花鳥風月、、2023年からの第二の日記

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

2月19日が過ぎました、、、20日です

2023年02月20日 | 日記
今年は除雪車がこまめに入ってくれて、、、助かりました。

たった今、、、こんな夜に除雪車が入ってくれて
助かりました。

おかげで、これで、、除雪を切り上げて、、、爆睡できます。

先日は排雪してくれたおかげで、、路肩に雪を積みアゲテも
車が見えなくなるほど高くないので
学童の通学時にも、、、あんしんです。

やっぱし、、、市民の冬の雪の危険からの救助を開いてくれる除雪は

    市長選の時の、、多くの清き一票を集めると思いました。

私も、、、除雪、排雪してくれる時、、、

   「ありがとう❕!、、、市長さん!、、、て、、思いますものね!」

オリンピックだって、、、皆の血税を、、チョンボするような事が無ければ

    市民の国際感覚のひとまわり大きな認識の為にもなるし

   なんたって、、、スポーツは「肉体の鍛えられた究極の魅力がありますし、、」

 50輪で、、予算の管理をきちんとできるのなら

      オリンピックを誘致することで

    戦争の破壊の空しい戦いを、、スポーツの競い合いにおいて

     平和を訴える力が、、、五輪には、、、アルトは思いますが、、、

    外国に、、札幌市の土地を売ってしまったり、、、

   五輪が純粋の目的から、、利用されるのは、、、

     市民として反対ですね。

   私は、、、世界史と政治学は、、、低空飛行の知的レベルなので
     政治の難しさを知っている人からすれば

    おっ母ちゃんの「好きなこと言ってるよ!!、、、バ~~~か!」、、て

   「相棒の亀山さんのように、、、イタミ刑事から罵倒されそうですが???」

      お構いなしに、、思っていることを言うならば

    スキージャンプの感動が、、今も思い出されます。

     五輪👊、、いいですよね!!

     でもね、、経済危機の時は、、、
     除雪と市民の最低生活保障の方が
       姿勢の義務ですよね。

   coronaも5類になり、、、お金持ちしか予防注射を受けなくなると

    感染拡大にならない様に

   各人で、ケースバイケースの、、、ウィルス対策をして

    coronaの閉じ籠りの副作用????モドキの「梅毒」が流行っていますが

   これは、、花柳界の人が、保健所👊タイアップして
    検診をきちんとすれば、、、
かなりの割合で防げるという
過去の実績がありますから

耐性菌のできる抗生剤の使い方を徹底させて
  市が指導すれば、抗生剤が効力があるはずですから

    青年層に蔓延する前に、、
   政治指導で、、、性病指導の注意点を広報するとか
親でも、、青年になってゆく我が子に言えない部分を

   学門指導のように,、堂々と
    感染原因のパターンや、、感染経路、、、病原菌や

    派生する病気の原因のウイルスや、
          ガッペ尾する子tの怖さなど

   知識として、、広報誌に載せても、、
市民は自衛の役に立つのではないでしょうか~~~ね。
   何とかならないものでしょうか?

日記帳に、、独り言を書いています、

  昭和40年、、父を亡くしたのは20歳になる前の2月でした。

    寂しかった、、、

   弟にメールをした。、、、げんき?

