ここのところ、、、札幌の連日の雪で
へとへとになっていたのですが
昨日は...帯広の、
一夜にして、、、魔法のように
120センチの豪雪で
白い世界に変貌したTV画面を見てからは
札幌の雪で、へこたれている場合ではないと
冬将軍の、魔法の力に、疲れ
果てていたはずの
残りの気力が
号令をかけられた軍隊のように
敬礼!、回れ右!
こんなことでへこたれてはいけません
まだまだ、、、絞れば、、少しの力は残っています。
残った家事を、片づけるかな~~と
立ち上がろうとしたときに
本州は、関東
関東は、、、東京近辺
これから自宅に帰ろうと
9時8分!残業まがいの仕事をしまって
ニュースを観たという、、、
帯広の雪の景色の写真を見て
びっくり仰天!!
一夜にして120センチの大雪の帯広!!
札幌の、お姉ちゃんのほうは大丈夫かと、
反応してしまった、、、
夜の電話、、、
大丈夫!、2日がかりで、、、
自分なりに
家の周りは除雪完了!!
80歳過ぎて、、、頭はかくしゃくとしている
ダンナも、、朝はちゃんと出勤しているし
連日の雪かきで、、、
疲れ切っているだろう、、、と
笹寿司の細長いお弁当を
雪まつり会場の近くのデパ地下で
買ってきて、、、
「夕食に、、、ありつけた、、、(^^)ところです。」
弟は、あんまりすごい、、、北海道の
一夜にして、車が見えない雪景色に
時間を考えられなくて、、、
今頃
電話してしまったという、、、。
ありがとう、、、帰宅準備の21時過ぎに
81歳になるだろう
お姉ちゃんを、、心配してくれて
自分も激務の毎日の
ストレスを、大雪の中に
埋めてしまいたかったのかもしれない。
団塊の世代の、、弟が、、、
現役勤務の残業の後、、、
雪の心配で、、、電話をくれて、、、
声だけは、、年を取らない!!
昔の家族のままの声であるから、、、
話は、思い出話に発展していった。
そして、、今の時代の、、、
トランプさんのお話になった、
囲碁も将棋も、
プロの有段者に負けないような
勝負の素質に恵まれた弟は
「トランプさん」の、、、ニュースには
結構な関心があるようです。
私のほうから、、、
トランプさんは,、碁盤のど真ん中に
意思(石)を置いたね、、、と言うと。
碁盤の真ん中に
意思(石)を置いても
陣地にはならないから、、、
一目、、捨てて、、、
「勝負心を発射したのかな?」
目的は自己のアピールかな?
狙いが見えてくるのはこれからです。
まさに、、普通じゃ考えられない、、、
初めの一目だと
弟は言った。
そのあとに続けた。
トランプさんのような、、
「世界に一人しかいないような人」なら
「碁盤の真ん中に置く石」は、
ありなのかもしれない、、、」と
弟は、受けいれた。
子供のころの疎開地で
父の碁盤で、
囲碁の手ほどきを受けていた
幼かった弟の手元を思い出した。
井の字の模様の浴衣を着た弟は
ど真ん中に,、、白い意志(石)を置いていた。
父は、、息子に,、白い碁石を持たせて
碁石と遊ばせていた。
父が50歳を過ぎたころ 母のピアノ発表会に
参加した日
遠い昔を思い出しながら、、、
弟の努力の生涯を見続けてきて
今なお、、、働き続ける団塊の世代のおかげで
日本は、、、敗戦後の廃墟のような国土を
復活させることに成功した。
考えられない、、、
神がかった根性の持ち主の世代が
団塊の世代の男たちだった。
戦後の団塊の世代のように、、、
張りつめた弦のような、、
緊張感で生き抜けた世代は、、、
昭和天皇陛下の玉音放送が
最後の一兵卒まで戦うという日本の魂を
戦争から「終戦を受け入れる」ことで
時代に生き残る日本を
選んでくださったことが
アメリカに、追いつき追い越し、、、
相棒となれる日を夢見れるように
駐留軍によって、、
支配される植民地化が
行われるということがなかった。
日本人は、最後の一人まで、、、竹やりで戦い
捕虜や植民地になるぐらいなら
自決せよと、、、手りゅう弾を渡された、、、、
マカーサーは、のちの手記で
天皇陛下のことを、、、
国民の命を救うなら、、、
ご自分の命を差し出されたとという意味のことを
「過去には会ったことのない(しんし)でいらしゃる」と
次のお会いするときは「正装で来られたと、、」
祖父は話してくれました。
終戦を受け入れて、日本国民が玉砕したかもしれない
本土決戦を、、、止めることができるお方は
天皇陛下以外には、、、、
日本人の中には存在しなかった時代でした。
敗戦を受け入れた後は
陛下は、国民の中にいつも一緒に生きてくださいました。
日本中を訪問されて、、、
国民と、ともに生きてくださるという
日本国の象徴として、日の丸の歴史を守ってくださったと
国民は、戦後の世界とともに生きてゆく
大きな希望の光を見出すことが
戦後の日本の、世界に向けての
役割だと、、、
お茶の間のばあちゃんは
戦争のない世界の平和を祈りながら
女性の、、、これからの役割は?????
