa196b7d6f7cef.jpg)
大大受け継ぐことのできる家を、、、うだつの上がる家を建てて
世代ごとに、、住宅費で、、子育て費用がないという
少子化政治を改良して、、、
日本は、、もう一度、酷門の国政力を守るためには
不動産システムで、、、老後は家が負担
子育て期はローンが負担、、、
島国なのですから、、、3世代同居できる
何世代も持つ、、、うだつの上がる家が有れば
10人家族で、、、全員大学を出しているという家も
夢ではないでしょうね。
政治家さんの、、、本当の実力は
国政力で、、、日本を消滅させるという
新たなる形の違い戦略に、、、金銭政治が引っかからないようにしないと
少子化問題は、、、国会の鋭い突っ込みをしている様な場合では無いと、、思ったりして
国会劇場を、、茶の間で拝見しているんですが、、、
80歳の婆ちゃんは、、、孫子の教育費や
食事に、、、メリハリをつけるような
応援をしたいと思っています。
ささやかな、、、10万以下ですが、、、
教科書でも買うお金に、、、してね、、。
お休み、、、君たちの世代が幸せな子育てが出来ることを祈って
日本の末永い繁栄を祈って、、、
経済的な理由からは、、、戦争に巻き込まれないでください、、、
しっかりと日本は世界平和の為に、、、
戦争のない世界を、、、書く反対を、、、少子化の見えない原因だと
気が付いている人は多いと思いますよ。
朝になってしまうので、、、
おやすみなさい!!
P>S> 大谷選手、、、今日もかっこよかったね!!!
元気貰っています。
5時から、、また、、逢えるね❕!、、大谷選手!!
ちょっと寒いと、、水を落して眠るので、、、水道は凍らなくなった。
とりあえず、、ペンキ塗っておいてあげるよ、、、と
3年ぐらいなら、、、ペンキで防水という事になるかもね、、、
サービスに、、屋根のペンキを塗って行ってくださいました。
今は、、ミサワの親会社が変ってしまいましたので
北国のスーパー腕の良い雪国向けの家が出来ているミサワホームですが、、、
80歳まで来てしまったから、、、住めない家だけど、、、
昼間に、、おにぎり持って、、、本読みに行くと、気が休まるから、、
このままみゅくしかない、、歳になりましてが、、、
固定資産税だけは、、、水道も、、、下水も、、使える家にしないと
割に合わないな~~~と、、、
本州育ちの夫婦の、、バルブの頂点で、、、焦ってかった、、1400万円
三沢の提携ローン9パーセントの利息で、、、欠陥住宅を買ったことが
生涯の、、自分たちの無知が招くマイナスを、、思い知りましたね。
孫子の時代に、、全部取っ払って、、、孫たちが、、家を建てれば
今度は、、北海道の雪害を良く知った業者さんを選んで、、立ててもらう事ですね。
今年の大雪で、、周りからも、、空き家と間違って、、、
塀の上の敷地内まで、、、機械の除雪機で、、雪を吹きかけてくるので
塀が、、毎年、、、部分的に倒れてしまい、、、それも、、リホームしても
焼け石に水で、、、基本のやり方が、、本州の雪のない所の作りなので
全部、、ブロック塀が無くなってからでも、、リホームはそれでもよいかと
此処r無い除雪が、、雪を吹きかけてくるところから
冷凍、、暖気、、膨張、、冷凍、、暖気、、膨張、、と繰り返して
部分的にはがれて来て、、どんどん風化しているように、、塀が壊れてゆきますが
これは、、機械の除雪機で、、ふきつけたところだけが、、壊れて言っているから
除雪のやり方も、、手でやるのなら、、塀に密着しないから
塀は壊れないと思いますが、、機械で吹きかけると
ミクロの粉雪が、、ブロックの凸凹に密着して吹きかけられるので
暖気になるたびに、、再凍結を繰り返し、、春になると
ブロック塀の欠片を拾って歩くといううちに、、
機械除雪の場合は、、、特定の角の家にばかり
雪をふきつけるという事を何とか中止してもらわないと、、
全部、、壊れてからは、、コンクリートの塀にするしかないな~~~と
悩んでいます。80歳という歳は、、、よっぽど優先順位をっ考えて
リホームに踏み切らないと、、、
老後の生活費がないという事になりかねない、、、長寿時代が来ましたね。
若者は、、年寄りに、、残酷なところがありますから、、、
塀に、、雪を吹きかけないでほしい、、塀が崩れるから、、と、
何かいい言っても、、、ココは歩道だからと、、言いながら、、庭にまで入ってくるほど
吹きつけ乍ら、、、車の通れる道を造ってあげているんだから、、
良い事をしているんだからと、、、新⒥手してくれているつもりで遭うから
これ以上、、わかってもらうのは、、無理だとお観ますね。
北海道の生活道路は、、自治体がしtくれているので、、、
我が家のような、、北側角で、、車のあまり通らない道路を
除雪するのは、、、自治体も、、幹線道路だけで、、
いっぱいいっぱいの除雪費だと思いますから、、、痛しかゆしの、、雪国の雪害ですね。
ともかく、、、ミサワホームは素敵な家なので、、、北海道の雪害を
どのようにクリヤーできるか!!、、、それが、、生き残りのカギとなりますね。
