2016年(平成28年)1月3日 私たちは、昼過ぎに南大阪にある自宅を出発し、熊野三山と伊勢神宮への初詣に向かう。
南大阪の自宅からは、犬鳴温泉経由の曲がりくねった粉川街道を走行し、和歌山県の紀ノ川ICに30分ほどで到着する。
紀ノ川ICからは、整備が進められている京奈和自動車道(和歌山→奈良→京都までの延長120km)に入り、奈良方面に走行すると、30分ほどで奈良県の五条ICに到着する。
そこから国道168号に入り、五条市内から吉野川を渡って行くと山岳道路に入って行く。
トンネルや急こう配の坂道やカーブの多い道路で、登り切った所に下記写の道の駅「吉野路大塔」がある。
国道168号道の駅 「吉野路大塔」から・・・奈良方面を望む
道の駅「吉野路大塔」で小休憩した後、再び出発すると、今度は下り坂の急こう配や急カーブが続いていく。
さらに走行するとダム湖があり、愛車は湖畔にできた狭い道路に入って行く。
道路の対岸では、新しい道路工事が至る所で進められている。
そのまま狭い道路を進んで行くと日本一面積の広い十津川村に入って行く。
道路は相変わらず狭く、対向車が来るたびに、道路幅の広い場所を見つけ、対向車を通過さしてから走行して行く。
この道路では、常に対向車を意識して運転する必要性がある。
特にカーブの手前やトンネルの手前では、対向車を意識していないと、狭い場所では対向車と鉢合わせになり、
どちらかの車がバックしなければならず、無駄な時間がかかってしまう。
道が狭い割には通行量も多い。
正月休暇の為か大型車の通行はなく、ほとんどがマイカーで大きな渋滞はなくスムーズに流れている。
この国道168号は、国道169号と共に、紀伊半島を南北に縦断する幹線道路で、京阪神から多くのレジャー客が訪れる地域でもある。
土津川村中心部を過ぎてしばらくすると奈良県から和歌山県に入り、熊野本宮大社のある本宮町に到着する。
今日は本宮町にある小さな食料品店で、夕食の買い物をして、近くにある道の駅 「奥熊野古道ほんぐう」 で車中泊する予定である。
車中泊した道の駅「奥熊野古道ほんぐう」
1月4日(月)晴れ 1月にしては暖かい朝である。道の駅の周りには朝もやがかかり、遠くを見渡すことができない。
出発の準備を整え、簡単な朝食をすますと、直ぐに出発する。
10分弱で熊野本宮大社に到着、駐車場も朝早いせいか車は少ない。
駐車場を出ると、妻と二人ゆっくりと熊野本宮大社参道に向かって行く。
熊野三山の中心的な存在の熊野本宮大社の入り口
左側には、八咫烏(やたがらす)が描かれた幟が立ち、熊野本宮大社の大鳥居と杉木立の参道が、本殿に向かって真っすぐにのびている。
ここは、2004年に「紀伊山地の霊場と参拝道」として世界遺産に登録されている。
紀伊山地は、自然信仰に発する日本人の宗教心を育んだ原郷でもある。
蜿蜒(えんえん)と連なる峰々、巨木や奇岩を抱えて生い茂る深い森、渓谷を走り瀑を懸けて、大小の川を作りながら海に注ぎ、天空が一体化するような海原を形成している。
ここは、熊野三山と呼ばれる自然環境から生まれた聖地で、伝統的な信仰を積み重ね、伽藍や墓所、修行の場を併せ持っている場所でもある。
熊野三山は、熊野川を遡上した所にある「本宮(ほんぐう)大社」、熊野川河口近くの「速玉(はやたま)大社」と、
滝をご神体とする「那智大社」が、熊野灘に注ぐ那智川流域にあり、 これらの3つの神社をまとめた呼称である。
熊野本宮大社では、熊野三山の三神に共通する神を祀っている、熊野三山の中心的存在で、日本全国3000を越える熊野神社の総本社である。
本宮大社は「家都美御子神(けつみみこのかみ)=阿弥陀如来」、速玉大社は「速玉大神=薬師如来」、那智大社は「夫須美神(ふすみのかみ)=千手観音」をお祀りしている。