何なんだろうと、、、思うのですよね。
女性、、男性という、、、
男女同権の認識の下手な、、
日本の風土に根付いた封建制度の身分制度は
地方自治体の中にも、、、今なお根強く残っているという
歴史が作った男尊女卑の撤廃が、
少子化に向かわないで
男性の育児参加で、、、
一人っ子だった家庭にも
一姫二太郎、、、、という
子供たち同士でもまれながら
人間関係を学ぶというバランスの推奨を
国がかりでサポートしてもらいたいものですね。
男の子の一人はデジタル人間に育てたっていい!
もう一人の男の子は、、海、山、空を母として
光の恵みを大切にする子に育て
女の子は、、、
大学を卒業したって構わないけど
自己主張に生きたっていいけれど、
30歳になったら、、、子供を産んで
母親の役割は果たしてほしい、
母になることで学ぶ「人としての強さ」
母になることで知る、、、、幼き命への敬服
母になることで知った、、、男性族の自己愛
母になることは、、、人間を客観的に観る機会を
動物の節理のように
成長段階に見せてくれる
潜在的な人間のエゴや、、、闘争心や、、、動物性
子供を育てることは、
平和な世界を維持してゆくためにも
AIが代行できない、、、
天与の知恵を授けてもらえる。
理屈抜きの、、、平和を求める努力
必要にして十分なこと以外は
他者に尽くすことが、、、普通にできる。
子育てを、自らの手でやってのける母親は
子供たちを愛することを天から教えてもらう
国は育児のプロセスにおいて
名誉と栄光を、教えるのではなくて
素朴な「愛を、、、家族への愛を、、」
さりげなく身につく環境のサポートを
心が貧乏にならないように、、、
焦点を合わせるべきだと思った。
名誉と、栄光と、支配を教えられた男の子は
東京大学の受験に失敗すると
自分の敗北感から立ち上がれない。
勉強ばかりが人間ではないでしょう!!
カーリングの、、今日の勝負で
オリンピック出場権を勝ち取ったチームは
名誉と栄光が後からついてきているではないですか?
まず、、自分が打ち込めるものを見つけられる
そういう教育が、、、素敵ですよね。
有名国立大学に入るのが目的ではなくて
自分の志したジャンルの
大先生がその大学にいらっしゃるから、、、と
ばあちゃんの高校時代の同級生は
北大の高分子学人支持を目指して
理類にしんがくした、、、、け。
その時は、、、
国立に進学する生徒の心の中が
学問の域の未来を目指しているのには
夢があっていいな~~~あ、、、
と、、思いましたね。
やりたいこと、、、未来に夢をもって
進学できるような、、、学校教育であれば
競争社会の受験ではなくて
適性でで選べる大学になればいいですね。
また、、、昭和38年に、、
これからは、、高分子物質の時代が来ると
読めるような生徒が、、、
実は、、、一番の高校の失敗組で
二番目の女子高に来ていたという
教育の根本の点数のつけ方、、、試験問題のあり方に
先生という,、、一段高い教壇からの
上から目線で生徒を選ぶ、、、競争社会の
受験問題に集約されているのではないかと
日本には、、、研究者の方向の頭脳の持ち主には
単なる受験テクニックに長けた知識満載の受験生には
見いだせない、、キラキラした夢があるのに、、、と
こうした学生が、、希望の高校、、大学に受かるという
国民を育てる側への、、、人間でなければできない
受験問題を考えてほしいと思いましたね。
この学生は、、、トップの高校が、、合格させれば
先輩諸氏、、先生の師匠と、、、
大学を卒業した後の人との出会いが違ってきて
国の役に立つ研究者になっただろう、、、と
高校時代に、、思いましたね。
研究費のない日本は、、、即戦力の生徒が
トップに立てる選抜をしているかもしれませんね。
「高校時代に、、志した研究が、、世界につながるような
大学入試制度になれば、、、
今頃は、、半導体も、、、AIも
日本が一番だったかもしれない、、、などと
ばあちゃんが死んじゃった後の、、日本の
受験問題などを考えたりしていました。