我が家のように、、建売は、、窓下のコンクリーのたたきも鉄筋が入っていなくて
購入初年度の大雪で、、
木っ端みじんの破片とひび割れで、、、窓下のたたきは、、使えません
南向きのベランダサイズにさらに半間足したぐらいの大きい窓は
屋根から落ちた雪で一度、、窓戸枠にラワンンを使っているため
枠ごと折れて、、別の樹で修理したため、、つぎはぎの窓枠のまま
何十年も観てきました。根本を直さないと
雪害は、、毎年やってくるのですよね、、、
正直言って、、、リホームだ折れしたというのが本音ですね。
80歳になると、、、何もかも面倒くさくなって、、、
孫子の代に、、、立てなおせばいいかも、、、?このまま使おう、、
固定資産税、、バカ高いけど、、、自分の半分の様な気がする、、離れの家です。
こうして、、水稲と、、おにぎり持って行けば、、、一日の日向ぼっこが出来る
日光浴の、、別荘です、、、おんぼろだけど、、、
愛してるよ、、初めて手に入れた家だからね。
一緒に、、人生、、走り抜けようね、、、
長く付き合うという事は、、、ある種の愛情がわき
不完全なまま、、、なんとなく時間が過ぎて、、、人生は
次の世代で、、なんとかなって行くんだね。
ミサワホームの塀が境界線い立ててくれないので、、、
隣りも、、不動産屋も,、、公認の境界石をモルタルで塗ってしまい
サイズの大きな、地面から20センチぐらい立ち上がった十字の刻んだ脊柱を
我が家の敷地に深く入り込んだ塀と歩道の間に立ててあり、、
塀のあるところまで、、我が敷地だと、、主張して来るから、、、
建具屋さんの間違いが、、隣り同士のいさかいの原因を造っているという
80歳に成ったら、、孫子の時代に喧嘩が起きない様に、、
公的に入った測量図だけは、、正確に測っているので、、それを申し送って
喧嘩になる前に、、遺言状で、、申し送るしかないかと思っているのですよね。
札幌市は、、こうした問題を解決するというブ社は有るのでしょうか、、、?ね
下手に正しいことを、、主張すると、、村八分に遭いそうに、、、悪口言いて歩かれるという
間違って警察まで、、、脅迫したのかと呼ばれて、、
呼んだ方が、、「警察も忙しいんだからと言って、、帰ってゆくという。。。」
住民は皆 法律には幼いので、、荒立てない様に、、、我が家は、、何十年も、むくちを通してきました、
御隣のオジサンが無くなって、、おばさんが娘に引き取られてゆくとき
地震ンが来て、、家を手放して、、全部取り払って新地にして打って行かれました。
中に入った西岡建設の女性社員は友人だとかで、、、
教会問題で一切不服はないという一筆を下しと言ってきましたが、、、
塀を当ててくれたのはミサワであり、、、当方の庭に入り込んだところに立てたのは
三沢が、、教会の位置はここですと言って塀を建てたのですが
売りに出すとき、、お隣のお嬢ちゃんが、、亡くなった父が、、わかっていて、、お隣の入り込んだところに立て挿したのですと
屋根の大量の雪が落ちて来て
何度か窓が割れるので、、、
いつの間にか、ひとは住めなくなっていたところ、、、
北海道の震災で、、、壁が崩れ、、ねじ曲がってしまった、、、階段を直し、、、
床が抜けたのを直すッンリ
アト
昨日は、、孫が来て、、、
朽ちてしまった焼き丸太の藤棚を、
片づけてってくれました。
長い間、、、楽しませて
、心花やかにしてくれた藤ですが、、、
80をさかいに、、、
大きな木はみんな切ってしまい、、、
灌木だけにしようと、、、
早朝、、一本づつだけ剪定を始めています。
長い間、、、友達だった庭木の、、、
大きなものから、、、切株にしていっています。
昭和50年ごろ初めて購入した、、、ミサワホームランドの最期の売れ残りの一軒!
バブルで、、恐くなり、、1400万で23坪、、、提携ローン9パ^セント。
いきなり2倍の値段で、世の中は
若者の月給は、、、果たして上がったのでしょうね!!??
子育ての我が家の経済状態は、、、
提携ローンだとは言っても、、、
天井知らずに根の上がる日々に、、、
不安になり、、、不動産は,、次代の子供たちにとって
最後の砦になるかもしれないと、、、その時は思ったのでした。
息子は小学生になる、、、
下にも息子が生れた。
ダンナは30中かばで、、、医局員、、、
風呂なしの二間のアパートも子供二人では
衛生的にも悪い。
せめて、、お風呂が欲しいと思い
500万円で10坪の長屋の一角を購入。
医局の志向で動きながら、外科医としての技術を、徒弟制度のように
先輩の医師の先生から指導されながら
道内、、あっちこっちに、、関連病院に行きながら
腕を磨いてゆく。
家庭の事を考える余裕はないのか?
自己実現タイプで、自分のことしか余裕はないのか?
この頃までは、、生活費を入れてくれるという定食が無かった。
2人目の子供が生まれてからは、、、
タフト大学に留学するはずが、、、交換に帰ってくるはずの先輩医師が
もうあと一年、、、研究が長引いてしまい、、、
待機中だった。
家を買って、、しまった,、、以上、、、
毎月10万、、ボーナスの時期に、、、6月、12月に
23万円のローンお支払いが有った、、、!