平安時代から鎌倉時代にかけては、皇族や貴族などの「熊野詣」が大流行し、
後白河院 {1122~1192年=第77代天皇、即位の翌年、保元の乱が起こり、譲位して法皇となって院政をしき、広大な荘園を所領した。
梁塵秘抄(りょうじんひしょう=平安時代末期の歌謡集、後白河法皇編、当時流行していた今様(いまよう)が集められている)を著したといわれる} の参詣は34回に及んでいる。
それに伴い熊野街道が発達し、各地から熊野への道も発展していった。
日本各地へも熊野信仰が広がり、一般民衆の間でも熊野は「日本第一霊験所」として考えられ、「蟻の熊野詣」と言われるほど盛んになっている。
その昔、熊野三山を参詣する人々は、必ず山を登り、川を越え、森を抜け、太陽を拝し、水に感謝することになる。
これを体得することによって、霊験あらたかになるといわれている。
熊野に行くには中辺路(なかへち)・小辺路・伊勢路などのルートが開発されていたが、どのルートから来ても、最初に参詣するのが熊野本宮大社であった。
熊野本宮大社に掲げられた年頭あいさつ
1月4日で朝早いせいか、参拝する人はまばらで、境内には、神社独特の静寂な雰囲気が漂っている。
私たちは、杉の木の大木に覆われた参道をゆっくりと本殿に向かって進んで行く。
しばらく進むと真っすぐな158段の石段が、 両脇に杉木立を並べ本殿に向かってのびている。
石段を登り切ると、謹賀新年のあいさつ文と、本年を一文字で表した「気」が掲げられている。
2016年(平成28年)の一文字の「気」 = 「元気」・「やる気」・「強気」・「気迫」
しばらく、気の文字と説明文を見ていると、「なるほど」と思えてくる。
何事も「気」をなくせば、そこから先は、惰性、マンネリ、病気などが蔓延してくるように感じる。
逆に、「気」を しっかりと持てば、前向き、希望、夢、健康など明るい未来が見えてくる。
私たちにとって、すべての第一歩は、この「気」を どのようにもつのか! にかかっている。
かつて、経営の神様と言われた 松下幸之助は、著書の中で、
「青春とは心の若さである。
夢と希望に満ち溢れて、生活しているかぎり、
青春は永遠にあなたのものです。」
このようなことが書かれていたことが思い出されてくる。
参拝者が少ないためにか、巫女たちがいつものような厳粛なふるまいではなく、女子高校生のような戯れている姿があった。
この厳かな門をくぐると熊野本宮大社の本殿の境内である。 参拝を前に自然と身が引き締まってくる。
朝もやがかかっている熊野本宮大社本殿、趣のある社殿が立ち並び、私たちは左側の相殿から第一殿へ、さらに第二殿、第三殿、第4殿へと順次参拝する。
熊野造りの社殿が堂々と立ち並び重要文化財に指定されている熊野本宮大社、年間を通して多くの人たちが訪れる。
熊野造りと言われる建築様式で建てられている熊野本宮大社、多くの参拝者が訪れる熊野信仰の総本宮で家津美御子大神(けつみみこのかみ)を祀っている。
朝もやが立ち込める静寂な雰囲気のなか、心静かに熊野本宮大社に参拝する人たち。
熊野本宮大社は、本宮大社の家津美御子大神、那智大社の夫須美神、速玉大社の速玉大神の三神を共通の神として祀る熊野三山の中心的存在で、
日本全国3000を超える熊野神社の総本社である。
熊野本宮大社の参拝をすました私たちは、駐車場に隣接する、コーヒーショップで軽い朝食をすまして、那智大社に向かって行く。
急斜面に造られた那智大社、本殿にはこのような急斜面の階段を息を弾ませながら、ゆっくりと登って行かなくてはならない。
何度も訪れている那智大社であるが、何度訪れても安らぎを感じさしてくれる那智山。
急斜面に建てられた伽藍や参道の石段、奥深い森から流れ落ちる大きな滝と三重塔など、
ここでしか味わえない大きなポイントが幾つかあり、その一つ一つが、心に安らぎを感じさしてくれる!