現在の知識や受験テクニックで、、大学を選ばないで
いっそ、、、やりたいことのできる大学に
全員進学させて、、、生き残った生徒を
どこまでも研究できるように
未来の日本の企業の頭脳として
育てられるコースにしたほうが、、、
東大を受験して、、
おっこったから、、、
自分はダメだとか、、
劣等感を植え付けた学生の中に
研究者の卵のような学生を
見逃してしまっているかもしれないと
日本の研究分野の未来への方向を考えてしまいますね。
中国の十世紀を新聞やTVで見る限りにおいては
お茶の間の平凡人の、、、、81歳のばあちゃんは
かしこい人と、、、研究者の、、頭脳は別物だと
感じながら、、、新聞記事を読んでますね、、、。
AIの横行するこれからの世代の人間にとって
人育ては、、、
難しい問題をたくさん回答できたという
デジタル人間を育てるよりも、、、
AIが、、、代行できない人間性を持った
入射角と反射角の同じ人間を探し出すことが
AIを使いこなせる、、、人育てではないだろうか?
自己愛に竹田人間より、、
不思議だと思う世界の探検者を探す大学が
最後に、、ロボットを使いこなせる
AIに勝てる、、世界を
操作できるのではなかろうか、、、
学問にも、、、未来の知識にも、、、
自己愛以外の、、、
「夢を持てる、、愛」というべきか?
問題を解くのが目的ではなくて、、、
その問題が出された理由を未来のニーズに
つなげられるという、、、夢に向かっての
一段目の階段が、、、受験であってほしいと、、、
受験が、、競争であってほしくない、、、
今日のカーリングを見ていて、、、
カーリングが、、
心から好きな選手なんだな~~~って!!
感動しましたね、、、、
あの、、相手側の石を、、、どかせるなんて、、、
すごいですよね、、、
スポーツは時として、、、
長い間思っていたことを
根底から見方を変えてくれるような
奇跡のような時間の使い方を
見せてくれますよね。
81歳になろうとしているばあちゃんは
TVには、、、年を忘れて、、、
反射的に思ったことを
日記に書いてしまいましたね、、、
条件反射の、、日記分で、、、
お立ち寄りくださった読者には
反射で書いた日記帳なので、、、
笑って通り過ぎていってくださいね
ともかく、、、今の受験制度は、、、
なんか?、、しっくりこないですね。
青年の志を育て、、、もって生まれた、、、その子丸ごと
壊さないで、、、育てることができたら
野球界の、、一郎さんや、、、大谷選手や
ゴジラや、、、長嶋さんや、、、
多すぎて、、
あとは各自で思っている選手のように
栗山監督さんのように
生徒の前の出ない、、、良さを引き出す
日本の教育であってほしいですよね。
日本には、夢に向かう生徒を
見落としてしまう受験制度かもしれませんよね。
親を選べない以上、、、
夢に向かって選べる市立に入学できる生徒は
限られ散るでしょうしね、、、
余計なことをかんがえてしまったかな~~~??
思ったことは、、、日記に書いて、、忘れたころ
読み返して、、、自分探しを
すべきだと思った。
学費が唯というのも悪いとは言ってないが
続ける財力が、、、日本にあるのでしょうかね・
地域のお祭りや、、、旗日の行楽への児童の無料参加や
お習字、、絵画、、、彫刻、、、陶芸作品
石膏の「ふイぎゃ」の材料の無償化
金持ちの子。、、、、貧乏な子、、、で
こうした美術や芸術の材料が手に入らないことは
感性の豊かな年代に、、
わずかな、、美術製作費を
分配することで、、
才能が開花される児童も出てくるはずだと思うから、、、
漠然と授業料無料というよりも、、、
事細かに、、、参加して、展示に応募した段階で
材料費が返還されるという、、、
次の機会に応募できる
継続を可能にして、、
日本人の繊細な感性を育てて
世界の子供との交流の、、、手段にすることで
かけた予算が、、、別の形で回収できて
次につながるという、、、使い方をしないと
無差別に放出するほど、、、日本は
お金持ちの国とは思えないのですが???