どうする?????、、、後さき考えない、、、マイホームの取得。
何とかなるから、、、バブルは天井知らずの値上がりになるという
恐怖感を、、、子育て中の30代に突入した、、、私の不安をあおった。
ともかく、、、結婚前の、薬剤師をしていた貯金が有ったので
わずかなローンで買える、、、連棟式の2回やを購入して、
風呂のない生活に、、、ピリオドを打った。
しかし、、、この家は、建築会社が企画した家では無かった。
函館の、、大手の店舗をしている社長さんが
バブル対策に、、、
本業以外の不動産建築に企画された、、、
「専門外の商売に手を出したという、、初めての建売」だったようです
地耐力が無かったのか、、、泥炭地だったのか??
一年で、ボールペンが、、、床を転がっている!!
ローンが始まったばかりだったが、、、即手放して、、、
原野のお一角にミサワホームランド、、、が、、売家群をつくったので
本来の建売業者で、、南極大陸の日本基地に
隊員が過ごす建物を建てた会社で、
しかも、、工場で、仕上げたパネル方式の建売は
戦後の日本の、、、斬新なアイデアだった。
新聞に、、店頭2階建てを売りに出した業者の倒産が出た時
私は、、急いで,売ってしまった。
新築ではあるが、、、畑違いの業者の家に住んでいることが
後後、、、どうなるのかと、、、不安だった。
結婚前の勤務していた時のお金はそっくり戻って来たが、、
全額、、利率の上がった、、郵便貯金の定期預金にして、
息子達の学資にと、、確保して、、利息が付いてくれることを思うと、
頭金も何もいらない家を買って、、、万一の時は、、手放すしかないのが、、、
北海道という、、、専門の大學の少ない、、、歴史の浅い住宅業者の腕なのだと
不安に成っていた。
その時、、同窓の日大では
ミサワホームの、パネル方式の住宅が、、、話題になっていた事を思い出した。
ほとんどを、、、工場で仕上げるから、、、
南極には、、大工さんの腕のある人が居なくても
杭州をうければ、、畑違いの職業の者でも
組み立てられるという
組み立て式、パネル住宅なのだと、、、
建築科の友人が言っていたのを想いだし、、、
バブルの時の値上がりは、、、土地さえ一緒に勝った置けば
高い新築の借家に入ったという計算で、、
土地が残れば、、、バブル対策になると考えたのでした。
ダンナさんは、、医師という腕ひとつが財産であり、、、
仕送りを終了されていた、、、一文無し同様の、、、
アルバイトで生きている状態の大学院生だった。
提携ローンで家を買うときは、、、とりあえず固定して
初任給、、23万円という、、、結婚以来初めて観るような
まとまった月給を、、、持って来てくれるようになり
家庭らしくなってきました。
北海道に来て、、4年間、、、さすらいの旅人のような
無給医局員を体験して、、、
本州の、、生活との違いに、、、北海道を開拓した人達のご苦労を感じていた。
大学も北大と医大と,、、藤女子大が、、、目立つだけで
女性は、ほとんどが、、「東高校卒業」の女性が
エリートとして、、リーダー格だった。
郷にいれば、、、郷に従え、、、というように
私は、、、日大の理工学部を卒業して
薬剤師、、衛生検査技師、、、後世初免許取得のほか
高校、、中学の、、物理化学の教員免許を持っていた。
之だけ、、生きる武器を付けていれば、、、知らない土地の北海道だって
通用すると、、考えていたことは、、、現実的な社会を知らなさすぎたと思いましたね。
北海道は「東北薬科大学」の薬剤師がほとんどでしたね。
学校も、、日大卒の教員を募集しているところを探すのは大変でしたね。
北海道教育大が、先生の名門として、、、評価されていました。
同窓生が働いているところを探すのは、、大変でした。
ともかく、、ローンの分だけでもと、、アルバイトしながら、、、
福利厚生も戴けませんでしたが
北海道の、、外来者である扱いの日大卒は
同じ日大卒の後輩が社長の調剤薬局での仕事が見つかり
何とか、、働かさしていただけましたね。
フルタイムの仕事は子育て時代は1年と続かなかったのは、、、
ダンナさんが、、大学の医局長や、、、同門会長など、、、
家に帰る時間は20時前に帰宅することがなかったため、、、
子供の怪我、、入院、、家族の入院など、、、
友だちも、、同窓生も、居居ない、、、家族も親戚も居ない、、
他人の街での育児は、、、助っ人が無くて、、、
そのたびに退職して、、また別のアルバイトでローンを返すという繰り返しでしたね、
少しづつ、、世間というものがわかってきて、、、
北大より医大が、、地域のおばちゃんたちの
「マイ、ドクターであり、、、北大の医師は、、、親しく頼れるマイドクターではないようでしたね。」
東京から嫁に来たというだけで、、、PTAのお母さん方からは、、
よそ者という扱いを受けましたね。
息子が早生まれのせいもあり、、
私も、、自分が北海道にしつぃむ事も出来ていないのに、、、子供のことは
手抜かりが多くて、、ダンナさんは、早朝に、家を出たきり
夜遅く帰るという状況で、、、マイホームでもあり、、
疲れを癒す風呂のある家が手に入れば、、、
ちょっとは、、家庭らしくなるかもしれないと、、考えたことが思い出されます。
今、、少子化の時代に入りましたが、、、私も、、過去を振り返ると
もう一度、、子育てをしなさいと言われたら、、、ことわるかもしれない、、、
それほどに、、、子育てには、、多くの要素が在り。。
結果論ですが、、、
たくさん子供を産んで、、にぎやかな家庭をつくりたいのなら、、
生まれ故郷や、育った街を離れない方が、、
子供にとっては、、仲間がデキやすくて、、、
親も、公園デビューが順調にゆくという事ですね。