古の世界で上皇や多くの人たちが訪れた信仰の深さが伝わってきそうである。
那智山は、平安末期から鎌倉時代、現生浄土を求めて多くの参拝者が訪れた熊野信仰の聖地である。
一年中を通じて多くの人たちが訪れる那智大社本殿
熊野那智大社の境内から社殿を観る。江戸時代に大改修された権現造りの社殿で、日本で最初の女神、夫須美大神を主神に12柱の神々を祀っている。
那智大社に掲げられている本年の干支 丙申
那智大社で参拝をすました後、隣にある那智山青岸渡寺(西国観音霊場第一札所)にも参拝する。
那智の滝と三重の塔ををバックに記念の撮影、何度来てもこの場所で撮影する。
私たちは、写真撮影をしながら、三重の塔方面に下って行く。ここからの景色は、三重の塔と滝が一体となった、那智山を代表する風景である。
滝と三重塔とが写ることによって、趣きを益し、那智山を代表する風景になっている。
写真などでこの風景が紹介される旅に 「一度は行ってみたい」 と思わすような! 人々に強い印象を与えているように感じる。
代表的な風景の三重塔と那智の滝 本殿から那智の滝への 石段の参道 古の歴史を感じさしてくれる。
三重塔の前を通り過ぎて滝方面に下って行くと、写真のような杉の木の大木に包まれた石段の古道があり、
数百年前に熊野詣で訪れた、古の雰囲気をそのまま伝えている。
大木が生い茂る参拝道をさらに下って行くと、滝に直結する道幅の広い参拝道に出てくる。
豪快に流下する滝の爆音が大きく聞こえている。
滝の前には広場があり、多くの参拝者や、外国から来た観光客で賑わいをみせている。
滝前の写真スポットでは、訪れた人たちが順次交代するような形で記念撮影をしている。
石段の参道と那智の滝、ここでは滝そのものがご神体であり、滝に向かって鳥居が建ち、参拝できるような施設も造られている。
那智山一帯が、滝に対する自然信仰の聖地であり、滝が飛瀧神社のご神体である。
私たちも、この場所から滝に向かって参拝をする。
那智の滝、落差133mの日本一の滝で、華厳の滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられている。
那智山の参拝と観光を終えた後、私たちは、駐車場に戻り、新宮市内にある、速玉大社に向かって行く。
時間もお昼回っていることから、新宮市内のレストランで昼食を摂ることにした。
昼食をすました後、愛車で10分ぐらいの距離にある速玉大社に向かって行く。
熊野三山のひとつである熊野速玉神社
ここ熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)は、熊野三山の一つとして全国に祀る数千社の熊野神社の総本山である。
約2000年ほど前の熊野三所権現が最初に降臨された、元宮である神倉山(新宮市内)から現在の鎮座地に御遷りになった。
これにより神倉神社の「旧宮」に対して「新宮」と号した古書に書かれている。
現在の「新宮」と言う地名も、この事から呼ばれている。
御祭神は、熊野速玉大神(いざなみのみこと)・熊野夫須美大神(いざなみのみこと)を主神に、十二柱の神々を祀り上げ、新宮十二社大権現として全国から崇敬を集めている。
多くの人が訪れる熊野速玉神社の神門から境内を望む・速玉神社は平成16年には世界遺産に登録されている。
華麗な美しさを見せる速玉神社拝殿と鈴門(右側)
速玉神社拝殿へ参拝する人たち
熊野三山の中で現在の社殿は熊野川の畔に位置する場所にある。
私たちは、河原にある臨時駐車場に車を止め、歩いて5分ほどで拝殿まですすむことができた。
色鮮やかな大変美しい神社である。
何回も訪れているが、境内に入ると、伽藍の美しさと繊細さが、自然と心に落ち着きを与えてくれる。
大きなしめ縄で飾られた神門をくぐると、色鮮やかで美しい社殿全景が見渡される境内にでる。
何度訪れても、社殿の美しさは抜群で、その壮麗さには強く印象付けられる。
早速、拝殿に行って、妻と共に参拝する。
参拝を終えると、私たちは愛車に戻り、伊勢神宮方面に出発する。時間も午後3時30分になっている。
通常だと国道42号を走行、し松坂方面から伊勢市に入ると5時間程度の時間を有すると考えられるが、