心配するのは、、、老婆心でしょうかね?
野党の政権がかって、、
短期間あったおかげで
めちゃくちゃになった研究者も大勢いましたよね。
2番じゃダメなんですか!!!、、、大切な
最後の仕上げ段階の研究費を削られて、、、
がんセンターを去った先生も
本来なら
50周年で、、集大成の研究論文をまとめて
記念誌を出す予定だった原稿を
山のように、、、捨てたと、、、
さびしそうに言っていましたよね。
自分の開発した研究成果の特許権を
他国に譲って、、、
研究費を工面したこともあるそうですよね。
AIの時代になった今日、、、
研究者の頭脳を持った人たちが
AIに振り回されない視点を
持っているのとは
違いますかね??
AIを使いこなしてこそ、、、
平和への道しるべができるのではと思ったりしながら
グレードの上がってきた国会劇場を、観ながら
戦争に巻き込まれない、、、日本でありますよう
日本の役割が、、平和への道でありますよう、、
祈っています。
祖父が教えてくれたことは、、、80歳になっても
遠友を大切にしていたということです。
祖父は明治20年ぐらいの生まれだと思いますが
昭和陛下のことを、心より尊敬していました。
、、、国にかかわるご苦労を超えられて
人間では耐えられないようなご苦労を
お顔には出されないで
国民とともに、、、
敗戦を乗り越えられたことが
祖父には、戦後も、自分を甘やかさないで
年齢にも決して甘えず、、、かくしゃくとして
体を鍛えているのには、、、
びっくりさせられました。
おじいさんになっても,、、バク転もできました。
忍者のような身のこなしの、、ヨガだと言っていましたが
宙返りのようなこともしていました。
弟の顔を見ながら、、
戦後生まれた男の子に
凛とした日本の国の誇りが受け継がれて
親も、子育てに、日本人の誇りを感じて
アメリカに、追いつき、、追い越せ!!と、
アメリカに多くのことを学び、
アメリカの相棒になれる国になれと
幼い私に、、アメリカでの生活を
話して聞かせてくれました。
子供たちもアメリカを受け入れて
日本人の誇りを失うことなく、、、
全力で日本を取り戻すために
切磋琢磨できた時代の子が
祖父も、父母も、、、戦争の破壊を元に戻すのは
「団塊の世代の子であると、、、」
戦後の子育てに、親たちは国の未来を託す熱心さで
戦後を家族全員んで助け合って生きた時代を
、ばあちゃんは、、、心の中の宝だと思っています。
吉田首相は、、えらい政治家だったと思っています。
日本の幼さを認め、、、アメリカの次元の高さに
日本が国際的な、、グローバルな教育を受けらっることを
心から願ったに違いありませんよね。
ポツダム宣言を、、、おひとりの責任に於いて
調印されたと、、昭和の社会科の教科書には
写真入りで、、掲載されていました。
解きはなたれた国民は
手探りの価値観を求めて、、、
生き方を、、本能の向くままに
アメリカの文化を受け入れてゆきました。
ジャッズ、、、、モダンジャズ、、、、プレスリー
ハリウッド、、、アメリカンフットボール、、
そして、、、最も日米交流を現実化していったのは
「野球」ではないでしょうかね?
ベーブルースが日本に来られました!!!
決まりです!!
日本は野球を受け入れ、、
世界との交流が始められるきっかけとなった。
団塊の世代が、、アメリカに、、、
追いつき追い越せ !!!