和歌山、、山中のこう配を観乍ら育ち、、
串本の海を観な洗育ち、、
13歳で東京の小学校から大学まで、、東京育ち、、
勤務したのが、、、東京大学、、、基礎
東京医科大学の臨床薬剤師
関連病院の自宅近くの総合病院、、、
東京で、、30過ぎたら、、結婚するかもしれないと、、
当座は東京は父の生まれ故郷だから、、
、ココで。結婚生活をすることになるだろうと
ごく当たり前の日常を過ごしていた。
北海道に嫁入りするなんて、、、考えても見なかった。
神様が居て、、、神様が人の人生を決めているのかもしれません。
風のままに、、時のすぐ行くままに、、、北海道の雪を搔きながら
なかなか、、仲間に成れないまま、、
、ふと気が付くと、、、80歳までになろうとしている。
ひたすら運だけが良かったのかもしれません、、、
孫子は、、北海道に、、わんさか友人が居ますね。
長男は、、北海道の正看護師さんと結婚して、、
実に、、支え合い、、助け合い、、孫たちも北海道の大學であり
北海道を乗りこなしているって,、感じがしますね。
私は、、落馬に次ぐ、、落馬で、、馬にモ、、ひひひ火~~~ん、、、と
笑われながら、、、北海道の誰からも、、愛されることはなく、、
天に、、愛されたのかもしれません。
北海道の山を、、アイヌさんたちと登り、、、
名寄の方で、、サンピラーを観て、、
子供らを国際スキー場に連れて行ったとき、、
ダンナさんは来なかったけれど、、、
北大の看護師さんらと、、、好き場で滑降で来た想い出は宝物です。
国際スキー場までは、、アコードで、、当時はスパイクタイヤを履いて
定山渓経由で、、子供達を乗せて、、雪山に着いたとき、、
北海道で子育てで来たことを、、幸せに思うようになりましたね、、、
北海道は、自然が友達になってくれるんですよね。
それからは,、旭川の山のお花畑の季節に登山したり、、、
名寄の夏山で、、クマに5匹も出会ってしまったり、、
がけ下の5匹の熊を観た時は、、、反対側の坂道を
ソートソート、、降りて来て、、、振り返ると、、熊はいませんでしtが
クマの引っ掻いた大木が在り、、冷や汗でしたね。
その後は、、北大の聴講生になって、、免疫学を学んだり
植物の育成の実学を教えて戴いたり、、
友人をつくるという気にはなれないで、、、子育ての一環として
自分も生涯教育のつもりの生徒になって、、、母親業に徹しましたね。
家のトラブルからわかった事は
マイホーム産業は、、当時は「クレーム産業」と呼ばれていたほど、
北海道は、、今日のような、、建築学がマイホームにはまだ届いてなかったという事ですね。
昭和50年ごろから,急速に、、オリンピックの有った町として
インテリの外来者が住むようになり
多くの智慧と学問の裏付けのある、、、
寒冷地に適した家を普及させていったのでしたね。
昭和50年の北海道ミサワの建物ときたら、、パネルの上に
直接モルタルを塗る様な仕上げでしたから、、、
皺皺の、、、お婆さんのように、、
モルタル壁はひび割れてミットも無かったですね
アフタ0サービスに文句を言ったら、、上から重ねて、、ペンキを塗るから
皺ひび割れがくっきりと、、家全体を覆うという、、、
寒冷地の、夏と冬の温暖差や
暖気と寒気の間での、、凍結、、融解を珪砂に入れない、、べた塗り壁が
地震の時、、、たたみ大のモルタルが落下して、、危険ゾーンだったのですよね。
市から、、160万円ほどの援助が出るというので、このままでは危険なので
モルタル壁をはがして、ほしいというと、、ミサワのもとアフターさんがやってきて
モルタルをはがして運ぶだけで、、200万円だというのです。
剥がさないのなら、、上から金属板を打ちつける修理方法をとるというのです。
私は、、ひとは経験で、育って行くと信じていたのですが、、
お断りして、、ネットで、、サイディングの免許を持っている業者を探して
250万円で注文しました。
モルタルを、、座布団のように切断して、、
下板のパネルの腐敗をしたフル剤を取り換えてくれて、
断熱材と、、、シートをかぶせてから、、上からサイディングをしてくれて
ミサワホームの外見は、、とりあえず復活しました。
後日、、札幌市からは、援助金が出るはずだったのが、、60万円で打ち切られて
190万円の臨時出費に、、家計のやりくりは大変でしたね。
地震でねじまがった階段や、、スガモリで腐っていた床は、、今でも後回しになったまま、、、
粛々と、、毎月、、小さな修理をしながら、、、
水道も、トイレも使える家にして、、一人に成ったら
この家で、、一度は良い思い出を造り、、孫子に譲りたいと思っています。
この家を売る気にならないのは、、庭木が生涯の友であったという事と
夏は、、目の前に日の出が見えるという事です。
月も、、真東から見える、、4月の月末です。
何とかここに住むことで、、、
リホームにかかった費用を、、無駄にしたくないと、、思いますね、、、
最後には、、、車いすで働ける台所にして、、、水道とトイレも介護用にして
「歳をとって住めるまで、、、待っていてくれた家という事で、、
子供や孫に譲れば、、きっと更地にして、、、 東からの日の出を楽しむような
今度こそ、、寒冷地に負けない家をたてて、、、 ポンコツになったミサワホームはその時は
寿命を御wルでしょうね、、、
何だか、、管ライチに適応できなかった自分を観ている様な気のする家なんですよね。
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羊が丘の麓は、、タケノコ原野だったのに、、、
バブルで、、家は23坪の庶民向きが、、、1400万円になった。
二人の男のの為にも、、、ミサワホームンの提携ローン9パーセント!
