草取りは、雨のあとにはルンルン気分で楽しめますね。
今日は、すっきりした庭と、雨上がりの早朝散歩で、
昨日の雨の中の庭仕事の成果を、
ちょっぴり満足しながら、、、
朝の
小さな庭を楽しんできました。
私と父は、たった19年間の植物を共通点として 熱き熱中仲間でした。
父のほうは、、仲間だなんて思っていなくても。
唯一、植物の質問に、大真面目に答えてくれるのは父だけでした。
父は、牧野博士のポケット図鑑を持っていて、
表紙は、硬い紙でできていたので、皺が入っていました。
暖流と寒流がぶつかる南紀の海には、、
見たこともないような、熱帯魚がいたり、、、
シャチに追われたのか????
クジラが浜に、、何頭も打ちあがっていたり、、、
潮の引いた後には浜の岩の間には、、、
美しいサンゴ礁にいるような魚がいたり
海中水族館は、ばあちゃんが子供のころに、あったんだよね、、、
息子が
学部の上級生進級できた時に、
親ができることは、、自立してゆく前に、南紀の素晴らしいところを見せたいと思いました。
三段壁、海中水族館、、、クジラの弁当、、、ホテルはシティホテルのビジネス宿だけれど
翌朝は、レンタカーを借りて、海岸線を走り、、橋杭岩で休みました。
時間の許す限り、、、海岸を散策しながら、、、
串本で、子供のころ聞いた、、伝説を話しながら、、、
本当は、、海の底だったのかな?なんて、、、思ったりしました。
南紀の先端から新宮に入り、、、
高級旅館のウラシマは、学生にはまだ、、未来のためにも
ㇲどうりしてしまいながら、、、
岩屋の中の温泉が気に入った殿様は、、帰るのを忘れたという話をしながら、
「卒業したら、、、また、、来れたらいいね!、、、その時は
ウラシマに泊まって、、、高野山まで行こうね、、、」
その日は、車を古座川に戻して、、、山間部の細い道が
いつの間にか、、バスが悠遊通れるバス道になっていました。
私が運転して、、、古座川をさかのぼり、、、
司馬遼太郎の「街道を行く」、、、?という作品でしたっけ?
「一枚岩」が紹介されてから、、、全国的に知られるようになりましたが
南紀に住んでいる人で、、、
一枚岩を知らない人は、、、
まず、、、県外から来た人でしょうね!?
ここは、、海の底だったのでしょうね、、、、
壮観ですよね、、、
一個の岩からできた山。
和歌山県の一枚岩!!
母はここで生まれたのでしょうね、、、
この岩を見て育ったから、、
祖父は27歳でアメリカに留学し、、、一枚岩の、、親のような岩山に出会った!!
エルカプタン、、ヨセミテに遭遇できて
アメリカの巨大な大地と、、、秘めたるエネルギーと
人間という、、地球上の
あまたの動物や昆虫、、微生物に至るまで
日本という、、島国で、、自治体の長のような家で生まれて、、
そのスケールの大きさの違いを感じたとき
祖父は、、唯一、、夜空を見上げて
アメリカから見る月と、
、日本から見る月とが、、同じに見えることに
これから頑張るという、、
活路を見出したのかもしれませんね。
戦争が始まってから、、日本に帰国した祖父は
天皇陛下を心から、、生きることの上で
世界のどの地点から見ても、、同じスケールで受け止めただろう
太陽や、、星や、月や宇宙や、、、
未知なる太陽系のエネルギーバランスや
想像をはるかに超える、、、宇宙の銀河系や
銀河系のさらなる向こうの世界のエネルギーバランスが
太陽光線のほかにも、、、未知なる星から
あまたの、、ガンマー線のような、、宇宙の光線を発しており
その光線は、、、動植物や、、鉱物に至るまでの
未知なる物質を構成する、、、元素、、、が命の元であるように
固定された元素以上に、、ミクロな世界から、、、マクロを超えて、、
人間が考えた単位の向こう側の世界が探知された今、、、
トイレの必要とする動植物より
トイレを必要としないロボットのほうが、、、マイナスを出さないと考えたとしたら
ロボットは、、機能不全になっても,、、粗大ごみとして、、あり続け
地球の自浄作用にゆだねるしかない、、、ガラクタの山がつみあがってゆくだろう。
限度をわきまえないと、、、
本当に地球は、処理できない粗大ごみの山となるかもしれません。
ばあちゃんが青春時代のころは、
英語を話せる日本人は、あまりいませんでしたね。
先ごろの女性は、、首相になり、、国を動かし、、、
キャリアウーマンとなり
国連などの仕事もこなしてゆきますよね。
男性の上下水道の引込線のような、、
あるいは水洗トイレ役のような、、、
子育ての衛星を守る役だった、、女性たち。
山のようなおむつを、、毎日洗っていたっけ、、、。
ところが、、今どきの女性は、、、結婚しない生き方、、、
子供を産まない生き方、、、
自己実現をテーマに生きる女性、、、
オリンピックでメダルを獲得した後
kっ怪議員になってゆく人、、、
男尊女卑も、、、私たち、、、ばあちゃんが寿命が尽きるように
日本人の女性は、、、男尊女卑という寿命にも、、さようなら、、かな?
北海道からも、、「やり投げ」で金メダルの女性が出ましたよね。
光源氏の時代の女生は、、、がんじがらめの着物を引きずって
男にしたがって生きて行きましたよね。
主婦はお断りという、、、たくましい生き方をしていらっしゃる。
世界で上位に位置する、、「男尊女卑の国ニッポン!!」
富士山、、美人画、、芸者、、、三島ジョロシュは、、、、の~~~~え~~
♩ 🎶 ♬~~♫ ~^~♪
日本の時代劇を見ていると、、、
女性は、、男性の便利屋に生まれてきたようですよね、、、
戦国時代が続いて、、、お山のてっぺんには城があり
武力によって統治しながら、、、
女性は兵士となる男の子を生むのが仕事だった歴史!?