最近は高速道が開通しているらしい、が私は通行したことがなく、わからなかった。
国道42号を走行して行くと、バイパスが所々に出来上がっており、車はスムーズに走行できる。
途中熊野市内のスーパーで夕食の買い物をすまして、風光明媚な七里御浜の海岸を尾鷲方面に走行して行く。
さらに走行して行くと、真新しい熊野尾鷲道路に入って行く。
ほとんどがトンネルであるが車はスムーズに流れ、尾鷲がこんなに近かったのか! と、さえ思えてくる。
さらに走行して行くと、紀勢自動車道尾鷲北ICに入って行く。
この道路をそのまま走行し、紀伊長島、多気JCTから伊勢自動車道多に入り多気PAまで走行して行く。
多気PAに午後6時30分ごろの到着時間であった。
予定時間よりも大幅に短縮されたように感じ驚きであった。
到着すると早速車中泊の準備をして、妻と二人で少し早い夕食を摂った。
新年早々の車中の中で、カーナビのテレビを見ながら摂る夕食も、茶の間の雰囲気があり、
杯を傾けながら、ゆっくりと過ごしながら摂る夕食も、それなりの趣きがあり、楽しいひと時であった。
1月5日(火) 晴れ 朝、7時頃起床すると、早速、寝具などを片付け、簡単な朝食を摂る。
朝食を終えると、直ぐに伊勢自動車道を伊勢方面に出発しして行くと、まもなく伊勢西ICに到着する。
伊勢神宮方面に向かって行くと、新年の交通規制があり、神宮方面へはマイカーで入ることができなくなっている。
近くの駐車場に愛車をとめて信号を渡ると、伊勢神宮内宮へ通じるおはらい町がある。
五十鈴川沿いに沿って続く800mの通りには、江戸時代を思わすような、
切妻や入母屋の様式を取り入れた日本の伝統的な木造建築が並んでいる。
おはらい町の通りには、たくさんの土産物店・飲食店や商家が立ち並び、多くの人々が立ち寄ったりして賑わいを見せている。
10分程歩いて行くと、大きな賑わいを見せている場所に出てくる。
伊勢神宮、内宮の入口である宇治橋で前には、大きな鳥居が立てられている。
皇学館の女子学生も宇治橋を渡り内宮に進んで行く。
太陽信仰の象徴とされる天照大御神、この天照大神を祀っているのが伊勢神宮である。
冬至の日には、この宇治橋の真ん中から朝日が昇り、神々しい光景が見られる。
夏至には伊勢神宮の近くにある二見浦の夫婦岩の真ん中からしめ縄を潜って朝日が昇ってくる。
宇治橋は五十鈴川に架かる全長102mの橋で、橋を渡ると内宮の神域へと入って行く。
伊勢神宮内宮に掲げられ青空の下、風になびく日の丸。
やはり、新年早々に日の丸を見ると、日本人として身の引き締まるような思いがする。
伊勢神宮には、内宮と外宮があり、内宮は皇大神宮(こうたいじんぐう)、外宮は、豊受大神宮(とようけだいじんぐう)からなり、
内宮は天照大御神(あまてらすおおのかみ)、外宮は豊受大神宮をお祀りしている。
農業の神様である御饌殿(みけでん)は、内宮の天照大神が、豊受大神と毎日の御饌(食事)をなさる所だという。
つまり、農業の神様を重んじることによって、人間の生活の安定を祈願するという信仰の表現だそうだ。
神宮内の古い記録によると、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう=21代天皇、西暦456年~479年)の枕元に立った天照大神が
「五十鈴川のほとりの一人ぼっちは寂しい、丹波の豊受大神と一緒に住みたい」
とおっしゃってから「丹波国比冶乃真井原=たんばのくにひじのまないはら」(京都府)から移されたものだといわれている。
皇大神宮(内宮)は日本の神々の親だという天照大御神を祀り、御神体は八咫鏡(やたのかがみ)である。
この鏡は代々天皇の皇居内にあったが、崇神天皇(すじんてんのう=第10代天皇 紀元前97年~29年)の頃、もったいないと大和の国の笠縫邑(かさぬいむら)へ、
その後、垂仁天皇(すいにんてんのう=第11代天皇、紀元前29年~紀元後70年)が、
五十鈴川のほとりに内宮を建てて、大和の国からここへ移して祀ることになったと伝えられている。
宇治橋を渡って神宮の神域に入って道なりに進んで行くと、大正天皇の御手植松などの立派な松が私たちを迎えてくれる。
さらに進んで行くと、手水舎があり、鳥居をくぐると、右側に五十鈴川の御手洗場が見え、大勢の人達が訪れている。