30歳にッタ頃の私は、、、今よりも、、もっと世間知らずだった!!
お金を借りたことは無かった。
23万5000円ほどのボーナス払いが年2回
11万円が毎月の支払であった。
家を買ってから、、、しゅうちょう先の病院から
旦那さんは医局からのアルバイトでは、、やってゆけないので
初任給23万円の、愛育病院い固定申請して、
医局命令ではあるが、、
安定して23万円の収入が入るようになった、
ボーナスを入れると300万円以上になった。
今までの無給医局員と違って、、、
質素倹約ではあるが、、、自宅を手に入れたという喜びの方が大きかった。
しかし、、、誤算が続いた。
当時のミサワホームは、、、ミサワのパネル構造が定評が有ったのですが
ミサワホームという、、パネルを契約した建具屋さんは
ミサワホームを看板医あげていたという事ですよね、、、
雪の降らない本州向けのパネルを、、、
サッポロでも、、豪雪に見舞われる羊が丘んぽ麓に
見様見真似の組み立て説明書に従って、、、
北海道ミサワの大工さん見習いのレベルの人たちが
組み立てた家だったのですよね。
本州向けですから、、、の草木が幅が広く、、、一枚板です
冬になれば、、豪雪の時は、、軒先の一枚板は、、雪の重みに耐えかねて
軒板が折れてしまうという代物。
北がwのこう配の緩い屋根には、、犬小屋モドキの三角の箱を、
のりしろのような、、板をはみ出させて、、、
疎の板の上から、、、20センチもあろうかという、、、
ブッと医長い釘モドキの金具を、15本も打ちつけて、、、
小屋根を固定しているという代物!!
スガ漏れはするし、、、壁は水の滴る水道が、、、暖気と寒気で凍結したり融けたり、、、
夏には、、ビニール製の壁紙野下で、、異様なアオカビモドキの努須黒緑のねっとりとした
塗料のような細菌群の発生、、、
部屋の壁をはがして、、、カビごと、、紅谷の壁板を捨ててもらって、、、
新しいベニヤ板の下には、、、防水紙を入れてもらい、、、
小屋根を取っ払ってもらって、、、釘穴の水道を防ぐ意味で
ゴムの絨毯代の敷物をトタンをはがして、、中に入れてもらった。
二階の屋根から血枚ものの長尺途端で仕上げていたミサワホームは
屋根の回収リホームの時、、、一方的に、、半分サイズの物を並べて
二階の壁に沿っての立ち上がりが膝ぐらいのところで
板金でつなぐという、、、買ったときとは、、美観が違う次だらけの板金しあげである。
当時は板金技術が腕の良い大工さんが、、本州からの業者には
働く時間がなかったのかもしれません。
リホームに来てくれた、、当時の現場の人に言わせると、、、
板金しても、、、スガ漏れする公算が大きいから、、、
長尺トタンだと、、今度剥がすとき、、、二階までの盾ラインの板金が
うまくやれないという理論らしい、、、
ともかく、、子y根は取っ払うし、、、長尺トタン屋根は
ど真ん中に、バンキンラインが入るという、、継達磨の家になった。
それでも、、、120万円は安くしたと言っていた。
しかし、、、豪雪の冬の雪は、、、氷に成ったり、、、雪が積もりすぎたり、、、
雪を降ろさないと、、、スガ漏れがひどくて、、、真下のお風呂場のタイルが
畳みの大きさ大に,、、裏に髪を張ったまま、、、繋がって、、、ドサ~~~と
落ちて来た。
危ないですよね、、、
クリーム色だったタイルは、、冬は寒そうで、、ふるえるので
はがれた以上、淡いピンク色にしてもらった。
あたたかな錯覚になれるという、、、予想だった。
しかし、、スガ漏れからくる、、凍結と解凍の繰り返される風呂場のタイルは
3年もすると、、また同じように、、、どさりと、、大量が落ちて来る。
水道は、、部屋の誕生のした30センチぐらいのところを
水道管がそのまま空中を走っている。
手拭いをかけたりしていたが、、、冬になると
ストーブを焚いていても、、、凍結する。
昼間から、、、水道が使えない、、、
自分で、、水道を撒くスポンジ入りの、、巻物を、、金物屋で買って来て
タオルをかけていた、、、水道管をすっぽりと巻いて、、その上を
ビニールテープで巻いた。
そのうち、、あっちもこっちも、、、
人命にかかわるような、、、屋根からの氷塊になった落雪が続き
とうとう、、ベランダの屋根からは
ソファーのような、、、巨大な氷塊が落ちて来て、、、
窓際に有った子供たちの机を、、、すごい勢いで押してきて
反対側の壁に、、、60センチぐらいの木のおもちゃ箱によって
机はそこでストップしていたが、、、
落ちた氷塊の勢いは
ベランダサイズトリ幅広いガラス窓を割って、、
窓枠が、、、ラワン材で出来ていたものですから
窓枠まで折れて、、、
ガラスが飛び散り、、、
家族は、、死ぬ思いをしました。
正月だったので、、、ミサワには電話に出てもらえない!!!