もう、、日本人は12歳ではありませんでした。
それから、、、、団塊の世代の、、
息子や娘の時代が来ました。
バブルのはじけた、、、飽食の時代には
次の代には、、、無理だろうと
戦後の一瞬に限られた
大雪のような世代だったのだろう。
バブルのはじけた、、、戦後っこが
自分しか見えないような時代を謳歌しているだけに
上げ底の栄耀栄華に慣れてしまっている時代を生きてきた。
バブルのはじけた時代の若者には
命がけの
生き残りの時代を
体験する機会はなかったのだろう
団塊の世代の青年たちの、、、
国の立て直しのかかっているという、、、
日本阿国が一丸となって各自切磋琢磨して
生き残りにかけて勝負していた時代の若者とは
心のゆとりが違いすぎたのでしょうね。
どんな一瞬も、、、、
人は大きく
己は小さく、、、
学ぶ心の連続で
アメリカに追いつき、、追い越せと
切磋琢磨してきた時代の
団塊の世代に、、、もうすぐ、、、
老境の、最終幕がやってくる、
弟は、若き時代を背負う人たちに
どういう心構えで生きてゆくべきかを
話す機会が、あるらしく、
「自分に自信を持って、自分らしく
日々を送ればよいのではないか!」
答えは、自分自身の中に見出せる生き方をしてきた。
同じ母の胎内から生まれた、、、
姉の私は
弟のように、、、自分に素直に、いちずに
自分自身を、、ありのまま、、生きるという
根っこの部分に、、多くの人から愛される性格に
大きな差があった。
弟は、、両親からも、、兄弟からも愛された。
心が、愛情に満たされて、豊かに育つということは
自分に正直に生きられるということだと、、、
ありのままの心の思うままに
行動してきた心の光が
老いてゆく私たちの人生のぬくもりであり
団塊の世代の日本の若者たちが、
これから老の坂道に差し掛かる。
板
一生、、何をやってきたのか??
手塚治虫さんの、、、漫画に出てくるような
ツギハギの達磨を生きてしまった。
自分でも、、、
やらねばならないことが
あったような気がする
雪、、、雪は降る、、、自分は来なかった
何がなんやら、、、わからない、、、
雪かき人生を、、、過ごしてしまった。
ダンナさんという、、、一人の男性の支配下で
日本の女性たちは、、、家事という
便利屋の人生は、、、過ぎてゆくだろう。
チャットGPTを開発した
米オープンAIの開発に成功した
時代の会社が、、、日本の男尊女卑を
解決してゆくだろうと、、、思っている。
弟の存在で、、、心が守られて、、
80歳を超えることができたが
北海道の風土は天与の厳しさがあるだけに
男性でなければできない仕事が多い。
これからも、、解決することのないまま
日本の国土が必要とするのは
男性の力だと思えるのです。
北海道に住んで55年になりますが
北海道には東京の教育を受けたものには
独特の孤独がありますね、、、。
雪の風土は、、暗黙の仲間を結束させますからね。
幼稚園からの一貫教育の大学に、、、
大学受験で入学した生徒のように
一貫教育で進学した仲間たちは
大学デビューの友人を
阻害や、、仲間外れにしているわけではないのだが、、、
頭の良し悪し、、、人格の良しあし、、、お金の有り無し
そんな原因では計れない、、、
通じない感情が多いということです。
北海道の55年間は、、地域になじめなかった
一貫教育の大学からの入学者のように
心が通じないのです。
表面は、、何事もないのですが、、、
阻害もされていないのですが、、、
近所の奥さん方とも、、、屈託なく
対話ができているのですが、、、
私に、、興味を持ってくれた奥さん方が
訪問してくれても、、、
台所でお茶をご一緒するのがせいいぱいで
いろいろなイベントの無料券をくださっても
ほとんど、、一度も、、、行く機会がなくて、、
無駄にしてしまうのです。
野球も、、、夏になると、、、毎日誘われるのですが
TVで見ているほうが、、いいのですね。
マージャンや、、お茶に誘われても、、、
時間を作るという努力が起きてこないのです。
一人でTVを見ているほうが、、、いいんですね。
付き合いが悪いといわれますね。
家に来るといわれても、、、
忙しいと、、、断ってしまうのですよね。
家には、、主婦専用の部屋もなく、、
一回は全部、、ダンナさんが使っています。
二階も、、自分だけの部屋がないのですね。
嫁入りのとき、母がくれたドレッサーにも、、
ダンナさんの背広がぎっしりで、、、
手入れをしているだけで、、、
