花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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心の貧乏にならない為の、、日本文化で暮らしたおかげ?

2022年09月29日 | 日記
今回の、、阿部首相の国葬で、
  吉田首相の時も
    時の内閣が、、その必要性を説いて

  戦後の日本の、、、一番難しい時期の首相をされた
    吉田茂首相を、、、

       戦後、、定義の変わった、、、
        国葬第一番目の、日本の国民の感謝の国葬がされて

          戦後の、もっとも不安定な時代の政治が
           国民に受け入れられていったと、、、

  祖父から聞きました。
    昭和の年前後の事ですから

      当時の日本を、、記憶を辿って、、、

         言葉の羅列で、、、それぞれの心で受け取って、、、

        よくぞ、、日本は78年もの間、、、バランスをとってきたと
ふり返る時、、、団塊の世代という、、
     戦後の復興の為に、、、生れてきたような

       切磋琢磨、、、貧乏に耐えて、、精進あるのみの
   弟たちの世代が、、頑張ってくれたから、、、
今日の日本は、、、何とか、、、

   板子一枚下地獄¿??かもしれない、、、鉄板の上で

  日夜、、それぞれが頑張ってきた78年間だったと思います。

阿部首相は、吉田首相の国葬と同じ経路で、、、
   その時の、首相が、、、
その時点での世界情勢の中の日本という位置をわきまえ

   あらゆる方向から、、、世界の中の日本は、
    日本の役割の為にも、

    、、、時の 首相が強く推すことで、、、
   吉田首相の国葬が、、、新しい定義とともに
     第一番目の国葬であったと、、、社会科でも教わりました。

  私の過ごした、、、78年間の日本で

     世界に通じる日本の、、、日本らしいという

       思い出の言葉を書いてみましょう、、、
  阿部首相が、、生れる前に

    私の祖父は、、、南紀の海から
      3ヶ月もかかって、、、アメリカに行きました。

   目次の中頃に生れた祖父は
     南紀の旧家に生まれ、これからの日本は
      アメリカを知らないでは済まないという

       教育者でした。

    筑波大学の前身にあたる、、師範学校を卒業して

      日本人町をつくるカリフォルニアの砂漠で

      緑地帯をつくる、、、日本人と出会った時から

       鎖国の300年間
   明治維新の日本、、、

     田原坂の戦いで、、侍は、、死んでいった。

      見事に武士として、、、刀で切り合って
      西郷さんは、、日本の侍を連れて
      宇宙の果てに旅だった。
       時代にはついて行けないかもしれないが
        封建社会の教えを守り、、、誇りを持って
          武士として、、此処で死ぬなら本望だったKもしれない、、、?
       人々の記憶と言う宇宙を、、西郷さんは
        日本の侍と、旅をしているだろう、、、か?
  
   志し半ばで、、、太平洋戦争の色濃く
     日本に、還らざるを得ないアメリカ事情の中で
         日本に帰国した祖父は、
         頼まれ町長、、、頼まれ校長、、、頼まれ村長
    南紀の町と、熊野の山中の山村を
      行ったり来たりしていた。
       戦後の電気の無い山村に、ダムをつくるというので
      国会議員の方も、来られていた、、、山村だった。

   アメリカで描いたという、、、ゴールデンゲイトブリッジの
                 (金門橋)
     油絵を、南紀の山奥の、、
      、洋館立ての自宅の玄関に飾ってあった。

    アメリカを知らねば、、、と、
     思ったから、、、渡米したと言っていた。


                 つづく

    終戦まじかに、、軍医は帰国を許された。
    玉砕に継ぐ、、、玉砕で、、、
    戦地までの送迎のバスが来なくなったそうです。

    国会議員さんが出入りしていた山村は
    疎開者と、ダムの関係者で
     にわか銀座になった。

     サトウキビ、、、トウモロコシ、、サツマイモ,、
     米、小麦、、、

    熊野詣の山道や、、材木を切りだす「ソリ道」のある町に

    何千人もの、、新人類が集まった。

此処からは、、幼かった私には、、
   、戦後の大人の気持がわからないので

       「日本語の単語」で、、、
          記憶の糸を辿って、、、
     、、、羅列してみます、、、

それぞれの人が、、それぞれの想いで記憶している
     戦後の日本から、、、はじめましょう、、、


   
    山河、、、鮎、、、ウナギ、、、祭り、、田植え  稲刈り

    竹藪隣の芝居小屋  
         田舎芝居、、、日輪という映画(片岡知恵蔵。月形龍之介)

    パチンコ屋、、大きな音で、、演歌が聴こえた
       バタやん、、、岡晴夫、、、法善寺横丁、、、包丁一本
       楠本製パン所、、、、わだ店の雑貨、、、

 ゴールデンゲイとの様な,、、ミニ、、ミニ,、の
 アメリカスタイルのつり橋、、、
 ワシントン大学卒業のお兄ちゃんが、、、
  切手を売っていた郵便局

  進駐軍が、、ジープでやってきて
   チューインガムを配っていた。

  ㋖の自転車、、婦人用の自転車、、

  自転車屋さん、、、加治屋さん、、、
  文房具屋さん、、、食堂、、、

  坂道の下の、、、食料や野菜、、お菓子の店
  農協組合、、、精米所

  糠を買ってきて、、、野菜を漬けた。

  毎日かき混ぜる糠味噌漬けの樽。

  大きなカボチャが成った、、、我が家の菜園

   昼顔が咲いて、、、ソーメンがつくれた。

  茶の樹、、、びっくりぐみの木、、
 
 柿の木
 (コザト、、、という柿は霜降りが一杯で甘かった)

  キンモクセイと、ヤマモモの樹が有った。

 キンモクセイの薫り高い強い香りの中で
  灰色の、、大きな、、ネズミ捕りヘビ、、が
   枝に化けて、、、獲物を狙っていた。

  ジョロ蜘蛛、、、いな蜘蛛、、手長蜘蛛、、

  弟は,蜘蛛を、山から掻きとってきては
   木製の壁に,、ハワしていて
   楕円の黄色い卵からは
   蟻んこのような、、、子蜘蛛が、、一杯になっていた。


      

                  つづく

洗濯干して、、朝ご飯食べたら、、休みが有るので、、続きはまたね!

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