同じ町内の建具屋さんに、、、正月なのに、、住まないけど、、といって
割れた窓のガラスを取り換えたり、、、木枠を接着したり
アルミの窓枠の曲がりを、、、小さな工具でたたいたり
大きな木槌でたたいたり、、、ペンチに様なもので
ねじまがった窓枠を起用になおして、、、
一日がかりで、、、窓にかかって下さり、、
、正月を台無しにした冬を過ごしてからは
翌年は、、、屋根のこう配を変えるリホームや
気宇だけ散ったコンクリーのたたきの修理など
ミサワホームが提携ローンの保険から半分、、私どもが半分と
当時のお金では、、屋根の張替えには
ローンについていた雪害保険が半分出てくれたおかげで
我が家の持ちだしは、、、屋根が70万、コンクリーのたたきと
補修と、、ベランダ窓のガラスと、、窓枠を別の木で作ってもらった分が
30万円、、、合計100万のしゅっぽが重なりました。
本当は、、男の子二人では、、、将来の結婚時期が来ると、、
女の子の接し方が判らないと、、、、
結婚生活がスムースにゆかないかもしれないと
一姫二太郎と計画していた。
結婚当初、、無給医局員の時代
出張先で、、留萌の劇寒い、、冬に
一度、、流産で、、男の子を失っている。
今度産まれてきたとしても、、、女のことは限らない、、、
出費もかさんで、、、気持ちもリホーム続きで、、疲弊する、、、
子供は二人と、決心して、、、リホームを、完璧にして、
気持ちの安定を洗濯していった。
しかしその後、、、トイレがマスが埋まってなくて
御隣さんに
庭の真ん中に土管で流している汚水が、、問題になって
トイレまで、、、形だけのトイレだとわかって、、、
当時のお金で40万円で地面を掘り起し、、新たに土管を設置して、、、
隣りの家の庭にある共通マスに、繋げた代償として
御隣さんから、、、塀を建てる事を要求されて、、、
御隣さんが要求する高さで、、、ミサワに塀を発注した。
120万円であった。
しかも30センチ以上、、、50センチ以上かもしれない、、、
手前の敷地内に引いて、、、ミサワは、、お隣さんに平謝りで、、、
塀を立てていった。
我が家は、、東京から来た二人だという事もあって
三沢も本就業者の流れだという事もあって
当時の北大を卒業されて、、、道新の記者だった御隣さんの
要求するままに、、ミサワホームは、、、北海道進出の走りだったこともあり
東京本社からも、、、幹部社員が数人やってきて、、、
30代の若夫婦の言い分より、、、お隣さんおクレーム対策に
我が家の庭に、、がっぽりひった塀を建てたのだと推測しましたが、、、
現実は、、、50年近くなって、、北海道地震のあと
御隣が、、西岡建設に友人が居て、、その方に売却を頼んだのですが
塀を、、お宅にうんと張り出して建てろと、、ミサワに強烈に迫ったのは
私の父母です、、、ごめんなさいと、、、
隣りの敷地が売れて、、、引っ越すときに、、、一人娘のMさんが
菓子おり持って、、、謝りに来ました。
引っ越し先も言わずに、、、消えてしまいました。
その後、、、土屋ホームによって、、、雪国向けの
土台のしっかりした家が建って、、、
中に入った不動産屋さんは、、、お宅の敷地に入り込んでいる塀に関しては
新規購入者には、、一切の弁償など言わないと、、
書類に印鑑と署名をしてほしいと言ってきました。
兄だに入った不動産屋さんは、、、西岡建設の女性社員さんでしたが
御隣の一人娘さんとは友人同士とのことですので、、、
被害者の私たちに、、、無茶苦茶の要求をしてくるものだと思ったので、、、
境界石の法的に測量したものを、、モルタルでかくして
基準の大きさでない、、
、出っ張った杭のような大きな十字の有る境界石を新たに設置して
自分尾土地として表現していますが、、、
札幌市が正式には買った測量図が有るので、、、
黙って成り行きを観ています。
家のtラブルが無かったら、、、もう一人、、、女の子を産めたと思いましたね。
日本の少子化の原因の一つは、、、、
住宅問題に無知な、、、
30代前半の
母親になれる
年頃の女性が
ローン地獄、、、クレーム産業の、、、詐欺まがいの、、、リホームで稼ぐシステム、、、
トラブルが起きるのをわかり切っている様な、、、立て方で売っておいて、、、
数年以上も、、、あちこちが、、、問題が起って、、、
リホームに追い込むという、、、基準の監督の甘さが
育児の心身ともに、、母の幸せな育児を奪い去る
住宅問題が、、、大きなネックになっているのではと、、、思いましたね。
素人からすれば、、、業者さんには、、丸投げして、、、建売は信用して買いますが
形だけが家で、、、上下水道、、、屋根が問題で、、、
クロスの張り替えも、、、何回したかもわからない、、スガ漏れ、
今年が、、80歳荷りますので、、、銀行が動いてくれないと思います。
スガ漏れ直下の部屋のy描いたがぶよぶよで、、、今年は
床が抜けないうちに、、、床直しをせねばンりません、、、
ミサワホームは、、今はトヨタになってしまって、、、
どこかに頼まねば床が抜けそうです。