大きな樹木の中にできた参道を鳥居をくぐり、内宮御正宮方面へ道なりに進んで行く。
聳え立つ大木の枝間から木漏れ日が射す参道を多くの参拝者の方々と共に進んで行く。
数百年、あるいはもっと、昔から夢にまで見た伊勢参り・・・伊勢神宮内宮の御正宮(ごしょうぐう)が、その場所である。
日本の地方の村には、必ずと言っていいほど氏神様が祀られている。
伊勢神宮は、その氏神様の総氏神様であり、天照大御神がご鎮座されている。
私たちも、石段を登り、御正宮でお参りした後、元来た道を駐車場まで戻り、外宮に向かって行く。
内宮から外宮までは、車では10分ほどで行けると思うが、渋滞があり、40分ほどで到着する。
駐車場からは近くに北御門(きたみかど)の入り口がある。
そこから入って行くと、正面に広場があり、その向こうには、手水舎と橋(火除橋)が見えている。
私達は手水舎で身体を清めた後、火除橋を渡り、外宮の神域に入って行く。
伊勢神宮外宮(衣食住や産業を司る豊受大御神(とようけおおみかみ)をお祀りしている)
5分ほど進むと両側に神楽殿と九丈殿の場所にでると、多くの警察官が出て、歩行規制を実施している。
やがて参道に沿って縄が通され、外宮の御正宮に進むことができなくなった。
警備の警察官に、何事かと尋ねると、もうすぐ安倍首相一行が参拝に訪れるので、その場で 「しばらくお待ちください」 とのことであった。
間もなく安倍総理一行が参拝に訪れるとのことで、警備の警察官に指示されて位置で待つ多くの人たち。
私も、隣り合わせにいた30代ぐらいの男性と30分ほど談笑していると、神官に案内された安倍総理一行が多くの人たちを連れてやってくる。
伊勢神宮外宮を新年の参拝に訪れた安倍総理一行が神官に連れられてやってくる。
外宮の参拝を終え、元来た参道を戻って行く安倍総理一行の大勢の人たち
安倍総理一行が私たちの前を通り過ぎて、15分ほどで参拝を終え戻ってくる。
その間は全く身動きができなかった。
首相一行が戻られてすぐに歩行規制は解除されて、外宮の御正宮に向かって行くが、多くの人たちでごったがやしていた。
安倍総理が参拝を終えた後、外宮の御正宮に向かう多くの参拝者たち
木塀に囲まれた外宮御正宮へ向かう参拝者たち(御正宮の中には、御正殿があり、その後ろには、御餞殿(みけでん)と外幣殿(けへいでん)がある。
外宮御正宮へ参拝に向かう人たち
外宮の御正宮での参拝を終えた後、近くにある、風宮(かぜのみや)、土宮(つちのみや)、多賀宮(たがのみや)にも参拝する。
思いもかけない、伊勢神宮外宮で安倍総理一行と出会った。
7年前の参拝の折には、麻生首相一行と内宮で出会ったことがあった。
このときは確か1月4日であったはずで、今日は1月5日であることから、昨日参拝されたと思い込んでいた。
どうやら国会の関係で今日になったようである。
外宮も何度か訪れているが、風宮・土宮や多賀宮は初めてで、外宮の奥深さを感じる。
今年の正月妻と二人だけの静かな正月であった。
毎年、近くにある大森神社と水間観音には初詣を例年通りに行っている。
今年は急に熊野三山と伊勢神宮の参拝を思い立ち行くことにした。
今年の道中は雪もなく、天候も上天気で大変スムーズに走行できた。
それに、熊野から伊勢までの道路が大変良くなっているのには驚かされ、大変近くなっているように感じる。
外宮の参拝を終えると時間も午後3時を過ぎていた。
駐車場に戻るとそのまま伊勢自動車道に入り、関JCTから名阪道、西名阪・阪和道に入り午後6時過ぎに帰宅する。
毎年、初詣は自宅近くの神社や寺、寺院などに行って、昨年の感謝や、本年の平和や安定を祈願することが 習慣になっているが、今年は熊野三山と伊勢神宮に出かけた。
自然災害や悪質な事件、目を塞ぎたくなるような国際的なテロや紛争など、私たちを取り巻く安全保障環境が様変わりしている。
こうした環境の中で、世界中の人々が安定した平和的なな暮らしを願うと共に、こうした紛争地域などで、平和的な活動をされている方々に対して、
感謝の気持と、健康に留意され安全に活動できますことを祈願せざるを得なかった。
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