島国という、、、世界からは隔絶された「海」という壁!
この壁を飛び越えた、、、ライト兄弟、、、
ヨーロッパの女性が男性たちの母のように、、、大切にされている。
トイレも、、下水も、、公共的な連帯で、、、パリは、、ナポレオンによって
疫病は閉じ込められていった。
しかし、、、モスクワまで進軍したナポレオンは
人が人を制するのだと信じて、、、セントヘレナに閉じ込められた。
すすめー~~!すすめ~~~!と言いながら、、、
フランスの英雄は時代とともに、、、消えていったのだろうか??
男たちの心のどこかに、、、ナポレオンのように
自己の中に英雄を夢見て
果てしなく、、、人間の世界の統治を目標に
ドンキホーテとなって、、、さまようのだろうか?
子供を産まなくなった、、社会現象、、、
結婚しない女性は、、、
自己実現という、、、
つかの間の
ダイヤの光に吸い込まれてゆく。
輝いている自分が好き?
男たちを対象に、、男たちから認められたって、、、
上等の水洗トイレになって、、、花を飾ってもらえるだけ?
結婚なんて、、、男と愛tの、、ごみ箱か。。。??? トイレの役?
女性の人生なんて、、、子供を産んで育てるという
男のやりたくない仕事を引き受ける上下水道になるよりも
金メダルとって、、、輝く人生に向かうでしょう、、、ね。
戦争をやめなと、、、貧しい人たちが増えてしまいます。
貧しい人たちは、、、自分を守るの日必死であり、、、
逃げて、、、逃げて、、、逃げる生活が
どのような人間群を作ってしまうと考えられますか?
もう、、、たたきはやめてほしい、、、
何を書きたかったのか、、、わからなくなった、、、?
おやすみなさい、、、明日推考するからね
火葬して埋葬して、、、無に近い形にはなりえない。
子供のころ、、、遠足で何回か来ました。
岩ノ前の淵には鯉もウグイも、、アユも はやも、、、居て、
遠足は、毎年同じ一枚岩までの、、、文字どうり、、、遠足でしたね。
このあたりの植物は、、、また、次の機会に。
植物が大好きな、、、生粋の東京っ子の父は
武蔵野の話もしてくれました。
和歌山県に疎開の間の父の仕事は
町長だった祖父が、戦後の国の方針にのっとり
山間部の部落や、教育の行き届きにくい僻地には
ラジオや電蓄や、電気を通すことによって、
地域以外の交流や、深夜作業や、、学税の勉強のためにも
アメリカに、、、追いつき、、追い越せという、、、日本魂の行き着くところは
転んでも立ち上がれ!!、、最後の一人まで、、、自立して、自分の考えを持てる教育を、、、と
軍部の考えに集中してしまった戦前の教育を、
グローバルな教育システムにすることで
敗戦した日本の才気にかけるという、、、
涙ぐましい、、、戦後の復興のための、、
エネルギー確保のダム建設と、
折からの洪水で、、、金色の稲穂の波が、、泥にまみれ
洪水の川の氾濫に流され、、、
村民は橋の上から家が流れて湯君を、、
どうすることもできずに、、、眺めていた時が重なって、
戦後の新政府が動いたのっでした。
幼かった私は小学校2年生か?3年生の時に
ダムの工事が完成したような記憶がありました。
教育大学の前身である青山師範卒の祖父は
和歌山では、、村落から、、通りから、、祖父の名字の名前ばかりという地区の
旧家の次男坊でした。大学に残り27歳で、アメリカに留学して
戦争が始まったことで、帰国したといういきさつだと、、、幼いころ生糸ことがあります。
兄弟親戚筋は串本の桟橋からそう遠くないところで、、、
薬局や、、クリニックを開業しており
子供のころは、、母に連れられて串本薬局に泊めてもらい、、、
夏休みなどは、串本の桟橋から、大島にわたる、、、巡航船に乗って
島を行き来するオッチャンらを、、見送りながら
自分も、、島に行ってみたいと、、、何度も思ったものでした。
桟橋の周りの海の水は澄明であり、、すぐ下の石になった海底からは
ウツボが半身を乗り出して、、、
蛇とも魚ともつかない黄色い体を揺らして、いました。
ここは~~~串本~~~
向かいは~~大島~~あ~
仲を(こんな?字?)かどうかわかりませんが、、
取り持つ,、ジュンコウ舟(せん)~~の~~
あら!、、ヨイショ~~!
ヨイショ~~~ヨイショ~~
桟橋の所で手を振りながら、、、オッチャン風の人たちが
手をたたきながら、、、
唄っていた光景をおンピ出しますね。
母と,、祖父に連れてきてもらった串本の海には
橋杭岩という、、、海の中に並んだチエスの駒のような岩が
海の真ん中まで行列をして並んで立っていました。
串本のおばあちゃんは、、、
弘法大師と、、岩を並べた「海坊主」の話を聞かせてくれました。
私が小学校2年か3年の時でした。
帰り道、、初めて「ソフトクリームを食べて、、、
こんなに、、、おいしい食べ物が、、、この世にあったのか!!?
初めてアメリカのお菓子を口にしたとき、、、
アメリカの かの国の力と知恵
敗戦の後は、アメリカのことを知ることを通して
日本を復興してゆかねばと、誰もが、、、ショボンとなりながらも
アメリカの優れたところは、、どんどん日本に入ってきて時代だった。
つづく、、
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