40年以上も、、家具や、、季節ごとの衣類や
ホンを置いて、、、離れに使っていますので
上下水道下水、、使えませんが
固定資産税はずーと、、住居ですから、、払っています。
新築同様のままの砥の粉の着いた部屋もあります。
震災で歪んだ部分も、、、修理しましtが
補助金が60万円で見直しカットになり、、、
下水水道の修理は見送りました。
日本の家問題は、、、基本となる住居費を
世代交代時に、、、税金や、、新築で、、、若者の世代にかかる仕組みのようですが
少子化を原因で治そうとするなら、、、住宅を、、、世代を超えて住めるようにすれば
政治資金は、、、住宅問題を通して
若者の方にかかるようにすると、、、
親の財産の家を継げばよいという、、、少子化になるのは、、、当たり前だと
もろにその、、被害まがいの、、住宅問題で、、、
無用な金銭を払い続けている、、、8人兄弟の下から2番目の私
4人兄弟の次男で、、
家も車も無かった、、、二人の結婚は
二人の男の子を育てるだけでも
セイイパイの、、、住宅問題に振り回された期間が
もったいなかったですね、、、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/ce/fe35acebc88e47c8085e0b2091173b4b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/70/09bef4da03a0e70cad0c7cc47a39cbf7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/39/fa389d5e6b8da4fdb6aa196b7d6f7cef.jpg)
大大受け継ぐことのできる家を、、、うだつの上がる家を建てて
世代ごとに、、住宅費で、、子育て費用がないという
少子化政治を改良して、、、
日本は、、もう一度、酷門の国政力を守るためには
不動産システムで、、、老後は家が負担
子育て期はローンが負担、、、
島国なのですから、、、3世代同居できる
何世代も持つ、、、うだつの上がる家が有れば
10人家族で、、、全員大学を出しているという家も
夢ではないでしょうね。
政治家さんの、、、本当の実力は
国政力で、、、日本を消滅させるという
新たなる形の違い戦略に、、、金銭政治が引っかからないようにしないと
少子化問題は、、、国会の鋭い突っ込みをしている様な場合では無いと、、思ったりして
国会劇場を、、茶の間で拝見しているんですが、、、
80歳の婆ちゃんは、、、孫子の教育費や
食事に、、、メリハリをつけるような
応援をしたいと思っています。
ささやかな、、、10万以下ですが、、、
教科書でも買うお金に、、、してね、、。
お休み、、、君たちの世代が幸せな子育てが出来ることを祈って
日本の末永い繁栄を祈って、、、
経済的な理由からは、、、戦争に巻き込まれないでください、、、
しっかりと日本は世界平和の為に、、、
戦争のない世界を、、、書く反対を、、、少子化の見えない原因だと
気が付いている人は多いと思いますよ。
朝になってしまうので、、、
おやすみなさい!!
P>S> 大谷選手、、、今日もかっこよかったね!!!
元気貰っています。
5時から、、また、、逢えるね❕!、、大谷選手!!
ちょっと寒いと、、水を落して眠るので、、、水道は凍らなくなった。
とりあえず、、ペンキ塗っておいてあげるよ、、、と
3年ぐらいなら、、、ペンキで防水という事になるかもね、、、
サービスに、、屋根のペンキを塗って行ってくださいました。
今は、、ミサワの親会社が変ってしまいましたので
北国のスーパー腕の良い雪国向けの家が出来ているミサワホームですが、、、
80歳まで来てしまったから、、、住めない家だけど、、、
昼間に、、おにぎり持って、、、本読みに行くと、気が休まるから、、
このままみゅくしかない、、歳になりましてが、、、
固定資産税だけは、、、水道も、、、下水も、、使える家にしないと
割に合わないな~~~と、、、
本州育ちの夫婦の、、バルブの頂点で、、、焦ってかった、、1400万円
三沢の提携ローン9パーセントの利息で、、、欠陥住宅を買ったことが
生涯の、、自分たちの無知が招くマイナスを、、思い知りましたね。
孫子の時代に、、全部取っ払って、、、孫たちが、、家を建てれば
今度は、、北海道の雪害を良く知った業者さんを選んで、、立ててもらう事ですね。
今年の大雪で、、周りからも、、空き家と間違って、、、
塀の上の敷地内まで、、、機械の除雪機で、、雪を吹きかけてくるので
塀が、、毎年、、、部分的に倒れてしまい、、、それも、、リホームしても
焼け石に水で、、、基本のやり方が、、本州の雪のない所の作りなので
全部、、ブロック塀が無くなってからでも、、リホームはそれでもよいかと
此処r無い除雪が、、雪を吹きかけてくるところから
冷凍、、暖気、、膨張、、冷凍、、暖気、、膨張、、と繰り返して
部分的にはがれて来て、、どんどん風化しているように、、塀が壊れてゆきますが
