南紀の山奥にアメリカから帰って来た祖父と
祖父のお兄さんの奥さんであった、、、玉お婆ちゃんが
第二次世界大戦の直前に、
カリフォルニアから帰国していました、
小高い丘に向かう途中の坂道に
西洋館を建てて住んでいました。
世界大戦になる直前に帰国したのだと思いました。
南紀の串本のは、祖父の親戚が結構多く住んでいて
女医さんになって、、、
大卒の旦那さんが医院の庶務全般をこなし
昼時になると、女医さんは戻ってきて
昼食をすると、昼寝に自室に戻ってゆきました。
私は、叔父さんと話をする機会があり、、
串本の向かいの島は「大島」で
巡航船が出るかラ、、大島に渡ってみるかい?。
日曜日と。水曜日は暇だから
桟橋に釣に行こう、、とか
祖父には親しい親戚がいっぱいいました。
確かな記憶だと、、串本の潮岬だったと思うのですが
複葉飛行機だったと記憶しているのですが
刈り込んだ
芝の広場の真ん中に
置いてあったように思っています。
私は
小学校、、中学校、、高等学校、、、大学校、、と
12巻の東京生活を過ごしました。
母の老後の為に、、苦労して、、やっと実家の近くの病院に
たどり着いて、、
仕事と老後の母と両方の義務が果たせると、、、
私的には「大成功!!」と思っていたのですが、、、
、、
時代の考えだったのかもしれません。
「医師をすること」は 、、もしかしたら
医師になるより難しい
女、子供、、家内,には見えない医療界の社会が有り、、、
国会図書館などに、、、論文は保存されるのかもしれません。
結局、、、女性の私は、、、
子供を産み育てて、、、
孫が出来て、、、
気が付いたときは、、、人生も終盤戦で
子育てが済んだら、、、、
あと何年か後には
一つの道に生きた人は、、、
家内以外は、、手に負えないのではなかろうかと、、、
北海道に来ると、、、医師の奥さんというのは、、、
お金持ちに入るらしい、、、
そのあたりから、、、
誤解の上に誤解が重なり、、、
人と付き合うのが,、、おおくうになった。
弟が「お姉ちゃんい喜んで読んでもらえる本を書いたョ」
「がん」になっても、、
心が幸せに毎日を過ごしている患者さんの記録など
「しあわせな「がん」患者」、、という手帳大の読み物だった。
「がん」の患者さんでも、、、
考えようでは、、幸せに暮らせる。
町内会にも、、coronaの流行中は「顔」を出さない
「地域に貢献する開業医の先生の奥さん」は
まさに、、夫唱婦随で背中合わせに、
地域貢献をされているでしょうが
英語には,敬語や、
難解な事が少なくて、
近所の奥さんで、、、
毎日、、サンダルでやってくる人は居ましたが
聞き役、、、良い所があれば、、褒め役
浅い付き合いなら、、得意なのだけれど、、、
本質的には、、、
人とかかわるのが、、、
休まらないという、、
結婚してからは、人を避けるようになりましたね、、、。
人生を振り返り、、、時間も、金銭も
余裕がないと、、、人が来るのは、、、
楽しめないものかもしれませんね。
北海道の生活は、、、
時間貧乏だった50年でしたね。
12月から3月中ごろまでは
昼夜を問わず、、、雪掻きだけの生活と
リュックを背負っての買い物で過ぎて行く。
重労働であったと、、、振り返る。
80歳過ぎたら、、仕事はしない!!
楽しい時間をつくります。
老老介護でね!!(^^!