  高校生の時に父を亡くして、、、一番寂しかった末っ子の弟は
折り返し電話をくれた。

   思い出話が次から次に、、、
姉と弟の青春時代であるはずの時期に
父の急逝はショックだっただけに、、、

こうして、、二人とも生き残って、、、家庭もつくって

弟は、、CTの黎明期に、、戦後の団塊の世代の一人として

医学の分野で、、日本のCT検診の画像の改革や
         画像診断、、MRI, へりかるCTと

   数々の賞を戴いた医学への貢献を出来た人生であることを振り返り

 父が残した物の、、、大きな遺産は、、弟が医学者として

命短かった父の代わりに、、、社会に貢献したことだったと思いました。

15冊の森山紀之紙の本、、、というネット販売の本屋さんで

    私は、、、いつかこの本を全部買い取りたいと、、、

      500円だま貯金をしています。

  500円玉を入れるたびに、、、

    お父さんに話しかけています。
   
   54歳という若さで、、、これから社会貢献の円熟期に

    死んでしまったお父さんにかわって、、、

    国立一期校の医師となり、、国立がんセンターの黎明期に

  日本中が「がんにかかったら、、、入院と死を待つ人生」だった時代から

  CTって何ですか??と、、、ほとんどの人が知らなかったCTの画像を

   幽霊のようにぼやけた画像から、、、

   日本中の医師の求める画像の映し出しに成功するという

   医師と、東芝の技術陣と、、、
時の都庁のトップのダイナミックな
  がんセンター設立の構想と、、、

   千葉大学の市川平三郎先生の、、、研究と臨床の両輪の画像診断が

   過去の一次元のレントゲン写真を、回転するレントゲンで
  二重造影をすることにより

「がんを立体的に映し出せる時代になりました。」

   そのころ、戦後の疎開先の町立病院から生まれ故郷の東京に戻れて父は

  「がんセンター」という、、医師にとっては、、基礎と臨床の一緒に出来る

    検診研究センターが出来るから、、、と

   青年のように興奮していました。

   医師になったばかりの兄は、、、医局に残らないで

    当時、、憧れの医師のだった、、内視鏡の崎田先生のもとに
   無窮研究生として受け入れていただき

   胃カメラの指導医を許された時、、、

    父の後の開業を閉院して、、、
   アメリカナイズされていた、、千葉の亀田病院麻勤務医として
  再出発してゆきました、

   弟はその後、、、千葉大を卒業して、、、
   市川平三郎先生と出会い、、、
   外科の医局の教授の許しを得て

    市川先生のもとに画像研究の人生をスタートさせました。

    54歳で、、、2月19日、、、前の日に患者さんを診察しているのに

       早朝,、、逝ってしまった父でした。

    弟と、、、手を握ったら、、、未だ、、あたたかかったね、、、

   「あた高かった、、、忘れない、、、」

     思い出話で、、、何時間も話していた。

    静かで、、穏やかで、、、いつも、人に慕われていた父の最後は

    昨日のように、、、忘れない。

    がんセンターが、、、50周年を迎えるとき

     東北の方から、、、世代交代させるような、、大きな嵐がおきたようだ。

    ビジョンでひたむきに画像診断に取り組んでいた弟も

      定年でがんセンターを卒業して、、、多くの著書が残っている。

     叔父さんを尊敬して「画像診断の道に進んだ次男は、、、一応博士にはなったが、、」

     純粋に臨床診断医の道に進んだ。

     学生時代、、片山先生が学長先生の頃

     医学生の息子は
     「画像診断は、、叔父さんの本が教本さ!」と、、

     がんセンターに、叔父さんを一緒に訪問したことがあった。

     卒業後は、がどう診断医として臨床医の道を選び
      臨床で「博士具を取得した。」

     「叔父さんは、、画像診断の社会では、、、トップだよ!、、
       誰も真似のできない実績を残したよ、、、:」

       同じ道を行ったとはいえ、、、

      弟は日本のCTの診断のパイオニアであるから、、、

      多くの社会の要人の画像を,指名されて診断している実勢には、、、敬意をはらう。

      同じ母の胎内から産まれた私は、、、提灯の軽さも無いかもしれない。

      でも、、不思議な事に、、、姉と弟なのであり、、、

      何時間も話しては、、、思い出話に、、、感慨無量な事が多い。

       兄弟っていいものである。

       私が読んでも、、内容は判らないが、、、

      ネットには「森山紀之,、紙の本」、、、15冊の本が出てくる。

       10万もあれば、、ほとんどの本がかえる。

        北海道と、、東京都別れ別れの人生だったが、、、

       マスコミにもよく出ていた弟は、、、子供の時と変わらない弟で、

      折につけては電話をくれる。

     

     「日本緒女性の優秀さを話しながら、、、男性社会の日本も

        女性の進出が始まっているから。。。

           お姉ちゃんの時代は、、、女性は

             本当に、、恵まれなかったけど、、、
               これからは違うと思うよ、、、」

     弟の話を聴いていると、、、心がお軽くなる。

    地域社会でよそ者として、、生活を始めたことが

    家内に徹してしまった人生だったけれど。

     差別なしに、、、対等に話してくれる弟が居てくれたおかげで

     頭脳は歳をとることも、、、呆けることも無く、、、

     同じ画像診断医の道を進んだ「息子の為に、、も、」

     画像診断では黎明期の時代から
       ヘリカルCTに、、さらに、、
          オンラインの時代へと

          弟は、、ワツィと次元の違う社会を生きて行く。

     弟の知人でもある「銭形平次の欣也ちゃんのカレンダー」

         弟経由で手に入ったので、、、大切にしている。

        親子鷹の映画を、、、南紀の疎開先の映画館で観て以来

          大のフアンになって、、、真野さんのおかみさんも含めて

           わつぃににとったら、、、最も心の親しんだは良い雄さんと女優さんです。
      弟は、、じかに、、欣也ちゃんと話したことがあるというから、、、

         最高でしょう!!と言ったら、、、

           「もらったカレンダーがあるから,、あげようか?」

        イイの?貰っても?…と言ったら、、、贈ってきてくれて

          年月が過ぎても、、、大切に保管してある。

       私の人生は、、雪を掻いて、、、終わりそうだが、、、

        みんなのおかげで、、、時代にも、、何とかついて行けるし、、、

       一人で生きてるつもりなのに、、、

        実に多くの人の助け舟に乗っていることを、、、

        父の命日に成ると、、、毎年、、弟との、、長電をを通して、、痛感する。

     君のおかげで、、いつも新しいニュースが入り、、、
       いつも、、訳のワカラナイ不思議な力を感じて
         頑張って来られた、、、雪掻きおばあさんの姉ですが、、、

       人生は、、北海道のとざされた地区に居ながら、、、

         いつも羽根が生えていたよ、、、

         愛してくれる人は、、、家族兄妹が居れば、、、
      人は頑張れるということかもしれないね。  

      いつの日か、、弟の本を、、15冊、、、買っておこうと、、、

      生きて行く楽しみも増えた。

     お父さんは、、、多くの事を残してくれた。
        ありがとう、、、

         タイヘンだったけれど、、、息子を医療の世界が必要としてくれる

        国家免許を取得させるまで、ハッチャ気になって、、がんばっておいてよかった。

     coronaで3年間、、、缶詰になっているけど、、、

  父の命日に、、、弟と、、、来し方の想い出を話せて、、、

     お父さんが、、生きていると、、、思いました。

        


        

       

      

最新の画像もっと見る

コメントを投稿