これは、、機械の除雪機で、、ふきつけたところだけが、、壊れて言っているから
除雪のやり方も、、手でやるのなら、、塀に密着しないから
塀は壊れないと思いますが、、機械で吹きかけると
ミクロの粉雪が、、ブロックの凸凹に密着して吹きかけられるので
暖気になるたびに、、再凍結を繰り返し、、春になると
ブロック塀の欠片を拾って歩くといううちに、、
機械除雪の場合は、、、特定の角の家にばかり
雪をふきつけるという事を何とか中止してもらわないと、、
全部、、壊れてからは、、コンクリートの塀にするしかないな~~~と
悩んでいます。80歳という歳は、、、よっぽど優先順位をっ考えて
リホームに踏み切らないと、、、
老後の生活費がないという事になりかねない、、、長寿時代が来ましたね。
若者は、、年寄りに、、残酷なところがありますから、、、
塀に、、雪を吹きかけないでほしい、、塀が崩れるから、、と、
何かいい言っても、、、ココは歩道だからと、、言いながら、、庭にまで入ってくるほど
吹きつけ乍ら、、、車の通れる道を造ってあげているんだから、、
良い事をしているんだからと、、、新⒥手してくれているつもりで遭うから
これ以上、、わかってもらうのは、、無理だとお観ますね。
北海道の生活道路は、、自治体がしtくれているので、、、
我が家のような、、北側角で、、車のあまり通らない道路を
除雪するのは、、、自治体も、、幹線道路だけで、、
いっぱいいっぱいの除雪費だと思いますから、、、痛しかゆしの、、雪国の雪害ですね。
ともかく、、、ミサワホームは素敵な家なので、、、北海道の雪害を
どのようにクリヤーできるか!!、、、それが、、生き残りのカギとなりますね。
我が家のように、、建売は、、窓下のコンクリーのたたきも鉄筋が入っていなくて
購入初年度の大雪で、、
木っ端みじんの破片とひび割れで、、、窓下のたたきは、、使えません
南向きのベランダサイズにさらに半間足したぐらいの大きい窓は
屋根から落ちた雪で一度、、窓戸枠にラワンンを使っているため
枠ごと折れて、、別の樹で修理したため、、つぎはぎの窓枠のまま
何十年も観てきました。根本を直さないと
雪害は、、毎年やってくるのですよね、、、
正直言って、、、リホームだ折れしたというのが本音ですね。
80歳になると、、、何もかも面倒くさくなって、、、
孫子の代に、、、立てなおせばいいかも、、、?このまま使おう、、
固定資産税、、バカ高いけど、、、自分の半分の様な気がする、、離れの家です。
こうして、、水稲と、、おにぎり持って行けば、、、一日の日向ぼっこが出来る
日光浴の、、別荘です、、、おんぼろだけど、、、
愛してるよ、、初めて手に入れた家だからね。
一緒に、、人生、、走り抜けようね、、、
長く付き合うという事は、、、ある種の愛情がわき
不完全なまま、、、なんとなく時間が過ぎて、、、人生は
次の世代で、、なんとかなって行くんだね。
ミサワホームの塀が境界線い立ててくれないので、、、
隣りも、、不動産屋も,、、公認の境界石をモルタルで塗ってしまい
サイズの大きな、地面から20センチぐらい立ち上がった十字の刻んだ脊柱を
我が家の敷地に深く入り込んだ塀と歩道の間に立ててあり、、
塀のあるところまで、、我が敷地だと、、主張して来るから、、、
建具屋さんの間違いが、、隣り同士のいさかいの原因を造っているという
80歳に成ったら、、孫子の時代に喧嘩が起きない様に、、
公的に入った測量図だけは、、正確に測っているので、、それを申し送って
喧嘩になる前に、、遺言状で、、申し送るしかないかと思っているのですよね。
札幌市は、、こうした問題を解決するというブ社は有るのでしょうか、、、?ね
下手に正しいことを、、主張すると、、村八分に遭いそうに、、、悪口言いて歩かれるという
間違って警察まで、、、脅迫したのかと呼ばれて、、
呼んだ方が、、「警察も忙しいんだからと言って、、帰ってゆくという。。。」
住民は皆 法律には幼いので、、荒立てない様に、、、我が家は、、何十年も、むくちを通してきました、
御隣のオジサンが無くなって、、おばさんが娘に引き取られてゆくとき
地震ンが来て、、家を手放して、、全部取り払って新地にして打って行かれました。
中に入った西岡建設の女性社員は友人だとかで、、、
教会問題で一切不服はないという一筆を下しと言ってきましたが、、、
塀を当ててくれたのはミサワであり、、、当方の庭に入り込んだところに立てたのは
三沢が、、教会の位置はここですと言って塀を建てたのですが
売りに出すとき、、お隣のお嬢ちゃんが、、亡くなった父が、、わかっていて、、お隣の入り込んだところに立て挿したのですと
屋根の大量の雪が落ちて来て
何度か窓が割れるので、、、
いつの間にか、ひとは住めなくなっていたところ、、、
北海道の震災で、、、壁が崩れ、、ねじ曲がってしまった、、、階段を直し、、、
床が抜けたのを直すッンリ
アト
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