毎日、、弁当を予約するとか、、、
体力に合わせて、、、さぼる。。。
楽しい時間を増やすことを夢見ながら、、、
過ぎ去った、、優しかった友人たちに
もう一度会いたい、、、
北海道はクマが居るので、、、
山野を歩く事は無くなってしまった。
サロマ湖あたりは素敵な景色に癒されますね、、、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/e2/2da92d90fbc7054d3c80fadf4b010162.jpg)
祖父のお兄さんの奥さんであった、、、玉お婆ちゃんが
第二次世界大戦の直前に、
カリフォルニアから帰国していました、
小高い丘に向かう途中の坂道に
西洋館を建てて住んでいました。
世界大戦になる直前に帰国したのだと思いました。
南紀の串本のは、祖父の親戚が結構多く住んでいて
女医さんになって、、、
大卒の旦那さんが医院の庶務全般をこなし
昼時になると、女医さんは戻ってきて
昼食をすると、昼寝に自室に戻ってゆきました。
私は、叔父さんと話をする機会があり、、
串本の向かいの島は「大島」で
巡航船が出るかラ、、大島に渡ってみるかい?。
日曜日と。水曜日は暇だから
桟橋に釣に行こう、、とか
祖父には親しい親戚がいっぱいいました。
確かな記憶だと、、串本の潮岬だったと思うのですが
複葉飛行機だったと記憶しているのですが
刈り込んだ
芝の広場の真ん中に
置いてあったように思っています。
私は
小学校、、中学校、、高等学校、、、大学校、、と
12巻の東京生活を過ごしました。
母の老後の為に、、苦労して、、やっと実家の近くの病院に
たどり着いて、、
仕事と老後の母と両方の義務が果たせると、、、
私的には「大成功!!」と思っていたのですが、、、
、、
時代の考えだったのかもしれません。
「医師をすること」は 、、もしかしたら
医師になるより難しい
女、子供、、家内,には見えない医療界の社会が有り、、、
国会図書館などに、、、論文は保存されるのかもしれません。
結局、、、女性の私は、、、
子供を産み育てて、、、
孫が出来て、、、
気が付いたときは、、、人生も終盤戦で
子育てが済んだら、、、、
あと何年か後には
一つの道に生きた人は、、、
家内以外は、、手に負えないのではなかろうかと、、、
北海道に来ると、、、医師の奥さんというのは、、、
お金持ちに入るらしい、、、
そのあたりから、、、
誤解の上に誤解が重なり、、、
人と付き合うのが,、、おおくうになった。
弟が「お姉ちゃんい喜んで読んでもらえる本を書いたョ」
「がん」になっても、、
心が幸せに毎日を過ごしている患者さんの記録など
「しあわせな「がん」患者」、、という手帳大の読み物だった。
「がん」の患者さんでも、、、
考えようでは、、幸せに暮らせる。
町内会にも、、coronaの流行中は「顔」を出さない
「地域に貢献する開業医の先生の奥さん」は
まさに、、夫唱婦随で背中合わせに、
地域貢献をされているでしょうが
英語には,敬語や、
難解な事が少なくて、
近所の奥さんで、、、
毎日、、サンダルでやってくる人は居ましたが
聞き役、、、良い所があれば、、褒め役
浅い付き合いなら、、得意なのだけれど、、、
本質的には、、、
人とかかわるのが、、、
休まらないという、、
結婚してからは、人を避けるようになりましたね、、、。
人生を振り返り、、、時間も、金銭も
余裕がないと、、、人が来るのは、、、
楽しめないものかもしれませんね。
北海道の生活は、、、
時間貧乏だった50年でしたね。
12月から3月中ごろまでは
昼夜を問わず、、、雪掻きだけの生活と
リュックを背負っての買い物で過ぎて行く。
重労働であったと、、、振り返る。
80歳過ぎたら、、仕事はしない!!
楽しい時間をつくります。
老老介護でね!!(^^!
毎日、、弁当を予約するとか、、、
体力に合わせて、、、さぼる。。。
楽しい時間を増やすことを夢見ながら、、、
過ぎ去った、、優しかった友人たちに
もう一度会いたい、、、
北海道はクマが居るので、、、
山野を歩く事は無くなってしまった。
サロマ湖あたりは素敵な景色に癒されますね、、、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/e2/2da92d90fbc7054d3c80fadf4b010162.jpg)
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