倉庫のようになってしまいます。
北海道の男性は、、みんながそうだとは言いませんが、、
日常生きるのに、、、
家内が万仕事の引受人という、、、
風土がそうさせるのでしょうね。
嫁入りのとき持ってきた、、女性用のゴルフは
一度も使うことのないまま、、、
実家には、
ゴルフクラブの会員権が10個以上あった環境だったので
北海道に嫁いだら、、、ゴルフをするつもりでした。
一度も、、ダンナさんと、コースに行ったことはありません。
生け花も、大学卒業までは 草月会館に
気楽に参加していましたが
生け花が、、、なんとなく、、気楽な気持ちでできなくて
自分勝手にできる、、
庭の野草を育てる趣味に
代わってゆきました。
日舞は、結婚と同時にやめてしまい、、、
母がくれたピアノも、、一切、、、
ふたを開けてもいませんし
調律もしないまま、、、ひっそりとあるだけです。
一人で、、雪をかきながら、、、時間が飛んでゆきました。
ダンナさんは、、
戦後の日本が全員、
貧困世帯だった時代に
学童期を過ごしているのですね。
太平洋戦争が始まった時に
家族が、、信州と群馬方面にに別れて疎開
合流できたのが戦後という、、、
芋の入ったおかゆをそそって、、、
生き抜いた時代の
日本人,、みな、、、全員貧乏人の時代に
多感な小学校時代を過ごしています。
クラスでは、、5歳若い私の時代にさえ、、
一家心中が頻発した時代です。
ひっそりと、、、静かに、、必要にして十分な
ボーダーラインの生活を強いられた時代に
育ったという、、、
根っこに、、、貧困の苦しさを忘れにという
動かしがたい、、節約の魂があり、、、
生きるためのことが先決という、、、
動かしがたい、、、
頑固な城塞の、、、世代の男たちですね。
この世代を、、男女同権にするというのは
およそ、、無理なので、、、
孫子の時代に、、北海道は
男尊女卑から、、、男女平等になるといいな~~と
願っています。
女性は、、男性の私物ではないという
認識ができるまでには、、
もう少しかかるのではないでしょうかね。
それだけに、、、、姉、弟の付き合いは
生涯を通して、、、私にとっては
癒された存在でしたね。
団塊の世代として、、
日本を復活させた時代の
男たちの一人に弟がいて、、
後期老齢者になる時代が来たことが
日本の行く先が見えなくなっています。
時代を受け入れ、、時代についてゆかねばと、、
日々、思いながらも、、、
TVで、、十分足りてしまうという、、、
老境の魔物に飲み込まれてゆくのかもしれません。
弟よ、、君だけは、、
後期老齢者の坂道を降りはじめないで、、
日本を復活させた団塊の世代のパワーで
健康な坂くだりを、、、楽しみながら
多くの友人知人とともに
謳歌しながら、、
次の世代のデジタル時代を受け入れて
次の世代のたくましい若者への
助言に、、日本の未来の方向に
光あれと、、、祈りながら、、
今まで、、おねえちゃんを支えてくれて
ありがとう、、、
男尊女卑の北海道で
ここまで来れたのは、、、気さくに話せる
兄弟愛が信じられたことが、、、
男たちの考えを受け入れて、
音たちが働きやすい環境づくりが
北海道で暮らす主婦の仕事だと、
割り切れて、、、仕事に居場所があったという
よそ見をしないで済んだことが、、、
君のアドバイスを受け入れたことから
時代の変化を受け入れられるまで
弟の長電話のおかげだったと、、、
認識できたのは、、
80歳を過ぎても、、、
放送大学を垣間見ながら
弟の言葉を理解しょううと
前向きな部分が、、確実にあったということだと
感謝している。
仕事と、、お仲間と、、自分に忠実な
旦那さんとの55年間は、、
背中合わせのサバイバル人生だっただけに
肉親のような、、垣根を取っ払った付き合いは
これから始まる、、、老老介護を通して
私が健康でさえあれば、、、
人生の相棒が 、、わがままな位置から
家内しか、、、いないという時代まで
孤独になってゆく過程で
本当の孤独は、、、友人がいないとか、、
仕事がないとか、、、
行くところがないということより
人生は「死」を卒業して、、、
初めて完成だと
わかっていても、、
「死の受容は、、、難しい、、、難問であるという。」
受け入れられないという、、、
老化と死、、、
いくつになっても、、
心の歳をとれない、、、迷える自分に
エントロピー
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます